孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

超人的なミイラ取りがそのミイラに堕ちるその原因は欲張ったからです。

2014年02月04日 | Weblog
巷に溢れている様々な精神世界に係わり紆余曲折&思考錯誤して辿り着いた結論が「欲張らなければ」それでいいとなると多くの人が違和感を持つことと思われますが、
どんなに見方&方向性を変えても、とどのつまり「欲張る」ことが原因にしての結果がこの世であることに気付きます。

然るに過去から現在まで様々な説を説く者が現れ出るも欲張ったことからしてすべて中途半端になり、然るにミイラ取りがミイラに陥る事になったのが事実にあります。

然るに私としても、この世で初めての最後となるはずの「良い悪い」で判断しない完全真理を掲げて登場した宇宙的意識の山田耕栄さんまでもが商品の物売りで終わることになれば残念な気がします。

しかしその耕栄さんが自己縮小を説いたことで私が水を得た魚の如くになって、然るにその耕栄さんの後を引き継いだような形になったことからして結果的には欲張らない生き方しか他に道は無いとなったわけです。

そしてこの先でどんな超人的な人が表れ出て如何なる事を説いたりまた如何なる魔術を見せたとしても、そこで欲張る事になればその人もミイラ同然になるし、その教えを実践する者たちにも欲があればそれも中途半端に終わることは絶対確実です。

然るに精神世界を悟りその境地に至った者なら欲張ることの過ちにも気付けたはずなのに何で?己までが欲張る事になったのでしょうか、となるわけですが、私に言わせれば「皆して学び合っている」関係だけに特別な人はいないのに、その特別な人はいないと言っている張本人さえも「特別意識」になったのです。

然るに欲張ってはいけませんよと言いながらも己が欲張ることになったり、
またこの世に特別は無くて皆が同じですよと説きながらも周りに集る者達が平伏して足下にすがって来ることからしていつの間にやら己が特別に思えるようになったと思われます。

それと併せて「アメとムチ」の使い分けをする事になり、またそのために不確かなことを事実の如くに言ったりするその「嘘も方便」を使う事になったのも大きな原因だと思います。

然るに欲を持って集る者&アメを欲しがる者を惑わしたのです。
そして集る者が既に信者意識になっているからそれを信じてそれに頼ることにもなり、しかもそれは凄いとして宣伝広告する役目までも果たしているのです。

然るに中途半端に終わっている事実があるのにそれら信者が引き寄せられたままの盲信状態で居残り其処で止まっているとも考えられます。

またその盲信状態で止まっている者が世間にアピールし宣伝広告することからしてそこでまた新たな信者が来てはまた去るというその繰り返しが今も続いているわけです。

だからして「人が集まる」ところにアメ欲しさの<欲あり>となっているのです。
然るにアメを欲しがっているものに欲張ることの危険性を教えても(何を言ってるのよと)無駄になるわけです。

だからそのアメを欲しがる意識が過ちだと悟った者にしかその実践が出来ないわけです。

然るに誰もが持っている「欲」を出さずにして生きていくしか他に道は無いのです。

矛盾する心意識を持っている限りにおいては楽しい人生&納得のいく人生には無理があるのです。

2014年02月04日 | Weblog
己の心の中に矛盾偽りが無くなると納得した生き方になりますから、然るにその己の意識が原因のその結果を素直に静かにしてタダ味わうだけになります。

ところが自分の心の中に矛盾があると、その己の意識が原因にしてのその結果にも同じ矛盾した思い思惑やその矛盾した行動表現が出てきます。

然るに両親から指図されたり注意されることなどを何かと嫌っていたのに、今は我が子に同じことをしているように。
また両親の面倒世話をしたくない思いを持っているのに、然るに我が子には何かと親孝行&面倒世話を求めるたがる事になり矛盾します。

また自分は少しでも楽したいのに他の人には苦労は買ってでもしなさいと言わんばかりに何かと押し付けることにもなります。

また冠婚葬祭や慶弔ごとに係わりたくない思いがあるのに自分の時は人を巻き込むことになります。
また昔は良かったと言いながらも今よりも快適便利で楽チンな生活を求めたり、また今を維持し守る事に精出します。

また自分の陰口告げ口が聞こえてくると気分を害するのに己も人様の陰口告げ口を言います。
また人から気安く頼まれると困るのに己も人に気安く頼み込みます。

また交通事故で被害にあうと少しでも多くの賠償を求めるたがるのにそれが加害者側になると少しでも軽く済むように思いたがります。
然るに自分が事件の加害者の時はその刑罰を軽減されるように手はずを整えるのにそれが被害者の場合になると少しでも重罪になるようにと恨み妬みます。

また危ない追越をする車や黄色信号を無視する車を快く思わないのに己も同じことをします。
また空き缶をポイ捨てする人を見て気にするのに自分もタバコの吸殻をポイ捨てします。

然るに矛盾していることは決して当たり前ではないのに、それを自分の都合のときは当たり前にしたがるところがあります。

然るにそんな矛盾&偽善を持っていれば楽しいはずの祝い事にも何かと不満が浮かび上がってきてそこで十分に満足しきれないのです。
然るに心が満たされていないから虚しさを感じるのです。

要するに矛盾する心意識を持っている限りにおいては楽しい人生&納得のいく人生には無理があるのです。

なのにその虚しさを埋めるための欲が先立ちその満足を捜し求めることからして更に問題&傷口を広げる結果になっていることに早く気付くことです。

しかもこれ等が「貴方だけ」のことなら未だしも、この世の人間皆して同じように抱え持っていることからして、然るに「闇意識」に覆われていると言われていることを自覚覚悟していなければ、いつの間にやら皆して赤信号を渡る事になるのです。

然るに矛盾したままで今は大丈夫でも、このままに何事も無く終わるはずは絶対にありませんから、それなりの自覚覚悟が必要になります。

然るにその事を詳細に書き続けているブログなのです。