月が替わり、いよいよ令和が始まった。
「元号が変わっただけだ」と斜に構える人もいるだろうが、
国民が初めて見た退位の儀式は歴史的にも貴重な光景だったと考える。
「202年ぶりの退位」と報じられたので、当時の天皇は誰かと調べたら、
光格天皇(明治天皇の曽祖父)だったのか。
尊号一件に絡んで「風雲児たち」にもたびたび登場したっけ。
父に上皇の尊号を贈れなかったので、自らが上皇になったのかな・・・
1969年生まれのワタシにとって、
平成とは20歳から50歳までのキリがよい30年だった。
元年の当時は仙台の大学生。30年後に家庭をつくっている
・・・はともかく、マンションを買って東京暮らしとは想像できなかった。
そこで改元を機に、元年前後の出来事を思い起こしながら、
30年前は夢にも思っていなかった事例のベスト5を挙げておく。
- 第5位:猪木よりも先に橋本が亡くなる
平成前夜の1988年は、プロレス界に大きな動きがあった。
新UWFの旗揚げ。長州が猪木から3カウント。ブロディの死・・・
そして、武藤・蝶野・橋本の「闘魂三銃士」凱旋試合もこの年だった。
その橋本が2005年に、猪木(現在76歳)より先に逝くとは・・・
なお、1989年に大仁田がFMW旗揚げ、90年に天龍が全日本退団、
91年に新UWFが3派に分裂。プロレス界は平成初めに多団体化が進んだ。
- 第4位:カメラのフィルムが不要になる
1986年発売の「写ルンです」
レンズ付きフィルムという概念すら衝撃的だったのに、
「デジタルカメラ」「カメラ付き携帯電話」なんぞ想像のしようがなかった。
- 第3位:電話をポケットに入れて持ち運ぶ
その携帯電話。平野ノラが持ち歩いているタイプの
「ショルダーフォン」は1985年にNTTが発売。
ワタシが就職した1992年当時の職場には、
緊急時の共用ショルダーフォンが2台用意されていた。
一方で、社員全員にポケベルが支給されていた時代でもあった。
当時のワタシにアイホを見せたら、どんな顔をしただろう・・・
- 第2位:北海道の高校が夏の甲子園を制す
1989年の夏の甲子園で、大越基を擁する仙台育英が準V。
当時の仙台市内の熱狂を直に体験したワタシは
「この熱狂を道民も味わえる日が来るのだろうか」と夢想した。
この89年大会で本塁打を放った佐賀商の香田誉士史が
2004・05年に駒苫を連覇に導くとは考えもしなかった。
加えて、東北の高校がまだ優勝していないことも想定外である。
- 第1位:北海道にプロのサッカークラブが誕生する
1991年7月に「Jリーグ」の愛称が発表された。
同じ年の「住友金属のジーコ獲得」のニュースは、
個人的には昨年の神戸のイニエスタ獲得よりもインパクトがあった。
そんな出来事があってもなお、道産子の大学生にとって、
北海道にプロのクラブができる 北海道でサッカーW杯の試合を開催
いずれも夢物語に過ぎなかった。令和の始まりに改めてコンサに乾杯。