風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

意識と経験

2008年02月27日 | スピリチュアル
なんか2日同じタイトルでブログアップしてしまいました。
よほど「恵み」という言葉に惹かれていたのかもしれません。

「恵み」は「巡り」ますね。
自分の受けた恵みは、他の人に回すと、次の恵みがやってくるのでしょう。
自分の恵みを躊躇無くどんどん他の人に回すと、気持ちが楽だし、周囲に笑いが絶えなくなるでしょう。
そんな感じになれたらいいです。

恵みというと金銭や衣食住のことを考えてしまいますが、そんなことはなるようになればいいです。
日々何か嬉しいことや美しいことや優しいことを感じたりしたことを分かち合えればお互いにいいでしょう。
そうすると、平凡な日々のあちらこちらに嬉しいことや美しいことや優しいことが散らばっているのに気が付きます。
人々のちょっとした仕草や表情に、空の色に、風に含まれた匂いに、色んな尊いものが含まれています。
それを素直に受け取ればいいだけです。

話は変わりますが、猫や犬といったペットは、「人間を観察する」という目的意識を持って地球に生まれた意識体だという話があります。
人間は人間を経験するために人間に生まれるわけですが、犬や猫は「人間を観察する」という経験を通じて何かを学ぶのでしょう。
そう言われれば、犬や猫がじっとこちらを観察しているような雰囲気を感じることがありますね。
何もかも理解していながら、ものも言わずさりげなく観察している。
その伝で言えば、深海魚なんかというのはなにを経験するために生きている意識体なのでしょうか。
人が思うよりもずっと深遠な目的意識があるのかもしれませんね。

植物の目的意識や鉱物の目的意識というのもイメージを拡げてみると面白いです。
何万年もずっと硬くて冷たいままでいる鉱物に意識があるとしたら、彼らはなにを思っているのでしょう。
或いは何かを思わないという経験をしているのかもしれません。
植物はおそらく地球の意識と完全に同調しているでしょうね。
がけ崩れやブルドーザーで山などを崩した時に、まっさきにセイタカアワダチソウがどこからともなくやって来て、
むき出しの荒地をあっという間に覆い尽くします。
おそらくセイタカアワダチソウは、むき出しの土地を癒す救急部隊の第一班なのでしょう。

梅には梅の役割と意識があり、ひまわりにはひまわりの役割と意識があるのかもしれないと思うと、世界が賑やかなものに思えてきます。

そう考えると、やはり行き着くところは、それでは人の役割と意識はなんなんだということになります。
地球と同調しているどころか、地球を破壊しつつある人間は、どんな意識を経験しにこの地球に生まれてきたのでしょうか。
人は自由自在に「思う」ことが出来ますから、これだという答えを出すことは難しいです。
色々な思いを持ちながら、色々な経験をしながら、一人一人が手探りでその答えを探すしかありません。
一人一人が手探りで探すという経験をしたくて、人間というものに生まれてきたのかもしれませんが。


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2 コメント

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Unknown (もも)
2008-02-28 00:20:21
人間というものに生まれてきた目的というものが何かあるのでしょうか。
きっとあるのでしょうね。
「生かしていただいている」ということに感謝するというのはまだ難しいです。
私には感謝という気持ちが欠落しているようです。

中学生の頃、海の底にじっとしていたいと思っていました。
海底にいても地上の生活は見えるのです。
それを海の底から見ている、そうしていたいと思っていました。
きっと海底の石や深海魚にも意識があって人間を見ているのだと、そんな気がします。
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ももさん (torut21)
2008-02-28 21:43:41
人間の生きる目的ほど難しいものはないかもしれませんね。
何かというと心が肥大しますから。

海の底にじっとしているイメージ、深い平安なような、悲しいような、妙な感じがしますね。
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