孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

確かに「生きている」証になるには「思うよりもやってみる」「覚えるよりも慣れろ」となるのです。

2014年02月12日 | Weblog
結婚したくても結婚できないでいる人、結婚しないでお独り様生活に馴染んでいる人、シングルマザーやシングルパパが増えていること、またフリーターやネットカフェーで寝ている人やホームレスなども巷の人間関係に疲れていてその身軽さや孤独の自由を(潜在的に)求めての結果だと私は思います。

またマンションや団地の中で孤独死する人やまたアパートで無縁死になる人がいるのも、自らの意識が原因からして孤独を選んだ格好になったと思います。
またホームレスが生活補助を受けないでいるのも、自分が生きていること&居場所を家族や親戚や知人に知られたくない見栄や迷惑をかけたくない世間体からしてのようです。

ところでNHKのドキュメンタリー番組に北海道の孤島&熊が出没する無人島で昔は漁業者の飯場だった所に年老いたおばさんが(冬場を除いて)独り生活していて、海岸に打ち寄せられた昆布を拾い集め乾燥する作業をしながら日々孤独に暮らしていました。
そして冬が近づくと対岸の娘夫婦が迎えに来て乾燥した昆布と一緒に本土に帰っていきました。

此れに似たような番組内容に過疎地の老夫婦や孤独老人が登場するのも何度か見ています。
しかしそれも健康だから可能になっているのですから、然るに病気や老衰になれば無理なことです。
然るにいつしか廃村になるでしょう。然るに私の住む所も似たようになっています。

然るに元気な内は長年連れ添った夫婦だけとか独居老人のままに自然界の中で暮らせるのならばそれが老後の幸せなのかもしれません。
然るにそれが都会や街中であれば何だか疎外されている感じになります。
然るに孤独&自由なのか、孤独感&閉鎖的なのかの違いだと思います。

ところが長年街中で暮らしていた人が年老いて過疎地暮らしや田舎暮らしを始めても馴染めずに上手い具合には行きません。
また熟年の人が始めれば(お金をつぎ込んで)街中の暮らしをそっくりそのままに持ち込んだような生活になれば、本来の田舎&素朴な生活は味わえませんから、子供のまま事遊びで自己満足しているような形になります。

然るに「形」ではないのです。
自らの意識がどうなのか、その原因意識からしての形結果が現れます。
だから最初から無理して「形」から始めることには問題があります。

然るに土着に馴染めずに途中で失敗する事例も多くありますし、また計画倒れになる場合も多くあります。

と言うことは何処で住んでいようが根本は意識にあるのです。
だから意識を整えることが先決なのです。
そしてその意識が整えば何処で住んでいようがお構い無しになるのです。

とは言っても人間意識&精神に弱いところがあります。
然るに他力に頼らない自力自信&精神力が必要なわけです。

とは言っても最初から自力自信が備わっているわけでもありません。
然るに思うがままに色々と「やってみる」しかないのです。

然るに「理想目的&期待の欲から」してやれば苦労しますが、成り行きの必然のご縁からして目の前に見えていることで自分に出来そうなことを自分が何とか納得できるまで、とにかく身の丈に似合ったことを「やってみる」こと、そして新たな事が見つかりそれが自分に出来そうならばそれをまた「やってみる」ことのその繰り返しからして自力自信が持てるようになるのです。

それが現れ出た結果に関係なく「確かに生きている」証になるのです。
然るに「思うよりもやってみる」「覚えるよりも慣れろ」となるのです。