風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

ふるさと

2010年07月02日 | 雑感
ふと思う。
ふるさとってなんだったんだろうかと。

親に心が膨れる。
兄弟姉妹に心が膨れる。
親戚縁者に心が膨れる。
見なれた山や川や田んぼや話に心が膨れる。

そして、そういう風景の上を流れていた雲を思う。

それは匂いであり、音であり、味であり、温度であり、感触だった。

五感六感のすべてを膨らまし、人は生きていく。

五感六感のすべてが幻想だと気がついた時に、人はうろたえる。
あれほどリアルにうダイレクトに迫ってきていたふるさとが、ただの幻だったのかと。

そのうちに思う。
幻は幻で尊いものだと。
幻を追求する映画が尊いように、自分が放映する幻もまた尊いものだと。

幻に良いも悪いもありえない。
どんな幻を生き切るか。

幻にとらわれていたなら、風の声は聞こえない。
風の声を聴こえるのなら、幻は幻ではなくなる。
なにかが何かのために大切なのではなく、何かが何かでいること。
誰がなんといおうと、自分という架空の存在が、自分というリアルな存在になること。

それが幻とリアルとの架け橋。
面倒くさい架け橋。
それでも、神仏と人をつなぐ架け橋。
現実と自分をつなぐ架け橋。

その架け橋が繋がった時に、その橋の先にはなにがある。
懐かしい匂いがあり、音があり、味があり、温度があり、感触がある。
ふるさとはそこにあったのだと、思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿