風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

コーヒー

2005年11月04日 | 雑感
コーヒーをマグカップで一日5-6杯は飲みます。
それほど飲みたいとも、おいしいとも思わなくなったのですが、惰性で飲みます。
昔、中東あたりでコーヒーが飲まれ始めたときは、コーヒーは滋養強壮の薬でした。
カフェインなのどに対する耐性が弱かったであろう人たちが、初めてコーヒーを飲んだときは、
今で言うところの覚醒剤みたいな効き目があったのかもしれません。

アメリカに滞在しますと、それはもうひっきりなしにコーヒーを飲みます。
ベーコンエッグとトーストの朝食時に2-3杯、会社のデスクで2-3杯、街を歩いて一休みにまた1杯という感じです。
ぼくがアメリカにいた時に、ちょうどスターバックスが全米を席巻中でした。
それまでは、どこへ行っても同じ味のいわゆるアメリカンコーヒーばかりでしたが、
スターバックスが一気にヨーロピアンテイストのコーヒーを世の中に広めていました。

ぼくが語学を学んでいた大学のカフェテリアにも、スターバックスがありました。
街の食堂やカフェテリアでは、普通コーヒー一杯が5,60セントだったのに、
スターバックスのコーヒーは、2,3ドルしました。
立ち飲みなのにずいぶんと割高なコーヒーだったわけですが、それでも大繁盛していました。

Lサイズのカフェラテを買っては、授業中ちびちび飲んでいましたが、誰にも文句を言われませんでした。
ぼく以外のみなが内心どう思っていたのかは知りませんけど(笑)

それで、思い出すのは、ぼくが学生のころです。
喫茶店というのが健在で、何かといえば喫茶店で時間を潰しました。
名曲喫茶やジャズ喫茶も文庫本を読んだり、初めてのデートには欠かせないものでした。
二回目のデートはもちろん焼き鳥屋です(笑)

大抵は煮詰まったまずいコーヒーでした。
夏は冷房が効きすぎて不愉快になるのが常でした。
眉間にしわを寄せて、構造主義の本なんぞを読んでいるのが流行でした。
ぼくも真似してみましたが、ちっとも面白くないことに気がつくのに、そう時間はかかりませんでした(笑)
若くて、かわいいウエイトレスがいる喫茶店が繁盛したのは言うまでもありません。
でも、不思議なことに、実際にウエイトレスと付き合うようになったという話は聞いたことがありません。
気取ったバカ学生の底の浅い魂胆など、見透かされていたのでしょう。
無口で気取っているくせに、スケベというのは、古今東西度し難いものがあります。

そういうふうにして、ぼくはコーヒーを大量に呑みこんできたわけです。
だからどうしたという話でもないのですが。
カフェインに対する耐性は強いです。
コーヒーを飲んだら眠れないなんていうことはありません。

ちなみに、イタリア人のコーヒー(エスプレッソ)の飲み方はかっこいいです。
カフェのカウンターにさっとやってきて、エスプレッソを頼みます。
手際よく出されたデミタスカップのエスプレッソに砂糖を数杯入れ、シャカシャカかき混ぜます。
余計なことをは一切言わず、ぐっと一口で飲み干して、小銭をカウンターにおいて、風のように店を出て行きます。

哲学書を読んでいるフリをしたり、付き合っている女の子の悪口を言ったり、下らない噂話をしたりはしません。
足を組んで、ジャズに合わせてつま先をぶらぶらさせたり、腕を組んで意味もなく眉間にしわを寄せたりもしません。
ウエイトレスをデートに誘うシーンを何度も何度も頭の中でシミレーションしたりもしません。
コーヒーは風のように頼んで、風のように飲んで、風のように去っていくべき飲み物なのです。