孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

真の精神世界は己の精神&想念との闘い&葛藤になります。

2014年02月18日 | Weblog
真の精神世界は己の精神&想念との闘い&葛藤になります。
然るに己の想念の中の善なる天子と悪なるサタンの両方(善玉&悪玉)が出たり引っ込んだりして葛藤しているのか、それとも元は善なる天子なのにその裏が出てサタンに変貌しているのかもしれません。

然るに釈迦やイエスも自分の中にある善と悪に翻弄され葛藤していたはずです。

そして釈迦は座禅&冥想&修行などで己の欲の誘惑と葛藤したがその欲を無くすることが出来ないことに気付き悟ったはずです。

そしてイエスは悪を排除して完全なる善だけの精神心を目論んでいたと思われますが、それも無理だと気付き悟ったはずです。
そこで悪を排除しようとしたことの過ちに気付いたか否かは判りませんが、そのイエスの悪を排除しようとしたことが正義&聖戦に思われたのは確かだと思います。

然るに外から来る邪な想念&不完全意識を持った支配者&指導者と善か否かで争い闘うことになったのも、その原因は己の中の善の裏&悪想念が出てきた結果だと思われます。
もしもその裏の悪想念が出なければ決して争い闘うことにはなりません。

然るに大元の原因は外にあるのではなくして己の中(善玉と悪玉を持っていること)にあるのです。

だから大元からして欲があっても、その欲が出なければ問題は無いのです。
ちなみにその欲が出るのは、物事を良い悪いで判断してその良いとこ取りをしたがることからして欲張ることになっているのです。

そして互いがその欲を取り合う&引っ張り合う&欲張ることからしてそれが争いにもなっているのです。
そして多くを手にした者がその上に立っているのですが、しかしそれだけに心休まることは決してありません。

然るに欲張り合う中にいればその苦と楽&喜怒哀楽が伴いますから、然るに心休まることが無くてそのストレスを溜め込むことになっているのです。

そこでストレスを感じないで生きることを長く味わい続けていると次第に欲張ることが減っていくのは事実にあります。

然るに自家菜園したりヤギやニワトリを相手にして素朴に生きていたのに、しかしそれもストレスになっていることに気付き、それらをやめる毎にそのストレスから開放されたのが実感できたのです。
またストレスが少なくなるほどに長年続いていた暇つぶしのパチンコからも離れることが出来たのです。

また水源が枯れるその仕組まれからして半額負担の温泉三昧が一年間続き納得しましたから、年間パスの期限が切れた今はどうでもよくなり、パート先のオーナーの半額負担を断り、今は水源も元に戻っていることからして極寒の冬空の下で鼻水をたらしながらせっせと(苦も無く)薪で風呂を沸かす元に戻りました。

然るにそれらの裏表を事実にして味わい、そしてその裏表を味わずにしてすむ生き方(欲張らずにして楽に生きる術)に心から納得できれば多くを必要とはしなくなるのです。

だから素朴にして食って寝て糞をするだけのような日々の中でいても、それ以上にシンプルな生活&生き方になっていくのです。

然るに欲張らずにして(成り行き任せに)生きて行けるようになるのです。

とは言っても不完全意識はそのままですから皆さんと同じです。
だから大層なことは言えませんが、タダ心身が楽な生き方になっているのは事実です。