風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2005年05月02日 | スピリチュアル
人は常に間違い、間違いを誤魔化すために悩みます。
正しい感じ方をせず、正しい話し方をせず、正しい聞き方をしません。

自分の都合にとらわれ、相手の思惑におもねり、人々の間の力関係を計算し、
そのまま、あるがままの姿を捻じ曲げ、歪めます。
自分が世界を歪めておいて、世界が歪んでいると不平を言い、泣き言を言います。

世界は見る人によって、まるきり違って見えます。
意地悪な人には、世界が意地悪い策略で満ちているように見え、
びくびくしている人には、世界がおそろしいものに見えます。
絶望している人には、世界は凍りついた暗黒に思われ、
だらしのない人には、世界はあまりにも機械的に動いているように思われます。

世界を移す鏡が汚れていれば、
世界が汚れて見えるのです。

人は鏡。
赤ん坊の穢れを知らぬ鏡には、何を見ても、きらきら光るワンダーランドが映し出されます。
すべてがパワフルで、興味深く、おいしそうで、何にでも触って、なんでも口に入れようとします。

そういう赤ん坊の鏡も、見る見るうちに汚れて、歪んでいきます。
時々拭いて、両側から引っ張って歪みを取ればいいのですが、
汚れるまま、歪んだままで放りっぱなしにされます。
物心がついたころには、十分に汚れ、歪んで、自分の鏡に写った世界を悲観します。

そのうち、穢れ、歪んだ世界がありのままの世界だと思うようになってしまいます。
まっすぐに映った世界というものを、胡散臭げに遠ざけます。

そうして穢れ、歪んだ人間同士が、穢れ、歪んだ世界を映しあいます。

今夜、鏡の前に立ち、ぼくは何をそこに見るのでしょう。
目を逸らして、苦笑するしかなさそうです。


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