トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

青春18きっぷのポスターの駅、JR小歩危駅

2019年01月31日 | 日記

「小歩危(こぼけ)」の駅名標とその後ろにある断崖を撮影しました。このアングルから広角に撮影した写真に、「『歩くと危ない』という名は、山が険しいからでしょうか。渓谷に見とれてしまうからでしょうか。」というコピーが添えられた青春18きっぷのポスターが、平成29(2017)年の夏に、全国のJRの駅に掲示されました。このポスターに使用されたのは、JR土讃線の小歩危(こぼけ)駅でした。

大歩危(おおぼけ)・小歩危とよばれる吉野川がつくった美しい渓谷の中にある小歩危駅を訪ねるために、JR阿波池田駅で、土讃線の高知行き、ワンマン運転の普通列車に乗り継ぎました。単行の気動車(1014号車)は、定時に出発しました。

阿波池田駅を出て、三縄駅を過ぎると、次は、以前訪ねたログハウスの待合室があるJR祖谷口駅(「ログハウスの待合室がある駅 JR祖谷口駅」2019年1月17日の日記)です。

次は、以前訪ねた「狸の駅舎」で知られる阿波川口駅(「やましろ狸が迎える駅、JR阿波川口駅」2019年1月11日の日記)に停車。阿波川口駅を出発すると、すぐに銅山川に架かる伊予川橋梁を渡ります。

銅山川は愛媛県四国中央市から、ここまで東(右から左)に向かって流れて来ましたが、伊予川橋梁の左側付近で吉野川に合流します。その後、三好市池田町付近で、東に流れを変え徳島市に向かって流れて行きます。伊予川橋梁の先には山城谷トンネル(2,178m  昭和25=1950年1月4日開通)の入口が見えます。土讃線は、このトンネルが完成するまでは、左側の吉野川に沿って小歩危駅へ向かっていました。土讃線の阿波池田駅から土佐山田駅間は、豪雨による土砂崩れや地滑りなどの被害をたびたび受けてきたため、トンネルの掘削によってルートの変更が行われたところです。山城谷トンネルはその先駆けになったトンネルでした。

山城谷トンネルからは大小6つのトンネルを抜けて進んで行きます。最後の「第2小歩危トンネル」を抜けると小歩危駅のホームが見えました。阿波池田駅から20分ぐらいで、列車は、左側の1番ホームに停車しました。小歩危駅は徳島県三好市山城町西宇(にしう)に設置されています。阿波川口駅から4.7km、次の大歩危駅まで5.7kmのところにありました。

私が下車すると、列車は、次の大歩危駅に向けて出発して行きました。小歩危駅は、昭和10(1935)年、三縄駅と豊永駅間が開業し、起点である多度津駅と窪川駅間がつながったときに、「西宇駅」として開業しました。現在の「小歩危駅」と改名したのは昭和25(1950)年10月1日のことでした

下車した1番ホームから見たホームの全景です。相対式、2面2線のホームでしたが、駅名標があるだけの簡素なつくりでした。2番ホームの後ろの急斜面に数戸の民家がありました。対面する2番ホームへは、大歩危駅方面の端にある構内踏切で移動するようになっています。しかし、実際には、この駅に停車する普通列車は上りも下りも1番ホームに停車することになっています。

小歩危駅に滞在中に、高知行きの特急”南風”が2番ホームを通過していきました。通過列車は2番ホームを上り下りともに使用する一線スルーの構造になっています。

1番ホームから見た小歩危駅の阿波川口駅方面の光景です。土讃線に沿って走っているのは国道32号(徳島北街道)。道路沿いの民家の右側には吉野川の深い渓谷があります。

”WELCOME JR小歩危駅”という看板があるJR小歩危駅の駅舎です。駅舎は改修されていますが、昭和10(1935)年の開業時の木造駅舎だといわれています。

ホームから駅舎に入ります。小歩危駅は、昭和45(1970)年から無人駅になっています。ベンチが1脚置かれただけのシンプルな駅舎です。

駅舎内にあった時刻表です。近くに、平成31(2019)年3月16日のダイヤ改正で「6時20分発の大歩危・高知方面行きの下り列車
は廃止されます」という掲示がありました。阿波池田駅から高知方面に向かう普通列車は、昨年(平成30年)3月17日のダイヤ改正で、阿波池田駅を9時31分に出発する列車が廃止されました。そのため、阿波池田駅を7時20分に出発する列車の次は、11時57分発の列車まで無く、特急列車が通過する駅に行くにはすごく不便になりました。この3月に、さらに1本が廃止されると、地域間輸送は、さらに不便になっていくのではないでしょうか。

駅舎からの出口は、左側にあるトイレの脇を左に進んだところにあります。

駅舎から外へ出ました。大歩危駅方面に進みます。構内踏切がありました。上り列車に乗車する人はここから「上りホーム」に向かうようになっています。

その先の光景です。幾重にも続く四国山地の山々を背景に国道や土讃線の線路が続いているのが見えます。踏切に向かう道も見えます。

右に向かって行くとその先に小歩危踏切がありました。踏切の先は、急峻な断崖の上の集落に向かう道が続いています。

駅舎に帰って来ました。駅舎の脇を抜けて国道に下りることにしました。国道沿いの民家がずいぶん下に見えます。

駅舎の阿波川口駅方面の階段から国道に下りました。下ってきた急な階段をふり返って撮影しました。想像以上の高い所に駅舎があります。断崖を削って線路や駅舎を設置したことがよくわかります。

阿波川口駅方面に向かって国道を歩きます。右側に、現在は閉店していますが、「鮎 あめご 姿寿し料理」と書かれた看板のあるお店がありました。かつては、大歩危・小歩危の渓谷を訪ねる観光客が立ち寄っていたことでしょう。

その先に土讃線のトンネルがありました。小歩危駅に到着する直前に抜けてきた、第2小歩危トンネル(全長62m)でした。

小歩危駅に戻ってきました。小歩危駅に来たらどうしても見て帰りたい風景がありました。大歩危駅方面に向かって歩きます。右側の崖の上を土讃線が走っています。

国道の左側に、吊り橋の支柱が見えました。その脇に「赤川橋」の石標と「赤川庄八翁顕彰碑」がありました。以前訪ねた土讃線祖谷口駅でも、この人の顕彰碑を見たことを思い出しました。

以前訪ねた祖谷口駅付近で吉野川を渡る大川橋です。土讃線が開通する前、祖谷口駅の地元、当時の三好郡山城谷村、三縄村、東祖谷村、西祖谷村の人たちにとって、祖谷口駅を誘致することは悲願ともいうべきものでした。駅の設置を陳情した鉄道省からの回答は「吉野川に架橋することを条件に駅の設置を許可する」というものでした。このとき「地元の林業家、赤川庄八翁が個人で5万8千円をかけて架橋し、昭和10(1935)年、土讃線祖谷口駅が開業したとき、同時に大川橋も開通しました。2代目赤川庄八翁は、大川橋を池田町に寄付し町道になりました」(顕彰碑)。

ここ赤川橋の脇の顕彰碑には、「赤川庄八翁は文久2(1862)年、川崎(現、三好市池田町川崎)生まれ。明治14(1881)年酒造業を創業し、その利益で、明治32(1899)年から国見山で林業を始めた」、「大正12(1923)年には、国見山造林橋を架橋し」、「昭和43(1968)年には、西宇地区の人々に飲料水を提供するため、簡易水道を設置する用地を提供し」、「平成17(2005)年、造林橋と林道を山城町に寄付された」と書かれていました。「人のために尽くすことに厚い」(顕彰碑)人だったそうです。

赤川橋がある辺りの吉野川には、小歩危峡と呼ばれている美しい渓谷が続いています。「ほけ」「ほき」という言葉は、「渓流に臨む断崖」を表しています。「崩壊(ほけ)」とも書くそうです。「ほけ」に「歩危」という字をあてはめたのは、明治6(1873)年の地租改正の際に、当時の三名村(昭和61=1956年9月30日に山城谷村と合併して山城町となりました)が「小歩危」と標記したのが始まりだったようです。そして、これに合わせて、後に、「大歩危」とも標記されるようになったそうです。

小歩危駅から20分ぐらいで、三好林業センターの建物の脇を通過しました。

林業センターの先で、国道32号は大きく右にカーブします。まっすぐ坂を上っていく道との分岐点になっています。

国道を右にカーブして歩きます。その先で、土讃線の線路の下をくぐります。

その先に「ここから 剣山国定公園 大歩危峡」の標識がありました。吉野川は、小歩危峡から大歩危峡に入ったようです。

少し先まで歩いて振り返って撮影しました。これが見たかった景色です。土讃線の第二吉野川橋梁でした。第二吉野川橋梁は、大歩危駅・小歩危駅間で唯一の橋梁でした。昭和10(1935)年、土讃線の三縄駅・土佐山田駅間が開業したときに開通しました。中央部の雄大な曲弦ワーレントラス(78メートル)と9基のプレートガーターをつなげた全長250メートルの橋梁です。それを支える橋脚は、最高30メートルの長さだそうです。美しい渓谷と調和した優美な姿の橋梁でした。

国道32号の先には、大歩危洞門の入口がありました。ここから引き返します。来るときに国道が右カーブした地点まで戻りました。

そこから坂を上がりきったところが、温泉施設「サンバリー大歩危」の広い駐車場でした。そして、正面に第二吉野川橋梁の優美な姿が見えました。そこで思い浮かんだのが、第一吉野川橋梁でした。第一吉野川橋梁(全長170メートル)は、土讃線の箸蔵駅と佃駅の間の吉野川に架かっています。第一、第二の二つの吉野川橋梁は、同じ昭和10(1935)年に架橋されており、中央部の曲弦トラス(78m)の前後にプレートガーターをつなげた、同じ構造になっています。中央部の曲弦トラスは、どちらも同じ川崎造船製で長さも重さも同じなのだそうです。ちなみに、JR高松駅とJR徳島駅を結ぶ高徳線には「吉野川橋梁」が架かっています。

青春18きっぷのポスターに使われた駅だからと訪ねたJR小歩危駅でしたが、木造駅舎があるだけのシンプルなつくりの駅でした。大歩危機駅との間で吉野川を渡る第二吉野川橋梁の優美な姿が印象に残った、JR小歩危駅への旅でした。




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