風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

水ぶくれ

2005年11月01日 | 雑感
今朝はなぜか目が早く覚めました。
朝刊も読んでしまい、テレビもつまらないので、暇をもてあましました。
と、今日は月初めであることに気がつき、神社にお参りに行きました。
先月もこんな感じで、朝、自然に目が覚め、神社に行ったような記憶があります。
ぼくにとっては自然に早く目が覚めるというのは記憶に残すべきことなのです(笑)

で、たまに早朝の街を車で走りますと、世の中では早くから人々が働いているのがわかります。
ぼくと生きている時間のサイクルが違う人々がこんなにもいることに、いつもちょっと驚きます。←バカ
毎朝、朝日を浴びて仕事に向かう人は、昼頃から、のそのそ店に出る人間とはおのずから考え方が違ってくるでしょう。
長年染み付いた生き方の時間のサイクルというか、リズムを変えるのはなかなか大変です。
習慣を変えるから考え方が変わるのか、考え方を変えて習慣を変えるのか。
どっちでももいいのですが、早起きするたびに、朝日を浴びるのは気持ちいいなぁーとは思うのです。

それにしても、後二月で今年も終わりです。
無駄に年月を繰り返すこと、鬼の如しです。
こんなものだとこの年月を快く受容するか、もっと建設的に生きるか、はっきりしろと言いたいです。>おれ

と、そういうわけで、自宅と店の榊と米と水と塩を取り替え、祝詞を上げました。
こういうところは大いにぼくも進歩しました。

来年には、四国で展示会をすることになりました。
山口方面でも、なんか動くかもしれません。
こうして、人が話を持ってきてくれるのを待っているだけなんですが。

四国といえば、お遍路です。
多分一番札所くらいは回って来れそうです。

人生が水の流れだとしたら、どこをどんな形で流れようとかまわないんですが、澱んではだめですね。
お花畑の中を流れたいとか、高いところを流れたいとかはあんまり思わないんです、ぼくは。
ただ、窪みに溜まって、澱んでしまう癖があるんですね。
澱んで、日向ぼっこというのを好むんです。←あはは

そういえば、ぼくは四柱推命によると、「水」だらけらしいです。
どんな信念も思考も流れ出てしまいます。←大袈裟
こういう偏った要素を過分に持つ者にとって重要なことは、お互いに補えるパートーナーということらしいです。
人の情熱やら、誠意やらに「水」を差してばかりいないだろうかと、ちょっと心配です。
でも「炎」だらけの人と一緒になったら、お互い殺しあって壮絶なことになりそうです。

「水」「土」「金」「木」「炎」がバランスよく配置されるような、人との関係、社会とのかかわりを持てれば、
幸せということらしいです。
水は熱がないと世界を循環しません(海→雲→川)。
木は土と水がなければ生存できません。
木は金属で切られて、有効活用され、薪になり、炎になります。
金属は土を炎で熔かされて生成されます。
すべては持ちつ持たれつです。

水ぶくれ野郎は、そこの所を大いに反省・留意しながら生きていかねばなりません。