會津藩校日新館は総工費34億円を費やし、1987年3月に完全復元し開館しました。
孔子をまつった大成殿を中心に東館と西館にわかれていて、東館には素読所(小学)、講釈所(大学)がありそのほか、たくさんの校舎がならんでいます。
内部の様子です。
当時の素読所(小学)の様子が再現されています。
藩士の子弟は10才になると素読所に入り、その後講釈所などで文武両道を学びます。
戊辰戦争で自刃した白虎隊の少年たちも日新館の在学生です。
素読(そどく)とは漢文の読み方を教わるところです。
日新館に入学すると、はじめに素読所にはいり、ここで6~7年ほど勉強をし、試験によって その上の 講釈所にはいり勉強を続けます。
優秀な生徒は、この日新館を終了すると、藩の費用で、江戸や長崎に藩の費用で留学することができました。
日新館には天文台、開版方(印刷所)、文庫(図書館)、水練場(プール)といった施設まで完備していました。
山崎闇斎(やまざきあんさい)の像です。
山崎闇斎は江戸時代前期の儒学者・朱子学者・神道家・思想家で、保科正之に賓師として迎えられた人物です。
奥の建物は『講釈所(大学)』で、その当時国内でも最高水準の学問を修める場だったのです。
西館は歴史を伝える展示場があります。
展示場に飾られていた会津戦争に使われたスペンサー銃です。
会津藩士、八重の兄の山本覚馬が長崎でスペンサー銃を購入し、会津に居た妹の山本八重に送ったとされ、八重が戊辰戦争の会津若松城籠城戦でこの銃で奮戦したと伝えられています。
弓道場も再現さています。
現在の日新館弓道場では弓道競技の大会や合宿、研修などに利用されています。
ここに日本初めてと言われる水練水馬池(プール)が再現されているようですが、この大雪では何もわかりません。
日新館を後にし、猪苗代湖へ向かいます。
これがまた大変な経験をします。
孔子をまつった大成殿を中心に東館と西館にわかれていて、東館には素読所(小学)、講釈所(大学)がありそのほか、たくさんの校舎がならんでいます。
内部の様子です。
当時の素読所(小学)の様子が再現されています。
藩士の子弟は10才になると素読所に入り、その後講釈所などで文武両道を学びます。
戊辰戦争で自刃した白虎隊の少年たちも日新館の在学生です。
素読(そどく)とは漢文の読み方を教わるところです。
日新館に入学すると、はじめに素読所にはいり、ここで6~7年ほど勉強をし、試験によって その上の 講釈所にはいり勉強を続けます。
優秀な生徒は、この日新館を終了すると、藩の費用で、江戸や長崎に藩の費用で留学することができました。
日新館には天文台、開版方(印刷所)、文庫(図書館)、水練場(プール)といった施設まで完備していました。
山崎闇斎(やまざきあんさい)の像です。
山崎闇斎は江戸時代前期の儒学者・朱子学者・神道家・思想家で、保科正之に賓師として迎えられた人物です。
奥の建物は『講釈所(大学)』で、その当時国内でも最高水準の学問を修める場だったのです。
西館は歴史を伝える展示場があります。
展示場に飾られていた会津戦争に使われたスペンサー銃です。
会津藩士、八重の兄の山本覚馬が長崎でスペンサー銃を購入し、会津に居た妹の山本八重に送ったとされ、八重が戊辰戦争の会津若松城籠城戦でこの銃で奮戦したと伝えられています。
弓道場も再現さています。
現在の日新館弓道場では弓道競技の大会や合宿、研修などに利用されています。
ここに日本初めてと言われる水練水馬池(プール)が再現されているようですが、この大雪では何もわかりません。
日新館を後にし、猪苗代湖へ向かいます。
これがまた大変な経験をします。
今は、歴史がビジュアルに分かるので、重宝しています。
昔の人形って、出来が悪かったこともありますが、ボク自身の歴史の見方が変わったようです。
会津はしばしばドラマの影響で着目されますが、学べば学ぶほど会津の歩んできた歴史には感銘を受けることが多いです。