秋晴れが続き、湯豆腐の季節になりました。
湯豆腐自体というのはそれほど味があるわけでもなく、ただ湯豆腐を食べているというシチュエーションが好きなのかも知れません。
昨夜は嫁と娘が実家に帰っていましたので、一人でサンマを焼いて食べました。
テレビは娘が倒して壊してしまいましたので、しんとした部屋でサンマを食べながら悦に入りました。
どういうわけかこういう状況がとても好きです。
そのあとは布団に寝転んで、窓から吹き込んでくる涼しい風を感じながら読書三昧でした。
三昧(さんまい、Samādhi, サマーディの音写)とは、仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、
精神集中が深まりきった状態のこと。サマーディは三摩提、三摩地などとも音写される。
定(じょう、サンスクリット:samaadhi、音写:三昧)は、仏教用語で、心を一処に定止して、
散ることなく乱れることがない状態を表す。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンスクリット語の「サマーディ」の中国語への音写が「三昧」で、意訳が「定」ということになりますね。
要は、心の波が静まりきって、「本来の面目」が顕れようかという境地です。
レベルの高い覚者になりますと、日常生活の一つ一つの行為も三昧の境地になるのだそうです。
歩行三昧、用便三昧、食事三昧、書き物三昧、すべてが三昧の境地になるのだそうです。
酒三昧や湯豆腐三昧とは分けが違います。
心が物欲しげにあちらこちらをキョロキョロしません。
話は変わりますが、熊谷守一という画家がいました。
自宅の庭をうっそうとした植物が生えるがままに放っておき、そこに極めて原始的な池を堀ったりして、
そのに住み着いたカエルやらトンボやらアリやらなんやらを日がな一日観察していた仙人みたいなおじいさんでした。
観察というのは言葉が当たっていないように思います。
小動物や小鳥や葉っぱと一緒に呼吸を重ねていたんだろうと思います。
彼の大事な宝物は、庭で拾った何の変哲もない石ころでした。
彼は石ころに生命を見ていました。
石というのも、エネルギーの塊です。
生命とはエネルギーが流れ続けることであるならば、石も確かに生命体です。
石に流れるエネルギーの速度が動植物のそれのエネルギーより遥かに緩慢だというだけです。
写真で観ると、熊谷守一の目は、聖人の目と一緒です。
澄んだ好奇心に満ちています。
きっと虫や小動物と石ころとさえ一体の三昧境を楽しんでいたのだと思います。
湯豆腐自体というのはそれほど味があるわけでもなく、ただ湯豆腐を食べているというシチュエーションが好きなのかも知れません。
昨夜は嫁と娘が実家に帰っていましたので、一人でサンマを焼いて食べました。
テレビは娘が倒して壊してしまいましたので、しんとした部屋でサンマを食べながら悦に入りました。
どういうわけかこういう状況がとても好きです。
そのあとは布団に寝転んで、窓から吹き込んでくる涼しい風を感じながら読書三昧でした。
三昧(さんまい、Samādhi, サマーディの音写)とは、仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、
精神集中が深まりきった状態のこと。サマーディは三摩提、三摩地などとも音写される。
定(じょう、サンスクリット:samaadhi、音写:三昧)は、仏教用語で、心を一処に定止して、
散ることなく乱れることがない状態を表す。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンスクリット語の「サマーディ」の中国語への音写が「三昧」で、意訳が「定」ということになりますね。
要は、心の波が静まりきって、「本来の面目」が顕れようかという境地です。
レベルの高い覚者になりますと、日常生活の一つ一つの行為も三昧の境地になるのだそうです。
歩行三昧、用便三昧、食事三昧、書き物三昧、すべてが三昧の境地になるのだそうです。
酒三昧や湯豆腐三昧とは分けが違います。
心が物欲しげにあちらこちらをキョロキョロしません。
話は変わりますが、熊谷守一という画家がいました。
自宅の庭をうっそうとした植物が生えるがままに放っておき、そこに極めて原始的な池を堀ったりして、
そのに住み着いたカエルやらトンボやらアリやらなんやらを日がな一日観察していた仙人みたいなおじいさんでした。
観察というのは言葉が当たっていないように思います。
小動物や小鳥や葉っぱと一緒に呼吸を重ねていたんだろうと思います。
彼の大事な宝物は、庭で拾った何の変哲もない石ころでした。
彼は石ころに生命を見ていました。
石というのも、エネルギーの塊です。
生命とはエネルギーが流れ続けることであるならば、石も確かに生命体です。
石に流れるエネルギーの速度が動植物のそれのエネルギーより遥かに緩慢だというだけです。
写真で観ると、熊谷守一の目は、聖人の目と一緒です。
澄んだ好奇心に満ちています。
きっと虫や小動物と石ころとさえ一体の三昧境を楽しんでいたのだと思います。