飛騨の小京都、飛騨高山は多くの観光客が訪れる観光都市です
高山から17キロ離れたところに
川沿いに白壁土蔵が並ぶ、しっとりとした感じの町があります
瀬戸川沿いの土蔵を見てみたいと思い、飛騨古川を訪ねました
暑い夏の日のことでした
高山から、高山線のディーゼルカーで古川に向かいました
15分ぐらいで着きました
駅前通りを歩いて街道とぶつかるところにあるレストランに入って、
飛騨牛のステーキランチを食べました
飛騨古川のまちづくりは、この地を領した金森長近が、
天正17(1589)年増島城を築城し、
高山を模して城下町づくりを進めたことに始まるといわれています
また、高山は高山祭りで有名です
ここ古川にも、まつり会館に屋台が設置されています
瀬戸川は用水路としてつくられた川です
澄んだきれいな水がまんまんと流れる瀬戸川には、
錦鯉がたくさん遊泳していました
川沿いの道には、子供たちのはしゃぐ声が聞こえたり
地元の人々の散歩する姿が見られたりしています
飛騨古川は、そこに住んでいる人々の暮らしそのものを見せてくれます
生活感が希薄な飛騨高山の三之町周辺とは、一線を画しているように感じます
めあての、白壁土蔵の民家は、川に沿って並んでいました
江戸時代を通じて、この川は、
武家地と商家地に分ける境界の役割を果たしておりました
古川は、明治時代の末に大火で町並みの大部分を焼失しました
しかし、再建された民家の大部分は、従来の様式を踏襲したので
城下町の面影を残すことができたと言われています
左の建物は、「蓬莱」のブランドで知られた渡辺酒造、その前に、
酒造りに携わる杜氏の像が立てられています
この一之町通りは、重厚な町屋が続いているところです
静かな町の一角に、切り絵を並べた店をみつけました
そこに並んでいた作品と実際の風景を並べてみました
古い町並みから荒城(あらき)川にかかる霞橋の手前に
本光寺の立派な伽藍がありました
その近くに、一等水準点を見つけました
「水準測量に使う」と習った覚えがありましたが、
見るのは初めてでしたので、思わず写真に撮ってしまいました
でも、この点をどう使うのかは今もよくわかりません
お聞きした話では、飛騨の匠の中でも、
古川の大工さんは建築技法が卓越しており
仕事ぶりも丁寧だと言われているそうです
そのシンボルが、軒下の雲形肘木で、肘木をみれば、
その家を建てた大工さんがわかるとも言われています
飛騨の小さな城下町は、飛騨牛に、飛騨の匠と錦鯉の町、
なんとも贅沢な町でした
高山から17キロ離れたところに
川沿いに白壁土蔵が並ぶ、しっとりとした感じの町があります
瀬戸川沿いの土蔵を見てみたいと思い、飛騨古川を訪ねました
暑い夏の日のことでした
高山から、高山線のディーゼルカーで古川に向かいました
15分ぐらいで着きました
駅前通りを歩いて街道とぶつかるところにあるレストランに入って、
飛騨牛のステーキランチを食べました
飛騨古川のまちづくりは、この地を領した金森長近が、
天正17(1589)年増島城を築城し、
高山を模して城下町づくりを進めたことに始まるといわれています
また、高山は高山祭りで有名です
ここ古川にも、まつり会館に屋台が設置されています
瀬戸川は用水路としてつくられた川です
澄んだきれいな水がまんまんと流れる瀬戸川には、
錦鯉がたくさん遊泳していました
川沿いの道には、子供たちのはしゃぐ声が聞こえたり
地元の人々の散歩する姿が見られたりしています
飛騨古川は、そこに住んでいる人々の暮らしそのものを見せてくれます
生活感が希薄な飛騨高山の三之町周辺とは、一線を画しているように感じます
めあての、白壁土蔵の民家は、川に沿って並んでいました
江戸時代を通じて、この川は、
武家地と商家地に分ける境界の役割を果たしておりました
古川は、明治時代の末に大火で町並みの大部分を焼失しました
しかし、再建された民家の大部分は、従来の様式を踏襲したので
城下町の面影を残すことができたと言われています
左の建物は、「蓬莱」のブランドで知られた渡辺酒造、その前に、
酒造りに携わる杜氏の像が立てられています
この一之町通りは、重厚な町屋が続いているところです
静かな町の一角に、切り絵を並べた店をみつけました
そこに並んでいた作品と実際の風景を並べてみました
古い町並みから荒城(あらき)川にかかる霞橋の手前に
本光寺の立派な伽藍がありました
その近くに、一等水準点を見つけました
「水準測量に使う」と習った覚えがありましたが、
見るのは初めてでしたので、思わず写真に撮ってしまいました
でも、この点をどう使うのかは今もよくわかりません
お聞きした話では、飛騨の匠の中でも、
古川の大工さんは建築技法が卓越しており
仕事ぶりも丁寧だと言われているそうです
そのシンボルが、軒下の雲形肘木で、肘木をみれば、
その家を建てた大工さんがわかるとも言われています
飛騨の小さな城下町は、飛騨牛に、飛騨の匠と錦鯉の町、
なんとも贅沢な町でした
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