風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

清清しさ

2007年08月30日 | スピリチュアル
神道っていざ説明しようとするとなかなか言葉が見つかりません。
ありきたりの抽象論を並べてみても、今ひとつピンと来ません。
アニミズムなどという学説を持ち出すと、さらに実像からかけ離れていきます。

そんなこんなでぼんやり考えてたら「清清しさ」という言葉が頭に浮かんできました。
よく手入れのされた神社の境内に充ちているあの気ですね。

人生いろんなことを経験するうちに誰でも心が曇ったり、翳ったりします。
そんなときにはくよくよせずにそんな陰気を「祓って」、清清しい気を取り戻す。
そんな場所が神社であり、そんな風な発想でシンプルかつ明朗な道を説くのが神道であるかと。

大抵の宗教の教義は「~せよ」「~すべからず」という戒律をその教義の根本におきますが、
神道では「くよくよするな、明るく爽やかに生きよ」という暗黙の道風があるように思います。

くよくよせず、明るく爽やかに生きるためには、自ずとそれに即した生き方というのが出てきます。
自我や執着に囚われ、理屈に囚われ、あれやこれやに囚われていては明るく爽やかには生きられません。
何事にも囚われず、恵みが巡る天の摂理に感謝し、楽しく生きることが神道の説く道だろうと思います。

「明るく爽やかに生きよ」という言葉は、もの凄くシンプルなわけですが、
その境地に生きるには様々なことを学び、感じ、体験しつくして到達できる境地ではあります。
人は誰しも生まれ下りて成長する過程で、自我を肥大させ、勘違いを募らせます。
その勘違いに深く気が付いて、改めて天を仰ぎ、身の回りの自然の恵みに気が付く時、
シンプルに「明るく爽やかに生きる」ことのありがたさを思い知るのかもしれません。

仏教では膨大な理論体系を持って、人が生きる過程で回避することの困難な「勘違い」を思い知らせ、
正道とはかくなるものぞと叩き込もうとします。
それに比して、神道では「明るく爽やかに生きよ」と無言で言います。
かなり高度な教えであると思いますが、素直な心の人にはこれほどシンプルな教えはないかもしれません。

日本の神様は素直な心持ちの人間がお好きだと聞いたことがあります。
素直な「気」は「清清しさ」に通じますね。
日本の国民はお人よしとはよく言われてきた国民性です。
ですが、昨今のニュースを見ると、お人よしどころか、なんというかグロテスクな国民が増えて来ている気がします。
「清清しさ」の反対の「禍々しさ」を感じることも多々あります。

ま、そんな中でも、どうにか道筋を見出して、明るく爽やかに生きられたらいいなと、ぼくは思っています。

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