来週は、勤務校の実践発表を、市内の先生方の前で行わなければならなくなった。プレゼンを使っての発表である。今回は、プレゼンに合わせた発表原稿を作ることになった。自分だけの実践発表ならば原稿など作らない。発表が固くなるからである。
今回は、学校全体の実践発表ということなので、管理職にも見てもらう必要がある。そのため、原稿を作ることにした。
原稿を書くのは孤独な作業である。黙々と取り組み、文字を埋めなければならない。
書いていると、何かに似ていると感じた。
そう、これは昔やらされていた農作業と同じである。実家が専業農家であるため、しょっちゅう田植えや稲刈りを手伝わされていた。
農作業は、始める前は、これから行う作業の膨大さに目が回りそうである。黙々とやらなければ決して終わらない、しかしやった分だけ終わっていく。休んだら、その分だけ仕事が遅れる。
そして、終わったあとの解放感はたまらなかった。田植えが終わったあとの田を見たり、稲刈りを終えて、山のようになった米の袋を見ると、「がんばったなあ」と思える。
こういう感覚は、雑誌の依頼原稿を書いたり、教育論文を書いたり、講師として発表する準備をしたりするときも感じる。
始める前はゴールがなかなか見えずに、不安にもなるが、黙々と作業を進めると、明かりが見えてくる。そして、終わったときの解放感はたまらない。必ずその日は、うまいお酒を飲むことにしている。
黙々と進める作業というのは、案外、多くの職種に共通してあるかもしれない。
今回は、学校全体の実践発表ということなので、管理職にも見てもらう必要がある。そのため、原稿を作ることにした。
原稿を書くのは孤独な作業である。黙々と取り組み、文字を埋めなければならない。
書いていると、何かに似ていると感じた。
そう、これは昔やらされていた農作業と同じである。実家が専業農家であるため、しょっちゅう田植えや稲刈りを手伝わされていた。
農作業は、始める前は、これから行う作業の膨大さに目が回りそうである。黙々とやらなければ決して終わらない、しかしやった分だけ終わっていく。休んだら、その分だけ仕事が遅れる。
そして、終わったあとの解放感はたまらなかった。田植えが終わったあとの田を見たり、稲刈りを終えて、山のようになった米の袋を見ると、「がんばったなあ」と思える。
こういう感覚は、雑誌の依頼原稿を書いたり、教育論文を書いたり、講師として発表する準備をしたりするときも感じる。
始める前はゴールがなかなか見えずに、不安にもなるが、黙々と作業を進めると、明かりが見えてくる。そして、終わったときの解放感はたまらない。必ずその日は、うまいお酒を飲むことにしている。
黙々と進める作業というのは、案外、多くの職種に共通してあるかもしれない。