風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

天意

2005年11月30日 | スピリチュアル
なんか月末でばたばたしていて、2日間ブログが書けませんでした。
謝るのも変ですが、すみません。

今度の日曜日には滝の仲間とネネさんたち気功の会のメンバーたちの合同で、高千穂参拝に行きます。
天岩戸神社の川原で禊もします。
高千穂神社でネネさんの巫女舞の奉納もあります。
幣立神社の若宮司さんのお話も聞けます。
なかなか盛りだくさんで、楽しみです。

寺と神社というのは、上手くいえませんが、感じる空気というか、肌合いというか、感触が違います。
寺は内奥に気というかエネルギーが集中していくような感じがあり、
神社は外側にエネルギーが放出されているような感じがあります。
あくまでも漠然とした感じなのですが。

寺にお参りするときは自分の内面から集中力を高めていくような感じがするのに比べて、
神社にお参りするときは自分を全面的にお任せするような感じになります。

ま、あくまでも個人的な感想なんですが。

近頃、本当に節目に立っている人が多いように感じます。
もちろん、ぼくも含めてですが。
身近に会う人会う人のほとんどが次のステップを踏もうとしています。
時の流れ方がちょっと今までと変わってきたのかもしれません。
時の流れが変われば、生き方も修正なり、ステップアップが必要だったりするのは、当たり前でしょう。
上手く修正なり、ステップアップができないと、流れに呑み込まれてしまうこともあるでしょう。

ピンチはチャンスでもあります。
こういうときは、次から次へといろいろなチャレンジがやってくるものです。
臆せず、舐めず、正面から突破していければいいのですが。
胆力が必要ですね。
そういう意味でも、丹田に意識を集中する気功や滝行というものを、有効活用したいものです。

どんなに長いトンネルも、明るい世界に通じていないトンネルはありません。
暗闇の中にいながらも、挫けぬ意思と覚悟で、闇を抜けるためのスピードアップを図り続けるというのは、
口で言うほど簡単ではありません。
簡単ではないからと言って、歩みをやめたら闇から抜け出せなくなります。
下手をすると、どちらへ行っていいのか、方向性を失うこともあります。
そんなときに、傍に導いてくれる人があれば、幸いですが。

流れが変わる時というのは残酷なものです。
人の歩みに流れがあわせるのではなく、流れに合わせて人は歩まなければなりません。
流れとは何かと言えば、一言で言えば、天意ということができるかもしれません。
軽々と天意に沿うて、生きることができれば、言うことがないのですが。

心して高千穂参拝に臨みたいと思います。