風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

悪循環

2005年08月11日 | スピリチュアル
明日からお盆休みを取ります。
こないだ出羽三山に行ったときに墓参りをしたので帰郷はしません。
何かをする予定はありません。
引越しのあとの部屋の後片付けと、鋭気を養うことにします。
この秋は忙しくする予定です。

今まで自分の心地のよい空間に閉じこもってきましたが、
そろそろ外に出ての修行が必要な時機が来たと思います。
具体的に何をどうするということではないのですが、とにかく、外に出るということです。
外に出れば、閉じた空間での快適さもぐうたらさも通用しないのですが、
それは修業と捉えれば、摩擦も不快感も受けていくだけです。
ここ数年、外に出て、何かをする修行をする気にはどうしてもなれませんでした。

人は無為と安楽に落ちますと、好んで妄想に囚われます。
妄想は夢の世界を浮遊するだけです。
現実の流れから、乖離します。
現実の流れから乖離しますと、自分の存在感が限りなく軽く、薄くなります。
現実にある自分ではなく、妄想の中を漂う自分が存在感を増します。

妄想生活に慣れますと、それが妄想だと分かりつつも、現実の流れに戻れなくなります。
現実の流れはあくまでもリアルで、容赦がなく思われてきます。
そんな流れに乗らなければならない自分、乗れない自分が惨めに思えてきます。
自分を惨めに思わないためにも、さらに妄想生活の度合いを深めていくという悪循環にはまります。

そういう循環を断ち切る時が来たと思うわけです。

人の身についた癖というのは、なかなか削ぎ落とすのが難しいです。
削ぎ落とそうといくら考えたところで落とせるものではありません。
癖を直すためには、言語同断に、癖のままに行動する自分を許さないことです。

つまり、無為、安楽、妄想を自分に許さないということです。

無為
何かをすることは、ちょっと考えただけでもたくさんあります。「めんどくさい」、「まぁ、いいや」という言葉で、
今までは片っ端から葬ってきただけです。
しようと思ったことはする。それだけの世界に戻ることです。

安楽
本当の意味での安楽などではないのですが、他者と関わる煩わしさ、目標に到達する面倒くささ、
「しなければいけない」という思いのうっとうしさ、そんなものから逃避したところにある安楽さです。
こんなものは、怠惰としか名づけようもないことなので、ゴミ箱に捨てればいいのです。

妄想
これは根が深い癖です。どこまでが妄想で、どこからが現実だなどと言い出すと、それこそ妄想の洪水に
溺れますので、これは「禅」の修業の手助けを仰ごうかと思っています。

どこまで阿呆なんですかね。
中学生か>おれ

ま、とにかく、不毛のサイクルから抜け出すべく、この夏、一歩を踏み出してみます。

というわけで、16日まで、ブログもお休みします。
皆様も、有意義なお盆休みを!






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