風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

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2009年11月01日 | スピリチュアル
今朝は土砂降りの雨の中を家族でお宮参りに行ってきました。
ここのところ休んでいないので、娘と出かけるのも久しぶりです。
だいぶ言葉も覚えて、時々びっくりするようなしゃれたことを言います(笑)。

近々、七五三にも行かなければなりません。
心に残る思い出をいっぱい積み上げて欲しいものです。
娘に関してはこちらも無条件に愛せますが、娘も無条件に親を信頼し、愛してくれています。
無条件というのが実にありがたく尊いものです。
そういう娘も思春期になればあれこれ条件を出し始めるわけですが、ま、それも更なる成長のためのステップです。
楽しいときには楽しみ、苦しいときには苦しみ悩む。
誰もが通った道だから、せめて胸を張って歩んで欲しいものです。

人は自分がしたいこと、出来ることをすればいいんだと思います。
受験にしても、就職にしても、無意味な競争を煽る風潮に巻き込まれて、どうしても競争に明け暮れてしまいがちです。
誰かよりも賢い、誰かよりも美しい、誰かよりも器用だ、際限のない世界に飲み込まれます。
そういう競争世界も無意味ではありません。
忍耐や勤勉や持続力といったあらゆる能力のベースとなるものがそこで鍛えられます。
でも、そこでそういう能力が十分に鍛えられたら、競争世界から離脱しなければならないとぼくは思います。

他人と比べて優劣を競う世界というのは、出口がありません。
どんな世界にも上には上がいますし、下には下がいます。
どこにも胸を張って生きる場所がなくなります。

「天上天下唯我独尊」というのはなにもお釈迦様が威張りくさって言った言葉ではなく、みな一人ひとりが、
お釈迦様と全く同じくかけがえのない尊い存在なのだよと宣言した言葉です。
競争世界においては、勝者は無闇に放逸に権勢を誇り、敗者は自信と生きている意味を見失います。

どんな人も、どんな状況にいようとも、自分が生きている尊厳と自由を手放さないで欲しいです。
誰もが自由です。
心身ともに成長する鍛錬は必要ですが、競争する必要は本来ありません。
誰かに勝つために鍛錬するのではなく、自分の行き方を輝かせるために鍛錬するのです。

自分を弱い存在だと思ったら、競争世界の犠牲者になってしまっています。
勝ち負けの世界では弱者というのが発生しますが、そこを離脱すれば、自由自在の世界が広がっています。

競争世界に巻き込まれて心身ともに疲弊してしまうか、自在の世界に足を踏み入れて大地の気を胸いっぱいに吸い込むか、
あなたの選択しだいです。
誰かが導くのでは決してありません。
あなたが選択する以外に、自由の道はありません。

偉そうに言って、ごめんなさい。

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2 コメント

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Unknown (りのすK)
2009-11-01 21:43:23
20年ほど前に某大手化粧品メーカーのCMで久米麗子さんの言葉で
「人とは争わない。でも自分と闘う」
というものがありました。
忘れっぽいKには珍しく未だ心に残っている言葉です。

闘う「自分」というものがほんの少し見えてきたかな・・・???と、思う此の頃です。

闘う必要が無くなるトコロまで到達するのが究極なのでしょうけれど。


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りのすKさんへ (torut21)
2009-11-02 18:06:14
「自分」とはなにかと問い詰めると、これが「自分」だと思っている「思い」があるだけです。

「自分」を変えることなど出来ないのかもしれませんが、「思い」を変えることならできそうですね。
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