いよいよアンコール遺跡めぐりに出発です。 まずはアンコールトムから。
そもそもアンコール遺跡とはなんぞや? 知っているようで知らない・・・・・かったです。 以下、ガイドブックの受け売りです。
アンコール遺跡群とは、9世紀から15世紀にかけてインドシナ一帯を制圧したクメール王朝の、首都の跡を言います。 アンコールワットは、12世紀前半に建立されたヒンズー教寺院(後に仏教寺院に宗旨替え)です。
アンコールトムはそれよりやや遅れて12~13世紀に築かれた城壁都市跡です。 周囲を掘りに囲まれた1辺が3キロメートルの正方形の城壁の中に寺院や王宮跡が点在しています。
午前中は点在する遺跡を巡ってひたすら歩きました。 娘たちのアドバイスにしたがってスニーカーに履き替えて、気合いは十分。
アンコールトム、城壁内への入り口、南大門です。 門へ続く道の両側にはナーガ(七つの頭を持つへびの神)で綱引きをする阿修羅と神々の石像が並んでいました。
門をくぐった反対側にも顔があります。 右下の長いものはぞうさんの鼻。
アンコールトムには、このような門が四方にあるそうです。
タイのぞうは知ってたけど、カンボジアにも働くぞうさんがいたのねえ。
入り口からバイヨンの寺院まで少し距離があるらしく、ゾウに乗ってのんびり行く人たちや、バイクタクシーに乗っていく人が見られました。わたしたちは3台の電気自動車に乗って移動です。
カートに乗り込もうとしたら、わさわさと物売りの若い子がやってきて、本や絵はがきを差し出しました。 本2冊10ドル? 絵はがきのおまけ付き。買っている人もいましたが、ゆっくり見ることもできないので無視してカートに乗り込みます。
このあとわたしたちは至るところでこうした物売りの攻勢に会うことになりました。
バイヨン寺院に着きました。 カートはここまで。
バイヨン寺院は、アンコールトムの中央に位置する仏教寺院です。回廊の壁面に掘られたレリーフが有名です。
特に有名な、すぐれた彫刻の所では、ガイドのケロさんが説明をしてくれるのですが、なにしろこの狭さとこの人。 わかりかねます。
ただ言えることは、 王族の暮らしや他民族との戦争、庶民の暮らし、この国に伝わる伝説など、豊富な題材と、活き活きとした表現がすばらしく魅力的だったということです。
これは海の中を描いているらしいですが、魚もわに(?)も鳥も、おもしろいですねえ。
回廊の隙間から中庭を見ると、修復のための資材が所狭しと置かれていました。
バイヨンは痛みが激しく、回廊の屋根も壊れてしまっています。 修復にはずいぶん時間がかかりそうでした。
わたしたちは、回廊をめぐりながらしだいに上へと上ってきたらしいです。迷宮のように複雑で、どうやってここまでこられたのかさっぱり
四面仏が林立する中央祠堂の前の広場では、カンボジアの民族衣装に身を包んだ人たちがいました。 この人たちは、お金を払うといっしょに写真に収まってくれるらしいです。
四方に顔を持つ四面仏。 どれも穏やかな微笑みをたたえていました。
ここは写真スポットです。ガイドのケロさんはこういう場所に来る度に、わたしたちのカメラで写真を撮ってくれました。
「ケロケロケロリ~ン、はい、カンペキで~す。」というのがケロさんの撮り方。
以後わたしたちは、互いに写真を撮る度にケロさんのまねをして
カンペキで~す。 パーフェクト
楽しいガイドさんでした。
中央にそびえる祠堂。 ガイドブックによるとこのバイヨンは、古代インドで神々が降臨するメール山(須弥山)を象徴しているそうです。 ということはここが山頂の聖域でしょうか。
中へ入れそう? しかしわたしたちは中へは入らず、ここをぐるりと廻って下へ降りました。
それにしてもこの石組みの複雑なこと。苔むしてゆがみの生じた石組みが歴史の重さと年月の過酷さを物語っているようでした。 ーつづくー