トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

高架工事中の私鉄最古の駅、南海電鉄浜寺公園駅

2017年11月11日 | 日記

南海電鉄浜寺公園駅の現在の姿です。現在も使用されている私鉄の駅舎の中で、最も古いとされています。明治40(1907)年8月20日に、現在の「浜寺公園駅」と改称された時に建て替えられた、2代目駅舎です。それまでは「浜寺駅」と呼ばれており、明治30(1897)年10月1日に、南海鉄道(当時)が、堺駅と佐野(現在の和泉佐野)駅間を開業させたときに開業しました。

写真の浜寺公園駅は、明治時代から大正時代にかけて、日本銀行本店、日本銀行京都支店、中央停車場(東京駅)や大阪市中央公会堂(中之島公会堂)などの国の重要文化財に指定されている多くの建築物で知られる建築家、辰野金吾の設計によるものです。洋風の木造駅舎で、柱、梁、筋違(すじかい)などをそのまま外部に移し、その間に石材、れんが、土、壁などを入れたいわゆる”ハーフ・ティンバー工法”と呼ばれる様式です。1450年頃から100年ぐらいの期間、イギリスで流行した工法だそうです。なお、浜寺公園駅は、辰野が設計した駅舎の中で、最初に手がけたものだったそうです。現在、駅舎周辺は、南海本線の連続立体交差(高架化)工事が進行しています。工事終了後、この駅舎は、高架化に伴って新造される新駅舎の正面に移築されることになっています。

浜寺公園駅は平成10(1998)年、登録有形文化財に登録されました。また、平成12(2000)年には”第1回近畿の駅百選”に選定され、平成14(2002)年には都市景観賞(まち部門)を受賞している、花形駅として広く知られています。現在は、木造駅舎の右前方に設置された仮駅で、営業されていますが、計画では、平成40(2028)年3月末に、高架駅として開業することになっています。写真は、手前のマンションの向こう側に設置されている仮駅と浜寺公園駅の姿です。

浜寺公園駅の前には、白砂青松で知られた浜寺公園が広がっています。江戸時代に、地元5ヶ村の村人によって防潮のために植えられた松林が、この地を治めていた田安家によって、明治になって新田開発のために伐採されていきました。その伐採は、明治6(1873)年、松林の消滅を惜しんだ大久保利通の尽力で停止され、その年の12月に日本で最初の公立公園として開園したのが浜寺公園でした。今も、広々とした敷地に松林の姿を見ることができます。

浜寺公園周辺は、大正から昭和の初めにかけて別荘地として開発され、浜寺海水浴場も開かれ、レジャースポットとして発展しました。訪問客の足としての役割を担ったのが阪堺電軌阪堺線でした。南海電鉄浜寺公園駅から浜寺公園に向かって歩くと、浜寺公園の入口の信号交差点の右側に、阪堺電軌阪堺線の終点、浜寺駅前停留場がありました。

多くの観光客に愛されたのが「松露だんご」でした。浜寺公園駅前の通りが様変わりしている中、今も阪堺電軌の浜寺駅前停留場の向かいにありました。

阪堺電軌の浜寺駅前停留場では、電車が出発を待っていました。新型車両1001形車です。平成25(2013)年8月25日にデビューした新型車両です。まず目を奪われるのは、正面の傾斜した全面ガラスです。平成29(2017)年に「グッドデザイン賞」を受賞した車両です。「先頭部をスラント(傾斜)させて、プラットホームから見た圧迫感をなくしたデザインと、堺市の町並みに溶け込むカラーリングが評価された」そうです。

阪堺電軌にはカラフルな車両が揃っています(「あべのハルカスとカラフルな阪堺電車」2014年1月16日の日記)。どんな電車が来るのかと到着する車両を待ちます。青い電車が見えました。すると、1001形の電車が出発して行き、少し先ですれ違いました。左が1001形車両、右がやって来た607号車です。

引き返して、南海浜寺公園駅に戻ります。仮駅の改札口です。駅員の方が勤務されていました。改札口の右側に駅事務所、正面にトイレがあります。入ってから左に向かって進むとホームへの階段があります。

改札を入ったすぐ右側には、時刻表、運賃表が掲示され、自動券売機が設置されていました。

同じ所に掲示されていたJR連絡運賃の掲示です。南海電車からJR環状線に乗り換えて、JRの各駅に向かう運賃が示してありました。

写真の右側からホームに出ました。難波方面に行く電車が停車する、改修中の3番ホームです。かつての改札口も、このあたりにありました。

駅名標です。諏訪ノ森駅から1.0km、羽衣駅へ0.7kmのところにあります。浜寺公園はこの両駅の間に広がっています。また、1日平均乗車人員は4,246人(2015年度)で、南海全線で、57番目の駅だそうです。

木造駅舎のある部分を超えたところのホームの状況です。線路の先は和歌山方面です。

難波方面行きのホームです。ホームの先が切り欠きになっています。線路は、右側から2番線、3番線、4番線になっています。4番線は、3番線から切り欠き部分に入っていくような構造になっています。4番線のある4番ホームから発車する列車の発時刻を見ると、朝と夕方に集中しており、日中にこのホームから出て行く列車はありませんでした。

ベンチの前から難波方面を撮影しました。和歌山方面行きのホームは難波方面りにつくられています。難波方面から来た下車客は、ホームから下って、手前からもう一つ右側にある線路(1番線)を渡って、写真の右端にある改札口に向かう構造になっています。

難波方面側の線路とホームの状況です。浜寺公園駅のホームは2面4線になっています。1番線は右側のホームの先から2番線に合流しています。両端の1番線と4番線は、優等列車の待避線として使用されていて、日中は、2番線と3番線が主に使用されています。

ホームから階段を下りて、向かい側の和歌山方面行きのホームに上がりました。難波方面行きのホームの上に、洋風木造駅舎の屋根が見えます。手前に3番ホームの切り欠き部分が見えています。

和歌山方面行きのホームです。こちらは1番ホームです。ホームのほぼ中央部にあった木造の待合室です。これも、開業時の面影を色濃く残しています。
 
待合室の内部です。木造の仕切りのついたベンチ、天井の格子と天窓のデザイン。
 
腰板とドアの取っ手、取っ手は長年遣い込んだことがわかります。

ドアの下にはレールがありません。ドアは吊り下げ式になっていました。

1番ホームを改札口の方に向かって歩きます。その先に、改札口に向かう構内踏切があります。

1番ホームから構内踏切を歩いて改札口へ向かいます。踏切には遮断機がついていました。

和歌山方面側の駅舎です。自動改札機、自動券売機も設置されています。こちらの駅舎には、駅員さんはいらっしゃいませんでした。駅舎の後方には自転車の駐輪場がありました。そこには、職員の方が勤務されていました。

浜寺公園駅を訪ねました。東京駅とともに辰野金吾の設計による駅舎であり、国の登録有形文化財にも登録されています。現在、高架化工事の進行中であり、近くで見ることはできませんでした。物足りない、消化不良みたいな旅になってしまいました。

次に、駅舎としての機能を回復するのは、平成40(2028)年。11年も先のことです。改修工事の終わった暁には、ハーフティンバー様式のむき出しになった柱、梁、筋違などの特色ある駅舎の姿を、もう一度見に来ようと思った、浜寺公園の旅でした。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿