風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

自立と感謝

2007年05月11日 | スピリチュアル
これからはどんな集団も当てにならなくなると思います。
どんな集団に属していても、一人一人の心がバラバラに動いていくように感じます。
別に悪い意味ではないですよ。
どこかの集団に属することで感じることができていた安心感や肯定感が、その効力をどんどん失っていく気がします。

それならそれで、一人一人が自分の心との会話を深めていけばいいんです。
今までは、誰かと繋がることに使っていたエネルギーを、自分と繋がるエネルギーに振替える。
今の時代は、意外と自分と繋がると言う方法論が乏しいものですから、なかなかどうしていいかつかめないかもしれません。

そのあたりは、一概にこれがいいという決定打はないかもしれません。
ある人は瞑想だったり、ある人は祈りだったり、ある人は自分の気持ちを書き連ねることだっりするかもしれません。
いずれにせよ、最終的には深いところで「生きていることの感謝」が生まれることが望ましいと想います。
「生きていることの感謝」がないと、どうしても手放しで自分を肯定することができない感じが残ります。
肯定できてから感謝が生まれるのじゃないかと思うのも当然なんですが、
強欲で迷い深き人間、なかなか自分を丸ごと肯定できる境遇まで進めません。

先祖に感謝し、周囲に感謝し、地球に感謝し、すべての存在に感謝することができれば、
要するに心からいかなる「不安」も一掃されます。
自分の存在が「感謝」そのものになりますから。

口先だけの感謝でも、はじめはしょうがありません。
現代人は心から感謝することが本当にヘタになりましたから。

前にも書きましたが、感謝すれば救われるというのではありませんよ。
これはくれぐれも混同しないで下さいね。
自分が救われるためにする感謝は、他人を利用した利己的な行為です。
大いなる安心には繋がることができません。
本当に心から感謝を感じ、心が充たされることだけが大切です。、

ぼくはある掲示板で知った方法を試していますが、試している最中ですのでまだ書けません。

それから、重要なことは精神世界に逃げこむ口実となってはならないということです。
「感謝」という理念が必要なのではありません。
「感謝が大切だ」といくらしたり顔で言っても、考えても、何にもなりません。
分かった気分になるだけです。
生きているということが、本当に感謝すべきものなのだと「知る」ことが大切です。
それを「知る」ことのできるのは、もちろん身の回りの日常です。
どこかのセミナーや講習会やワークショップではありません。
それらは、何かの入り口を気づかしてくれたり、理念を教えてくれたりしますが、
自らの心から沸き起こる感謝は、自分の日常を、自分の足で歩いていく中にしかありえません。

そして、「自分で歩けること」。
このことに対して、何よりも感謝が大切です。

群れから離れ、自分で歩き始め、そのことが「ありがたいこと」だと知ると、怖いものはなくなります。

自分に嘘をつくのも良くないです。
だれかれに感謝しろって言っても無理な話です。
まずは先祖、親、身内から、あれやこれやを思い出しながら感謝してみることからはじめるのがいいかと思います。

ぼくは明日から21日間の行に入ります。
なぜかとても楽しみです。

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