しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

あーっという間の1年

2010-07-20 10:56:16 | 日記
2010年7月19日、このブログも1年を迎えました。

      

この間、訪問者数19,069IP(52IP/day)閲覧数41,945VP(115VP/day)もの皆様に支えられてまいりました。

      

このブログのおかげで、カメラとメモを肌身離さず持ち歩く好奇心生活を続けられ、今のところ老人性痴呆症の目立った所見もみられておりません。

また、メタボ予備軍だった体もすこーし引き締まり、首のうしろの肉座布団の数が減少しております。

これからも宮古島のおもろいことお伝えしていく所存でございます。

ごひいきのほどよろしく御奉り候。

      



地に降りた牛

2010-07-16 11:35:54 | オブジェ動物編
久しぶりの宮古島オブジェ。

ここは「インギャーマリンガーデン」なる太平洋を望む入江。

そのそばにある「うがん山」の展望台にあるあずまやの屋根に、かつては牛がのっておりました。

    

この写真は昨年10月に開催された「なりやまあやぐ」というお祭りのための特設ステージの様子。

当日は雨模様で見に行く事を回避したため、今年こそとねらっている祭りのひとつです。

この展望台、この後取り壊され、新しい展望台が建設されました。

    

それで屋根の上の牛はどこへ行ったかというと

    

展望台脇の山上に逃げ出さないよう足をコンクリートで固められて日夜海を眺めています。

この牛も何故ここにいるか不明のもの。とにかく動物のオブジェというよりは大きな置きモノが好きな島であります。

各家にあるシーサーやスイジガイの魔除をおく習慣が、抵抗を薄めさせているかもしれないなぁ。

余聞ですが
この牛の立つ「うがん山」から採取された岩「トラバーチン」が国会議事堂の内装に使用されていることを知ったのはつい最近のことであります。ここだけではなく、八重山や本島からも集められたようですが。

「トラバーチン」とは「石灰質化学沈殿岩」というそうで詳しく知りたい方は自分で調べてくださいね。

2月22日のブログで石灰華段探訪をお知らせしましたが、その石灰華段こそがトラバーチンでできた小型段丘地形なのでした。

展望台から眺める晴れた日の海は言葉では表せない絶景です。是非是非自分の眼で確かめに来てください。

天候は保証できませんけど。



ひまわりとゴーヤー事情

2010-07-13 12:00:18 | 菜園
ヤマトは雨で大変ですね。

こちらは梅雨明けから雨がなく台風待ちですが、その台風も今年は発生がなくやっぱりおかしい地球号なのですね。

燦々と輝く太陽に向けて尼崎お手植えひまわりも咲き誇っていますが、どこにも変わり者はいるようで。

     

皆が一斉に南東に顔を向けてお話を聞いているというのにこいつは......

無理もないです。にーにーとねーねーが先に育ってしまったので、午後になってようやく太陽の顔を拝めるのですから。

ということは、タネを植える時期と肥料のやり方でコントロールすると日の出から日没の全方位へ向けたひまわり畑ができるっちゅうこっちゃ  めんどくせーけど一考の価値あり

このヒマワリの一つに体を隠したつもりの「かまきり」

     

ひまわりとカマキリ、微妙に似ているようでもあり絵になるようでもあり、そう言えば「カマキリ夫人」なんて映画もあったね。

ゴーヤーといえばまだまだ実が付いているけど、ちょっと油断するとひと晩で変身。もののみごとに子孫残しモードに入るわけです。

     

ご近所さんからは「来年は壁全面に緑の壁ができるさぁ」と勝手に決められちゃったし、せっせとタネ取りもせねば。

長墓遺跡その3

2010-07-12 11:40:59 | 宮古史
この遺跡調査は、今年で6回目。6月30日から7月9日まで行われました。

資金不足で一気に行うことができず毎年この時期に細々とやっているそうです。

今回の調査は、文部科学省科学研究費補助金「先島地域の狩猟採集社会および農耕社会における人間と環境との相互作用の解明」及び「環太平洋の環境文明史」の補助で実施されました。

ハドソン教授は、長墓遺跡の貝塚を掘り、過去の人々がどのように自然環境に適応したかを調べています。青山教授は、作業科学の視点から、宮古島の人々の生活と作業の調査を進めています。

私が参加した3日間には、前回のシャコガイの加工物(貝斧の一部)、ヒトの奥歯、サメの歯等が出土しました。

     
     ヒトの奥歯

     
     サメの歯

この遺跡は内陸部の斜面にあることから、これまで生活の場とされていた海岸砂丘地とは異なった場所にあり、何を物語るのか。この出土品の時代は紀元400~700年とされ、その後千年以上たって風葬の場とされたことと何か関係があるのか、いやがうえにも好奇心が刺激されるのであります。

と言いつつ、今年の調査はこれでおしまい。掘削した穴は土嚢で埋め戻し。

     

実はこれが一番きつかった。このために参加の呼びかけがあったのではないかと思うくらい。

土嚢で埋めた後は覆土してほぼ原状復帰。来年の最初の作業はこの土嚢を取り除くこと。トホホな穴です。

     

今回の佐賀からの参加スタッフ集合写真です。

     

みんな若いのに年寄りをよく使っていただきました。また来年お会いしましょう。

長墓遺跡その2

2010-07-09 11:16:58 | 宮古史
この遺跡は、300年ほど前に風葬された岩陰墓として調査されていましたが、6年程前、佐賀県にある西九州大学マーク・ハドソン教授がその長墓の近くで約2000年前の無土器時代の遺跡を確認したものです。

       
       マーク・ハドソン教授と今回同行した青山真美教授です

宮古島を含む先島の歴史は、南方文化圏とかかわりの深い無土器時代から記録が初めて残された13世紀まで約1000年間、空白の期間がありました。

この遺跡は空白の1000年間を埋める新たな手がかりになるのではと期待されているものです。

遺跡発掘調査への参加は初めてでしたが、すべて手掘りのそれはそれは根気と集中力を必要とする地道な作業です。

       

我々協力者の仕事は、掘った土をふるいにかけ石を取り除いて研究室での分析用の資料を作成することでした。

現場では、掘削箇所の平板測量や遺物発見深さと位置確認等の作業も行われ、大学スタッフ5名、島内ボランティア2名という陣容でした。

       

作業中に出たものの一つシャコガイの加工品です。

       

この他の遺物も出土しましたが次回のお楽しみ。

宮古島長墓遺跡からしょう爺がレポートしました。