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高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

こんなことがありました from天竺舎

2018-09-04 09:00:00 | 生産者からのメッセージ
 津野町 天竺舎の山下幸一です。

こんなことがありました from天竺舎

「たより天竺舎」を1997年1月31日にNo,1を出して、No.11が2000年5月17日。
その間、山下がB5裏表に手書きで書き、そのコピーを配布しました。
以後は雨宮の手に移りました。
No.1には1995年9月から葉山村白石に暮らし始め、翌年、約二反の田圃を借りて
農作開始のこと、食のこと、教育のことなどが書いてあります。

No,1「たより天竺舎」より
《 天竺舎から 》
 天竺とは、sindu即ちインドの古名の中国語音訳です。我国で昔、唐(から)・天竺(てんじく)と言ったそれです。
1984年から1994年2月まで、山下はインド国立ヴィシュヴァ・バ―ラティ大学准教授にして日本学科主任の職に
あったのですが、住まっていた官舎を天竺舎と名付けていました。
 思うところあって帰国し1995年9月より高知県葉山村白石地区中谷は川上新一氏が旧居を
貸して下さいました。ここに至るまでには、白石青壮年会会長、西森盛幸氏、白石小学校PTA
会長、平井尋氏、山崎森一校長のご尽力に負うこと多大でありました。心より感謝いたします。
この家屋を、また、天竺舎と名付け、今後のささやかな生活の拠点にしようと思います。
私ども帰国後ご挨拶申し上げていない方々には「たより」をもって充てさせていただきます。
 今後、国内外との交流、自然に調和する生活、食べ物と生き物、そのような事の正しい方向を考え
実行してゆきたいと思っています。
《 田夫野人 》
1996年は春から畑と田圃をそれぞれ二反ぐらい借用して、農作業に本腰を入れました。田舎育ち
ですから、子どもの頃から見たことのある農作業ですが、自分で一からやると、分からないことだ
らけです。無金肥無農薬で、野菜・稲・麦を育てるには「まず土づくりから」と教えられています
が、それは一朝一夕には成りません。田圃作りについては、中谷の方々、特に隣の亀井ばあち
ゃんに教えていただき、また、手伝っていただきました。

もうひとつ、No.11「たより天竺舎」から抜粋します。
《 天竺舎から 》
「去年12月11日、アジア協会アジア友の会インド文化センター例会で「シッキムの民族と文化」
について話しました。五年前に帰国してから六回目になる講演でした。話しそのものは完成度がも
うひとつでしたが聞きにいらっしゃっていた方々が皆インドに関心を持っているので、通い合うと
いう点で大満足しました。
「2月28日、かねてよりの念願であった「手作り楽器」の泉谷貴彦氏を白石小学校にお招きするこ
とができました。ここ葉山村白石地区は、山間地とて、芸術文化に触れる機会に乏しく、それ故、
天竺舎は1996年より毎年どなたか本物ないしプロの方に来てもらって、天竺舎の持ち出しで、白石
小学校には時間を割いてもらっている。もちろんアーティストの御好意の賜物であります。インド
音楽、手品、パントマイム、現代舞踏に続いての泉谷氏によるワークショップ。5,6校時に、3,4,
5年生あわせて17名が、役割分担して、人形操り、場面背景画、楽器演奏の練習をし、最後には全
校全職員の前で人形劇のライブステージを披露しました。
「4月14日付高知新聞所感雑感欄に私の原稿「食料自給の試み」が載りました。投稿欄だと思って
送ったら、編集氏からの電話によると依頼欄だとのこと。とまれ「たより」の10号までのレジュメ
となりました。
「1995年4月に福岡空港に降りたのが、5日まえのような気がするとしても、早5年が経過しました。」

それからさらに18年が経ち、天竺舎は細々と続いています。

※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知らせ』2018年9月号より転載しました。

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