孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

面倒で余計な事を成すその自己満足は我が身・心身を傷つけ疲れさせます。

2015年09月15日 | Weblog
この世で自己満足を欲しがるのは人間だけです。
だからライオンも像も牛や馬も鯨もサメも狸やイタチもアリもキリギリスも本能のままに生きているだけで自己満足を欲しがってはいません。

ところが人間となれば余計なことや面倒なことをして疲れるのに自己満足したいが為に何かと事を成したがるのです。

だから私も自己縮小といいながらも要も無い自家菜園したりヤギや鶏を飼育して自己満足したり、また頼まれたわけでもないのに荒れ果てた田んぼや山林やまた参拝する人が殆どいない神社や殆ど人が通らないような山道の草刈に励んで自己満足・自慢げにしていた時期もありました。

そこで自己満足することをやめることで更に楽ちん生活になりました。
そして気付いたのが余計なことや無駄なことをしなくなったことで日々心意識が穏やかになっていることでした。

だから私が手入れしていた幾多の箇所も今は元の荒れ果てたままに戻っています。
そして(見るに見かねて)(要所要所を)気が向くまま時々草刈しているだけです。

ちなみに皆さんも面倒なことや余計なことや無駄なことをすれば疲れることを知っていますから、それら面倒なことに関わらずにして楽にしていたいはずです。

なのに現実はどうでしょうか、楽どころか苦労の連続ではありませんか、
しかも自らがその苦労を買って出て背負い込んでいるでしょうに、
何でそこまで頑張り無理をするのでしょうか、

然るに自己満足したいからです。
そして見栄や世間体・プライドを守るためでもあります。

然るに我が身・心身を傷つけてまでやる価値があるのでしょうか、
単なる自己満足や自惚れ慢心で終わっているでしょうに、

またそれが思い通りに行かなくて苛立ち腹立ちしたことでしょうに、
また頑張り努力したのにその思いを裏切られる結果になったことも幾多もあったことでしょうに、

だったら私のように自己満足することをやめにしたらどうですか、
いっぺんに楽ちんになりますよ。
しかも自由になれます。

その己の自由のためにも他を否定反発したり束縛制限していません。

それに反して他を否定反発・束縛制限すれば(裏表の関係からして)それが我が身に振り返ってくるのがこの世の仕組みですから、結局は我が身の自由が失せます。

然るに他を管理監督・教育指導することになれば、当然ながら己もその立場にいなければなりませんから、然るに己が思うがままの自由にしてはいられません。
しかも思うがままに行かないで苛立ち腹立ちすることもあります。

だから私は自他共に成り行き任せて自由に「ほっとき」ます。
然るに妻や我が子や孫たちにも同じ立場でいます。

だから私も自由勝手気ままに過ごすことが可能なのです。
然るにお互い様の関係になるのです。

然るに自分の為に自由になりたければ他の人も自由にしなければ結局は自分が自由になれないのがこの世の仕組みです。

だから自分が個人意識丸出しでもって生きているならば、他の人も個人意識丸出しでもって生きていることを認める結果になりますから、然るに公平になります。

だから争うことにはなりません。

しかも面倒なことも余計なこともしなければそれだけ疲れずに済みます。

だから穏やかな心持で日々を生きていけるのです。