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最後のモダニズム

「こんばんは。まだいいかな鏑木さん」
「いいですよ、犬飼さん」
 犬飼写真館。S駅前商店街に戦前からある写真館である。
「ロックで」
 フォアローゼスのロックをカウンターに置く。犬飼はそれをひと口飲む。カランと氷が鳴る。
「あとどれぐらい残ってる」
「そうですね。半分というところでしょうか」
「そうか、フォアローゼスがここで飲む最後の酒になりそうだな」
「いつ引っ越しですか」
「うん、来月あたまのつもりなんだ」
 犬飼はグラスに残っているフォアローゼスをひといきで飲んだ。カタン。グラスを置いた。
「鏑木さん」
「はい」
「お願いがあるんだ」
「なんです」
「1枚写真を撮らせてくれないか」
「なんの写真です?」
「うん」
 犬飼写真館は、犬飼の父が戦前にこのS市に開いた写真館だ。犬飼の父、犬飼文蔵は、中山岩太、ハナヤ勘兵衛、椎原治などとともに、戦前のモダニズムを標榜する代表的な関西の写真家で、阪神間モダニズムを形成した文化人の一人だ。
「オヤジの写真館を継いで、写真屋稼業をしつつ、自分の作品も撮ってきたが、オレはオヤジほどの才能はないんだ」
 犬飼はあまり知られてない写真展に一度か二度入選した程度で、写真家としては無名だ。
デジカメが出てきて現像焼き増しの仕事もなくなった。スマホの普及で写真機そのものがあまり売れなくなった。
「おれも70だ。この街の人たちをずいぶん撮ってきた」
 七五三、お宮参り、入学式、卒業式、結婚式、葬式。この街の人がなにかする時は犬飼が呼ばれて写真を撮ってきた。
「写真を50年撮ってきたよ。それも人のための写真を。もう充分だよ写真は」
犬飼は写真家としては大成しなかったが、写真屋としては、この街で重宝されていた。七五三、お宮参りの写真は子供を、その子だけのかわいらしさを、結婚式の写真は花嫁の美しさを最大限表現した写真を撮った。葬式となると遺族の家に呼ばれた。犬飼はプロに目で最も故人らしい写真を選び、必要なら修正をほどこして、葬儀で使う写真を用意した。そういう仕事もずいぶん少なくなった。
「オヤジが創った写真館だ。オレの代で閉じたくないよ。でも、しかたないな」
「来月から東京ですか」
「うん、息子がオレのために家を増築してくれたんだ」

 東京へ引っ越した犬飼の訃報を鏑木が聞いたのは、それから半年後だった。鏑木の手元に一枚の写真が残った。フォローゼスのボトルを空けた夜、犬飼はカウンターに立っている鏑木を写真に撮った。
「今宵、バーにて」と題されたその写真は、バーテンダーの背中を写した作品だった。写真雑誌に投稿されたその写真はその号の特選に選ばれた。こういうコメントがつけられた「最後の阪神間モダニズム」
 シャッターが下ろされた犬飼写真館は「売り店舗」の張り紙が張ったままだ。そしてバー「海神」の棚からキープのボトルが1本減った。 
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