風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2006年01月28日 | スピリチュアル
今日だと思っていましたが、明日が旧暦の新年です。
それぞれの人がそれぞれの運に乗って、どんな風な年になるのでしょうか。
良いも悪いもその時々の心の持ち方しだいですから、誰もがよい年であったと言えればいいですね。

さて、最近は滝行がご無沙汰です。
風邪がシツコク体の奥に残っているような感じがしているので、ちょっと控えています。
なんやかやと忙しいのもあります。
来週には一週間出張に出ますし。
でも、時々ふと滝に無性に行きたくなる時もあります。
今が春なら間違いなく行っているのですが(笑)

今、滝の仲間が3人「行」に入っています。
21日行が一人、100日行が二人です。
厳寒の時期の「行」は、掛け値なしの本当の「行」です。
みんな、頑張れ頑張れ、です。
ぼくは、今はちょっと現実世界で頑張らなければならないようです。

「行」が明けるときの気持ちというのは、ちょっと言葉では言い表せないものがあります。
ちょっぴりの誇らしさと、深い満足感と、何よりも感謝というか。
うーん。
その道を通ってみなければ分からない気持ちというのは、やっぱりありますから。
最終日、今まで打たれ続けた滝の姿を見るとき・・・。
うーん、これは人それぞれでしょうし、これ以上は言いますまい。

「行」を再度説明します。
・何があろうがなんであろうが、定められた滝場に必ず毎日行き、滝に打たれる。
・肉、酒、異性を絶つという禁戒を守り抜く。

やり終えてみれば、どおってことがないと思われるのですが、「行」の最中はそうも行きません。
煩悩が波のように高まってくることもあります。
一日も休めないというプレッシャーも初期にはあります。

ま、そのほかにもいろいろあります。
体は確実に慣れていきますが、心は慣れるということがなく、毎日毎日変化します。
そのうちその心の変化も気にならなくなったりもします。
霊的なことがあったり、なかったりもします。
毎日一日として同じということがありません。

滝というのはある意味強烈なだけに、「行」としてはかなり密度の濃いものだと思います。
なかなか得がたい体験であることは間違いありません。

でも、「行」というのは、他人に強いる事が出来るものではないのも確かです。
なんというか、必要性というよりも、「縁」がないと、「行」というのはいることの出来ない世界だと思います。
そのあたりは、もうなんというか、一人一人のケースバイケースで、説明不能です。

とにもかくにも、みなの満行(「行」完遂すること)を心から願うばかりです。