トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

お伊勢七度 熊野は三度 ”お多賀様”へは月参り

2015年01月23日 | 日記

旧中山道高宮宿を歩いた日(「中山道2番目に大きい宿場町、高宮宿」2015年1月16日の日記)、高宮宿の中央で見つけた多賀大社一の鳥居です。その下にあった道標(寛永12=1635年建立)には「是より多賀みち 三十丁」と書かれていました。

天気がよければ、多賀大社までの「三十丁(約3.5km)は快適なハイキングになりますが、この日はあいにく雪の日でした。近江鉄道高宮駅に戻り、電車に使って多賀大社にお詣りすることにしました。

高宮駅から5分ほどで、多賀大社前駅に着きました。雪が降り続いています。この日はまだ松の内でしたので、電車も増発されていましたが、乗客はさほど多くなく、2両編成のクロスシートの座席は半分ぐらい空いていました。

近江鉄道は「開業100周年」を迎えたようです。

コミュニティーハウスを兼ねた近江鉄道多賀大社前駅です。神社風の建物です。

参道はすぐにわかりました。駅の左前に鳥居があったからです。これも一の鳥居と同じように、立派な大鳥居でした。

鳥居をくぐって進みます。ここから多賀大社まで、約500mだそうです。歩き始めてすぐ三差路。多賀大社一の鳥居からの多賀道に合流します。左折して進みます。

多賀大社への参道は「絵馬通り」と呼ばれています。多賀大社は「古事記」にも載っている古社で、祭神は伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)です。延命長寿、縁結びの神として「おたが様」と呼ばれ親しまれている神社です。「お伊勢七度(たび) 熊野へ三度(みたび) お多賀様へは月参り」と歌われ、全国からお詣りの人がやってくる神社です。多賀神社のある犬上郡多賀町(人口約8、500人)に、毎年200万人が訪れているそうです。

絵馬通りが右カーブするところに、道標がありました。

「右 本社道  左 京道」と刻まれた、明治19(1886)年建立の道標でした。「京道」は「中山道」を示しています。さて、多賀大社が、全国から200万人という参詣者を集めるようになったのは、坊人(ぼうにん)と呼ばれた神宮寺の社僧たちの力が大きかったといわれています。諸国に出かけて多賀大社のお札を配り、曼荼羅の絵解きをしながら多賀信仰を広めて行きました。

多賀大社に近づいた頃、絵馬通りの左側に「かぎ楼」がありました。木造3階建ての、紅い弁柄で塗られた壁が印象的な建物です。かぎ楼の前にあった「案内」によれば、元禄2(1689)年創業の料理旅館で、江戸時代は「鍵屋」、明治から大正期には「かぎ屋」、昭和になってからは「かぎ楼」と屋号は変わりましたが、営業を続けてきました。まさに、「楼」を思わせる姿を今にとどめています。国の登録有形文化財に登録されています。

多賀大社鳥居前のおみやげ店の湯煙は、この地の名物「糸切餅(いときりもち)」を蒸す湯気です。中世、襲来した蒙古軍と戦ったとき勝利したお祝いに、団子に蒙古軍旗の赤青の線を描き、弓の弦(つる)で切って神前にお供えしたものが、この地に伝わってきたといわれています。糸で切ることから糸切餅と名づけられました。

参拝客は少ないと思っていましたが、糸切餅を求める多くの人の姿がありました。

多賀大社の鳥居をくぐり境内に入ります。多賀大社は江戸時代の寛永15(1638)年、本殿など多くの社殿が造営されました。そのときにも坊人たちの活躍があったようです。現在の本殿は、昭和5(1930)年に改修されたものです。

鳥居をくぐった先にあった”そり橋”です。豊臣秀吉が母の北の政所の病気平癒を祈願して多賀大社に1万石を奉納したことから、「太閤橋」とも呼ばれていますが、形からいえば「太鼓橋」です。社殿が造営された寛永15(1638)年に築造されたといわれています。そり橋は「神橋」であり例祭のときお御輿が渡ります。「危険」ということで、参詣者は通行禁止になっています。

神門です。近江鉄道の電車で来た人はさほど多くありませんでしたが、多賀大社には、たくさんの人が参詣していました。神門から拝殿、本殿が直線に並ぶ造りになっています。

拝殿です。本殿は、拝殿と回廊で囲まれたこの先にあります。雪でよくわかりませんが、神門、拝殿、本殿ともに檜皮葺でした。

拝殿の脇にあった寿命石です。源平の戦いで焼失した東大寺大仏殿の再建を進言した俊乗坊重源は、60歳を超えた養和元(1181)年、後白河法皇から再建の大勧進職に任ぜられます。すでに高齢であったため、寿命守護を祈るため、多賀大社に参詣し、満願のとき「莚」の字の虫食いのある柏の葉を授かりました。20年の延命(「莚」の字は「廿(にじゅう)」と「延」からなっています)を得た重源は、再建の大願を果たすことができたそうです。そのときのゆかりの石がこの寿命石だといわれています。この頃にはすでに延命長寿の神として全国に知られていたようですね。

多賀大社の門前にあるおみやげ店です。正面に、しゃもじが飾ってあります。多賀大社ではお守りとして、しゃもじを授けられます。「おたがしゃくし(お多賀しゃくし)」の習わしです。「お玉杓子(おたまじゃくし)」の名の由来と考えられています。

おみやげ店で買ったしゃもじです。「寿」と書かれています。延命長寿できれば嬉しいです。

多賀大社は、伊邪那岐大神と伊邪那美大神をお祀りしています。伊勢神宮内宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしているため、「お伊勢参らば お多賀に参れ お伊勢お多賀のお子じゃもの」と言われています。「古事記」では、天照大神は伊邪那岐大神と伊邪那美大神のお子と書かれているからです。

延命長寿と縁結びを祈るため、年間200万人の参詣者があるという多賀神社を、初めて訪ねました。多くの人に信仰され愛されている神社でした。







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