孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

不完全で矛盾意識のある<人間を卒業>出来る「仕組み」

2015年09月08日 | Weblog
メール交換している表現力のある人から=なんで人間やってるのか最大のミステリーなわけで・・・なるメールが来ました。
そこでブログの完全真理が理解できればその謎解きが出来るとして返答しました。

ところで私の場合は=何でこんなに「ややっこしい」「面倒臭い」「変な」人間関係なのだろう=とは思っていましたが、
そんなことはほっといて=自分のやりたいことを=やりたい放題してきたように思います。

そして自己拡大の頂点を極めているときは自惚れ慢心からして年金暮らしなんてするはずもないと自信たっぷりでした。
なのに今は過疎地でもって食うだけ寝るだけ糞をしながら生きているだけのような感覚で暮らしています。
ところがそれが精神世界の頂点のような気がしています。

すなわち大を味わい、そして意識の変化で小を味わい、その矛盾を味わったことで小なる人間人生の価値・正解が導き出される。
そんな感じです。

だから肉体・感情体・精神体の諸々を味わってたどり着くのが自己縮小。
その自己縮小の形は様々ありますが、その人の意識が原因のそのお似合いの形になると思っています。

私の場合であれば、過疎地で孤独の自由にして呑気気まま・楽ちんにして苦楽の無い生き様を思うがままに生きて、
やがて死に掛けても=それを否定反発しないままに=慌てず、騒がすに、穏やかな心持で死を受け入れることが出来れば、

=その死に行く様を余裕でもって、ゆっくりと味わえるような精神意識になれば

=拘り後悔も無く未練も残さずにしてその人間人生に「納得」したままの安らかな精神意識のままに冥途へ旅たつことになり、

結果的には不完全で矛盾偽善意識のある「人間を卒業」できることになるかもしれません。

しかしその後のことは不確かな世界だけに宇宙=神=愛意識の仕組みに任すことになると思っています。