風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

力量

2005年10月26日 | 雑感
ロッテ、相手を叩きのめすという勝ち方で強いですね。
阪神、今夜はどんな戦い方をするのやら・・・

さて、もう長い間、出来事が起きるままに任せ、自分から事を起こさず、のんびり好きなように生きてきたのですが、
最近、なんだかもったいないような気もしてきました。
欲求不満とかそういうことではなく、もっと動いてみたくなったというか。
一日のうち、店に何人もお客さんが来るわけではありませんから、暇な時間は本を読んだり、
インターネットで遊んだりしているわけですが、なんの不満もありません。
ただ、もっともう一段深いレベルで現実世界と関わりたくなったというか。

まず、お客さんからの相談事がだんだん深刻なことが多くなってきました。
いい加減な受け答えでは済まされなくなってきています。
ノウハウではなく、自分の真剣な受け止めと洞察力が必要とされてます。
人の人生に関わるというのは、重苦しいものです。
その重くるしさを共に背負ってあげようとするのは、傲慢かもしれませんが、必要とされます。
覚悟と自分の力量の冷静な評価が大切になってきます。

問題は力量です。
話半分なら、お釈迦様や、キリスト様の言葉だって言えるのですが、現実の人間の苦しみには、
現実のぼくの力量で答えるしかありません。
それで、ぼくの力量不足のゆえに言葉に詰まることが多々あるわけです。
自分の我や欲や狡さや弱さが壁となって、相手に光に満ちた言葉を返すことができないときがあります。
相談を受けた時点で、相手の苦しみはぼくの苦しみにもなるわけですから、言葉を返せないと、
その苦しみはぼくの心にも残ったままになります。

焦ってもだめですね、こういうことは。
気がついた時点で、一つ一つ自分の心の中にある我や欲や狡さや弱さといった壁を越えていくしかありません。
聖人になることではなくて、自分がそのままで、そのままの言葉を、そのままの態度で出せるようになる必要があります。
いや、必要があるのではなく、そうできるようにありたいわけです。

自分でも贅沢なことを言っているなぁとは思います。
そのままでいいじゃないかともよく言われますが、今のままでは面白くないとぼくは感じます。
自分が怠惰の澱みにどっぷり浸かっていながら、人に手を差し伸べるもなにもないということです。

ぼくの場合、時間ははっきり言ってたっぷりあります。
無為、無駄に時間を過ごすのは得意中の得意です。
人に手を差し伸べたいと思うなら、それはもう、やることがたくさんあります、というか、あるはずです。
長い間怠けていたせいで、何をどうしていいのかが分からなくなってしまっているところがあります。

まず、仕事を立て直す必要が大いにあります。
何を置いても、まずこれから手をつけなければ、何も始まりません。
お金の問題というよりも、生きる上での心の置き方の問題です。

幸い、なんというか、とても暖かいお客様には恵まれてはいるのです。
ぼくがただ甘えてほったらかしにしていました。

なんだかなぁ、書いていて自分で嫌になってきます。
力量だなんだという以前の問題が多すぎて眩暈がするくらいです。
眩暈でふらふらになろうがなるまいが、改善するポイントは目の前に山積みです。

ほんと恥ずかしいです。
手を差し伸べられる必要があるのはぼくだったなんていうのは、笑い話にもなりません。

えいっ!!!!!

気合を入れてみました。