最近何故か宮古空港に縁があり、よく訪れます。それがためにあしなが美女軍団を拝めましたし。
そこであらためて普段は見逃している、宮古空港のよしなしごとについて書いてみたいと思い立ったわけでございます。
宮古空港は、昭和18年に旧日本軍の海軍飛行場として開設、終戦を迎えた後、昭和31年に民間飛行場として再出発。
その後昭和58年から需要増と機材大型化に対応した空港拡張工事が始まり、平成9年に現在の位置にターミナルを移転、沖縄県を設置管理者とする地方管理空港なのであります。
空港ビルのデザインは、渡り鳥「サシバ」が羽を広げた姿をモチーフとしたということです。たぶん群れで飛んでいるのでしょうね。どーでもいいけど。
旧日本軍による飛行場の強制接収は3つのにまたがり、255名の地主たちが立ち退きを迫られたということです。
空港の入り口近くにその集落の痕跡が残されています。
今までは井戸かと思っていたのですが、この時立ち退いた七原の霊石だったのです。
18世紀初頭にここに村建てが行われたとき、この根石を中心にして集落が形成されたということです。
階段を下りて井戸の底にあるように見えるのは、空港が全体に盛り土され、さらに周辺が高くなっているためと思われます。
同じく立ち退きを迫られたに屋原がありましたが、
人々は「ナナバリヤナナツンバリ、ヤーバリヤヤーツンバリ」(七原は七つに割れ、屋原は八つに割れ)とが離散してしまったことを嘆いたということです。
嘆いてる割にはとぼけた味わいですが.....
地代は半分はもらえたようですが、あとの半分は強制貯金とされ闇に葬られたそうです。
ここに、過去の霊石があれば、空港ビルのまん前には「フナイマーク」と呼べと強制されている図形が地面に描かれています。
船井総合研究所等の最高顧問を務める経営コンサルタントさん船井幸男氏が夢で見たという図形。
昔、コンパスで遊んでいた時にできた図形に似ていなくもないですが、この中心に立つと良いエネルギーが集まり気分がよくなるとのこと。
宮古島を「癒しの島」と命名したのも彼だそうです。
今昔取り混ぜたパワーを持つ、年間108万人利用の宮古空港。
次の来島時には、空港の周りを散策する余裕で んみゃーち!