風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

褒める

2005年11月16日 | 雑感
今日の日めくりです。

「人間の最大の魅力は その人の成し遂げた仕事である」 ピカソ

ピカソに言われてしまっては、一般ピーポーはぐうの音も出ないわけで。
まぁ、仕事という意味を広義に捉えればいいわけです。
子供を育て上げるのも、作物を作るのも、人間関係を実り豊かなものにするのも、
おいしい料理を家庭で作るのも、みな大切な仕事です。
重要なのは、どんな些細な仕事でも、それをきちんと評価してあげることかもしれません。

なにもみながみんな天才的な仕事をする必要なんてもとよりありません。
食事を作ってくれたら、「おいしい」の一言が。
自分のために手を回してくれたら、「ありがとう」の一言が。
そういう一言を惜しむ人が、結構いるかもしれません。
特に親しい間柄になると、きちんと評価してやることに手を抜きます。

今日の一言(by ピカソ)に従うとすれば、自分のすることが身の回りの人にきちんと評価されれば、
その人は魅力的だあるということになり、自分も身の回りの人もハッピーだということになります。
どんなにこつこついいことを積み重ねても、誰にも評価されなければ、自分の存在価値を確かめることができません。

「褒める」ということが、一般的に日本人は苦手かもしれませんね。
お世辞は言いますが。
欧米人はその辺りは上手いですよ、ほんとに。
ちょっと何かすると、「Good job!」とか「Great!」とか、聞いているこっちが気恥ずかしくなる位に褒めます。
そういう環境でいると、自己承認の感覚が自然と身に備わり、
どこへ行ってもアメリカ人はアメリカ人として振舞うといわれるように、
自信に満ちた態度で過ごせるようになるのかもしれません。
アメリカ人特有のそういう態度は、尊大だとか、傲慢だとか、揶揄される場合もありますけれども。
ぼくは基本的には、自分に自信がないよりも、ある方が好ましいと思います。
自信のなさが深まると、心理的に病的に錯綜してきますから。

学校でも職場でも家庭でも、もう少し褒めあうことを大切にしてもいいかもしれません。
「ありがとう」「上手だね」の一言が、どれだけお互いに救いとなるか分かりません。
きちんと褒めあって、意見はきちんとお互いに言い合うと、他者との関わりにおいて、ずいぶん風通しがよくなるでしょう。

なんでもそうなんですが、手を抜いたらだめなんですね。
特に、人間関係においては、いろいろな考え方やら性格があるもんですから、
なおさら手を抜いてはだめなんでしょう。

別に手を抜かないといっても、なにも複雑なことをして相手に合わせるわけではなく、
「ありがとう」「上手だね」というべき時に言えばいいだけのことなのですが。

でも、最近チェーンレストランやチェーン居酒屋なんかで働く人の中には、
ちょっと驚くくらいに機転の効かない人がいて、どうしても「ありがとう」の一言が出なくなることも、ままありますが。
まぁ、それはそれです。
無理してはお互いによくありませんから。

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