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イチゴつぶし同盟

「マスターいつもの」
 オールドの水割りを作った。鏑木は、キープしてあるボトルが全てなくなれば、店を閉じるつもりだ。だから、新規のボトルキープは受け付けない。常連も極力ボトルキープは断っている。
 カウンターに座っている土井の前にグラスを置いた。土井も常連だった。土井のボトルは無くなったが、時々やってきて一杯か二杯水割りを飲んでいく。
 土井はバー海神の古い常連客だ。鏑木とのつきあいも長い。鏑木の考えていることは判る。だから、新たにボトルを入れようとはいわない。
 鏑木の背後の棚には、まだボトルが残っている。海神はまだしばらくは開いているということだ。
 入り口のカウベルが鳴った。客が入ってきた。五〇前後。土井と同じ年恰好の男だ。初めて見る顔だ。
 カウンターの土井から少し離れた席に座った。土井と視線が合った。双方とも軽く会釈した。男はスコッチのロックを注文した。
 土井のかばんの中から携帯電話のメール着信音がした。かばんから携帯電話を取り出そうとしたら、小さな袋がいっしょに出てきた。駅前のスーパーでイチゴ用スプーンを買ったのだった。床に落ち、袋が破れてスプーンが出た。スプーンが男の方に転がって行った。
 拾って手渡してくれた。
「どうもありがとうございます」
 かばんにしまう。
「あの。そのスプーン、どこで売ってました」
 男が話しかけてきた。
「あ、失礼しました。私、中田といいます。きのうこの街に引っ越してきました」
「どうも。土井です。駅前のスーパーで売ってますよ」
 イチゴ用スプーン。イチゴをつぶしやすいように、小さなブツブツがついたスプーンだ。こんなスプーンどこにでも売ってるだろう。
「実は、私もそのスプーンを持ってたのですが、引越しのさいになくしてしまって」
「こんなスプーン、どこでも売ってるのではないですか」
「いや、私が前にいた街では、なかなか売ってなくて」
「すると、中田さん。あなたもイチゴはそのままでは酸っぱくてダメなくちですか」
「はい。梅干しは大丈夫ですが、イチゴや柑橘類の果物の酸っぱいのは苦手で」
「私もそうなんです。イチゴはつぶして練乳をかけなければ食べれません」
「私も同じです。そんな食べ方イチゴを冒とくしてると家族に笑われるのですが」
「私もです。ウチは朝に必ず果物を食べるのですが、イチゴの季節は肩身が狭くって」
 土井と中田は意気投合したようだ。
「私もイチゴはつぶして食べる方が好きです」 鏑木がいった。
「マスターもか。知らなかった」
「私も持ってますよ」
 鏑木がイチゴ用スプーンを見せた。
「私は二本持ってますから。一本中田さんにさしあげます」
「イチゴをおおっぴらにつぶして、練乳をたっぷりかけて食べたいもんですね」
「こうしよう。ここへくる時イチゴを買って来て、三人で盛大にイチゴをつぶして食べようじゃないか」
 土井の提案を二人は賛成した。
「練乳を買ってくるからキープしてくれるかな。マスター」
「はい。練乳のキープならOKです」
「では、イチゴつぶし同盟結成だ」
 土井がイチゴ用スプーンを差し出した。鏑木と中田が自分のスプーンをそれに重ねた。

 

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
バー海神を閉めたらスイーツのお店でもどうですか? (海野久実)
2012-04-08 10:29:26
って、そんな感じになってきてませんか?(笑)

ぼくは練乳はかけたい方ですが、つぶしはしませんね。
イチゴジャムでもごろごろとイチゴの形が残ってるようなのが好きです。

まあまあ、僕も海神にボトルをキープしていますが、それはそのまま置いときます。
閉店できないようにね。
 
 
 
海野久実さん (雫石鉄也)
2012-04-09 09:14:47
ご安心ください。海神はもうしばらくは閉店しません。

イチゴ、私は練乳をかけてぐちゃぐちゃにして食べるのが好きです。
イチゴ用スプーン。深田享さんも持っておられます。
http://kobeblog.net/u/53196a/QxbM4kfJZ7W6LYAR5myE/
深田さんもイチゴつぶし同盟と思われます。
 
 
 
お願いです (もぐら)
2016-04-08 02:40:23
こちらの作品 朗読させていただきたいのです。

イチゴの季節ですね。
イチゴを食べながらこちらの作品を思い出しました。

どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
もぐらさん (雫石鉄也)
2016-04-08 09:50:09
朗読OKです。
楽しみにしています。
今朝もイチゴを練乳かけてつぶして食べました。
 
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