風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

父親参観日

2010年06月20日 | 雑感
今日は娘の幼稚園の父親参観日でした。
大きな口を開けて、「お父さんありがとう」の歌を歌ってくれました。
なんだか照れますが、大きな喜びが胸に広がりました。

まだ3歳児ですから、発育の度合いもマチマチで、しっかりした子もいるし、終始泣いている子もいます。
うちの娘は人の所作をいちいち観察していますが、他の子は一心に自分の行動に集中している感じです。
親に対する甘え方も子供それぞれです。
べったり甘える子もいれば、さらっとしている子もいます。
見ていてあきません。
通園用の上着を室内用に着替えるわけですが、モタモタと手間取る子、テキパキと畳む子、いろいろです。
前後さかさまに来て、わけが分からなくなって先生に着替えを手伝わせる子もいます。

家庭で見せる表情とはまた違った一面を子どもたちは見せます。
先生の一声できちんと一列に体育坐りをします。
スズメの子らが一列に並んでオシクラ饅頭をしているようですが、それでも一応集団のルールをもう身につけ始めています。

親子で一緒に工作物を作って終わりでしたが、なんだかほのぼのした幸せな時間でした。

誰かの子どもでいることも幸せでしょうが、親でいることも幸せなことです。
それが幸せなことに感じなくなると、さぞかし心が痛むでしょう。
思春期になって、親離れが始まりますと、親に反抗的・否定的なるのは自立の過程として仕方がないことではあります。
でもどんなに親に否定的・反抗的になろうと、このほのぼのとした幸せな時間を共有していたことは忘れずにいられたらいいです。
親は忘れないでしょうが、青年期を迎えた子は時として自分の迸る不安定な感情や情動に突き動かされて、
親に対して理不尽で冷酷な仕打ちをしてしまうものです。
それでも、どんな仕打ちをされようが、親は子を信じ見守り続けます。
そんな親の心を知らずに大人になった子たちが、やがて親となり、初めて親の思いを思い知ることになります。

そういうことを全部含めて、幸せなことです。
たとえ誰かの親になることがなくても、誰かの子であったことは幸せなことです。
人として生まれるということは幸せなことです。