図書館で読んだ本の中に「村岡陣屋町」を見つけました。旧兵庫県美方郡村岡町。現在の、美方郡香美町村岡区村岡です。
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現在、「城下町」をコンセプトにしたまちづくりを進めています。
ここは、慶長6(1601)年に、関ヶ原の戦いの功により、徳川家康から、但馬国七美(しつみ)郡6郷(後5郷)、6700石を与えられた、山名豊国に始まる陣屋町でした。かれは、応仁の乱の西軍の中心だった、山名宗全ゆかりの旗本でした。山名家は交代寄合であり、旗本であっても参勤交代を行う家柄でした。
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青春18きっぷを使って、岡山を朝7時に出発しました。JR山陽線で姫路へ、JR播但線に乗り換えて和田山へ、さらにJR山陰線に入り八鹿駅で下車しました。そこから、全但バスで国道9号線を約50分(990円)走って、村岡に入っていきます。
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写真の左が商店街の入り口です。バスは、右の国道9号線をまっすぐ進み、12時前に、殿町バス停に着きました。岡山から、5時間近くかかったことになります。
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バス停は、民俗資料館「まほろば」近くにありました。
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まほろばは、明治27(1894)年に建設された旧美方郡役所を、昭和63(1987)年に解体復元したものです。
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片隅に、その案内標識が立っていました。3代目の領主、山名矩豊(のりとよ)は、領主として初めてお国入りをしました。寛永(1624)年、黒野村を村岡と改名し、現在の「まほろば」付近に陣屋を置きました。そして、陣屋町の町づくりに着手しました。また、初めて参勤交代を行い、江戸までの164里を18日かけて移動したということです。
ちなみに、それ以前、陣屋は、領内の福岡(兎束村から改名した)に置かれており、代官の三上氏や田結庄氏によって治められていました。
バス停の向かいは、御殿山公園への登り口でした。
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文化3(1806)年、8代義方(よしまさ)が、ここ尾白山の中腹にある体育館付近に、城郭造りの陣屋を新築しました。明治4(1871)年の廃藩置県まで、使用されました。
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御殿山公園は、平成3(1991)年、山名氏入部350周年を記念して、整備されました。
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写真は、公園内に復元された奥方屋敷です。明治元(1868)年、山名氏は、11代領主義済(よしずみ)の時に加増され1万1千石の大名に列し、村岡藩を立藩しました。その義済の奥方が村岡に帰国するのに際して、増築されたのが、奥方屋敷でした。文久3(1863)年の武家諸法度の「妻子の帰国は勝手とする」とのお触れによるものでした。
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公園内に残る桜山御廟。
11代藩主の義済(中央)、12代義路(右)、13代義鶴の墓です。
この後、町内に残る陣屋町の名残りを訪ねて歩くことにしました。
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殿町に残る武家屋敷。平屋建ての家老の邸宅です。建築後200年が経過していますが、建築当初の面影をそのまま残しているそうです。土蔵の窓が、子どもの顔のようでした。
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武家屋敷のそばに再建された郭門。町に3カ所建てられていました。
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山名氏の家紋です。「糸輪二引両紋」というそうです。
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陣屋町の西を南北に流れる昆陽川(中小屋川から矩豊が改名)にかかる大橋の近くに、古い町並みが残っていました。
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昆陽川の左側は農民の、右側は町人の居住地でした。
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旧街道に沿う旧町人町。現在は村岡商店街となっています。
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袖壁のついた民家も残っていました。
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殿町を南にまっすぐ進むと法雲寺にぶつかります。藩主山名氏の菩提寺です。寛永19(1642)年、3代矩豊が陣屋町を整備したとき、歴代の菩提寺として開かれました。
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法雲寺の中にある山名蔵。山名氏ゆかりの資料が収蔵されている山名資料館です。
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写真は、村岡陣屋町の背後を流れる湯舟川。昆陽川とともに陣屋町を区切り、町の防御にも大きな役割を果たしていました。
酷暑の中でしたので、村岡を14時26分発のバスで帰ることにしていました。しかし、私にはどうしてもお訪ねしたいところがありました。陣屋町を抜けて八鹿方面に少し進んだところにある、香美町村岡観光協会でした。交通アクセスについてお問い合わせをしたら、たくさんの資料を送ってくださいました。期待した以上の丁寧な対応をしていただき、感謝の気持ちでいっぱいでした。
また、商店街で、武家屋敷についてお尋ねしたら、作業中にもかかわらず、屋根から降りてきて説明をしてくださった方もいらっしゃいました。
感謝の気持ちがみなさんに伝わっていればいいのですが・・・。
温かい人が多く住んでいる、本当にいい町でした。
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現在、「城下町」をコンセプトにしたまちづくりを進めています。
ここは、慶長6(1601)年に、関ヶ原の戦いの功により、徳川家康から、但馬国七美(しつみ)郡6郷(後5郷)、6700石を与えられた、山名豊国に始まる陣屋町でした。かれは、応仁の乱の西軍の中心だった、山名宗全ゆかりの旗本でした。山名家は交代寄合であり、旗本であっても参勤交代を行う家柄でした。
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青春18きっぷを使って、岡山を朝7時に出発しました。JR山陽線で姫路へ、JR播但線に乗り換えて和田山へ、さらにJR山陰線に入り八鹿駅で下車しました。そこから、全但バスで国道9号線を約50分(990円)走って、村岡に入っていきます。
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写真の左が商店街の入り口です。バスは、右の国道9号線をまっすぐ進み、12時前に、殿町バス停に着きました。岡山から、5時間近くかかったことになります。
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バス停は、民俗資料館「まほろば」近くにありました。
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まほろばは、明治27(1894)年に建設された旧美方郡役所を、昭和63(1987)年に解体復元したものです。
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片隅に、その案内標識が立っていました。3代目の領主、山名矩豊(のりとよ)は、領主として初めてお国入りをしました。寛永(1624)年、黒野村を村岡と改名し、現在の「まほろば」付近に陣屋を置きました。そして、陣屋町の町づくりに着手しました。また、初めて参勤交代を行い、江戸までの164里を18日かけて移動したということです。
ちなみに、それ以前、陣屋は、領内の福岡(兎束村から改名した)に置かれており、代官の三上氏や田結庄氏によって治められていました。
バス停の向かいは、御殿山公園への登り口でした。
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文化3(1806)年、8代義方(よしまさ)が、ここ尾白山の中腹にある体育館付近に、城郭造りの陣屋を新築しました。明治4(1871)年の廃藩置県まで、使用されました。
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御殿山公園は、平成3(1991)年、山名氏入部350周年を記念して、整備されました。
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写真は、公園内に復元された奥方屋敷です。明治元(1868)年、山名氏は、11代領主義済(よしずみ)の時に加増され1万1千石の大名に列し、村岡藩を立藩しました。その義済の奥方が村岡に帰国するのに際して、増築されたのが、奥方屋敷でした。文久3(1863)年の武家諸法度の「妻子の帰国は勝手とする」とのお触れによるものでした。
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公園内に残る桜山御廟。
11代藩主の義済(中央)、12代義路(右)、13代義鶴の墓です。
この後、町内に残る陣屋町の名残りを訪ねて歩くことにしました。
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殿町に残る武家屋敷。平屋建ての家老の邸宅です。建築後200年が経過していますが、建築当初の面影をそのまま残しているそうです。土蔵の窓が、子どもの顔のようでした。
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武家屋敷のそばに再建された郭門。町に3カ所建てられていました。
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山名氏の家紋です。「糸輪二引両紋」というそうです。
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陣屋町の西を南北に流れる昆陽川(中小屋川から矩豊が改名)にかかる大橋の近くに、古い町並みが残っていました。
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昆陽川の左側は農民の、右側は町人の居住地でした。
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旧街道に沿う旧町人町。現在は村岡商店街となっています。
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袖壁のついた民家も残っていました。
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殿町を南にまっすぐ進むと法雲寺にぶつかります。藩主山名氏の菩提寺です。寛永19(1642)年、3代矩豊が陣屋町を整備したとき、歴代の菩提寺として開かれました。
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法雲寺の中にある山名蔵。山名氏ゆかりの資料が収蔵されている山名資料館です。
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写真は、村岡陣屋町の背後を流れる湯舟川。昆陽川とともに陣屋町を区切り、町の防御にも大きな役割を果たしていました。
酷暑の中でしたので、村岡を14時26分発のバスで帰ることにしていました。しかし、私にはどうしてもお訪ねしたいところがありました。陣屋町を抜けて八鹿方面に少し進んだところにある、香美町村岡観光協会でした。交通アクセスについてお問い合わせをしたら、たくさんの資料を送ってくださいました。期待した以上の丁寧な対応をしていただき、感謝の気持ちでいっぱいでした。
また、商店街で、武家屋敷についてお尋ねしたら、作業中にもかかわらず、屋根から降りてきて説明をしてくださった方もいらっしゃいました。
感謝の気持ちがみなさんに伝わっていればいいのですが・・・。
温かい人が多く住んでいる、本当にいい町でした。
日本拳法宗家山名一族澤山宗家と私祖父養子先田路氏も、他山名一族結集し、私を病院送りにした柔道細川伸二親友特高警察B-29極真空手東孝の正力長島力道山小沢一郎派MRA,ICと対抗して頂きたいです。
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