風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

功徳

2005年10月27日 | スピリチュアル
阪神、最後の最後にリズムを取り戻しかけましたが、完敗でした。
ロッテがお見事でした。
阪神の細かいミスが流れを掴みきれなくした原因でしたね。

うーん、書くことがありません。
いろいろ言いたいことはあるのですが、書ける段階にないです。
ぐるぐるいろんなことが頭の中を渦を巻いています。

ある仏教書に書いてありました。
仏様の慈悲と人の優しさとの違いについてです。
子供がどこかに腫れ物を持ったとします。
近頃の母親などは、おろおろしてその腫れ物を撫でさするだけだ。
だから、毒が体内に回ってしまって、家庭崩壊や引きこもりを引き起こす。
それに対して、仏様の慈悲はその膿にメスを入れ、膿を押し流してしまおうとする。
だからこそ、生きるうえでの苦痛は避けられないし、避けるべきものでもない。
一時の苦痛は、因縁を切るためにどうしても必要な痛みなのだ、と。

そういう痛みや苦悩を仏の慈悲と受け止められれば、世の中の見方が違ってきます。
苦しい時や悲しい時は涙を流すしかないのです。
涙を流す人生から遠ざかろうとすればするほど、因縁の波は繰り返し襲ってくるのでしょう。

なまじ仏様と近い慈悲心やら菩提心を起こそうとする人間がいるから厄介なのです。
でも、仏様と近い慈悲心や菩提心がもてるからこそ、人の人生はかくも深くありがたいものにもなります。
この厄介で、ありがたい人生をどう生ききるか。

一人一人の認識と覚悟にかかっています。
抜け道はありません。
抜け道がないことを、仏の慈悲ととるか、不自由ととるか。
厄介な道は続きます。

「願わくば この功徳を以って 遍く一切に及ぼし 我らとみな共に仏道を成ぜんことを」