孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

現在もこの先も「何とかならないものか」と気に病むことが目白押しです。

2015年09月17日 | Weblog
私の身近な人の家庭の中で長男が小学生の頃から不登校気味になり、そのまま中学高校と続き、何とか大学に入学したものの早くも退学して自宅で引き篭り気味になっている最中に、今度は中学生の子供が不登校気味になっています。

然るにその子の両親も何とかしなければと一生懸命になっていますが、親の心子知らずでなくて、子供も少しでも親の思いに添うように努力をしているようだが、その子ら本人さえもどうしようもないくらいだから、然るに親の思い通りにはうまく行くはずもありません。

すなわち子供も自分から何とかしなければと思っているのにどうしても自らの自力で解決できないし、その親も子供以上に何とかしなければと必死になるもうまい具合にはいきません。
そして身近な叔母さんもそんな子供らを見ると何とかならないものかと日々気に病んでいるようです。
またそれを時たまに目にする私がそこで何とかできるものなら何とかしたいのだが、しかし何をやっても無駄になることを知っているだけに、子供らのご機嫌伺いしか出来ません。
そしてそんな現実事実を見た私の心精神の中に乱れがおきていることにも気付きますが、しかし私は叔母さんのように執着しないだけに一時で終わりますから、何かと人様のことに巻き込まれないですんでいます。

然るに親子と言えども子供の思い心意識=精神さえも=どうしようもないのが事実なのです。
そして子供らも親の心意識・精神を何とかしたがっても、どうすることもできないのが現実です。

なににしても親子共々頑張り努力無理しても結果的には無駄になっているのですが、ところが少しでも改善の兆しがあったりすれば喜びにもなりますから、(結果を求めすぎる親の性格からして)そこでまた頑張り努力無理することになるのですが、しかし何度繰り返しても根本的には解決改善していません。

また何とかしたがっている中に神仏霊魂・信仰宗教・超能力・霊力・念力、手かざし・チャネリング・ヒーリング・セラピー・カウンセラーなるものの他力に頼って何らかの結果が出たとしても仮の一時で終わりますから元の木阿弥に戻ります。

だったら元からして本人の自立心・自力自信の精神力に任せてそのままにほっとけばいい、そして成り行きに任せて静かに見守っているだけでいい、と言うのが私の見解・真理です。
そのほうが親にも子供にも負担が軽くなるし、子供のほうも親を気にしないで自分のことだけに集中していれるから、それだけ自由になって身動きしやすくなると確信しています。

それらを言い換えると「何とか」しなくてもいいから、そのままの成り行きに任せておけば成るようになって、その本人の自力と自信の精神力意識力の原因に似合った結果が出るだけですから、成ることはなるが、成らないことはならないだけで、その経験(自己結果と自己責任)のままに終わります。

すなわち頑張り欲張り見栄張らずに(何とかしないで)「楽に」していれば、それだけ面倒臭いことや余計なことを無理する事無く心穏やかにして生きていけるのです。
そして人間本来の心身の余裕が味わえるから、様々な気付きが起きて、自問自答することにもなり、それが自力と自信にもつながるのです。

ちなみに恋愛や夫婦関係であっても、何とかしたいと思い願い期待からして己の思いを伝えても、その相手の思いも一緒に絡んできますからなかなかうまい具合に事は運びません。
然るにこの体験経験は誰もが数多く味わっていることでしょう。

もっとハッキリ言えば不登校の事例と同じく自他共に思い通りにならないのがこの世人間関係なのです。
それを学び知り悟った私に言わせれば、その自他共に「どうしようもない」ことに気付き悟るためにこの世に生まれてきたのも同然なのです。

そこでどうすることも出来ない人間関係をほっといて、元からして「自分の為に」生きていけばいいのです。
然るにそれが持って生まれた個人意識ですから、そのままの個人意識丸出してもって(どうしようもない人のことを気にしないで)平然と生きているほうが心身ともに軽やかになって疲れないで済むのです。

また何とかしようと他力絡みで試みたことが仮にうまい具合になったとしても、しかし矛盾のこの世人間関係ですから、それが先行きでは不具合なことにも変わるのが事実にしてあるのです。

だから自他共に何とかしようとさえ思わなければ(ほっとけば)苛立ったり腹立てたり後悔したり未練が残ったりしないで済むのです。
また困っていることを何とかしてあげた、私は良いことをした、私は正しいことをした、というような偽善の積み重ねにもなりません。

とにかく現在もこの先も「何とかならないものか」と気に病むことが目白押しですから、そんな「どうしようもない」ことに関わらずにして、自分の為の生き様・心精神に自問自答して気付きながら、己に似合った独自独歩で日々を生きていくしかありません。