大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿場として1640年ごろに整備された宿場町です。
大内宿、高倉神社の大鳥居です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤に利用された街道です。
道の両側が奇麗な水路になっていますが、ほとんど雪に覆われてしまっています。
道に妻を向けた寄棟造の茅葺き民家の街割りですが、屋根は大雪で覆われています。
大内宿の本陣跡も半分ぐらい雪に埋もれています。
雪が激しくなりました。
大内宿の見晴台は大内宿の通りの一番奥にあり、奥の山林の中に登らないと大内宿の奇麗な全景が撮れませんので頑張ります。
足場が悪いのであそこまで雪の中を滑らずに登って行くのは結構老人にはきつそうです。
見晴台は湯殿山と呼ばれる小高い丘の上にあり、子安観音と弁財天が安置されています。
大内宿は昭和56年に重要伝統的建造物群の指定を受けています。
お地蔵さんも寒そうですね。
見晴台(湯殿山)に続く石段は傾斜がきつく、積雪で滑るため使用禁止のため迂回します。
見晴らし台までロープ片手でやっと登り切りました。
大内宿最奥地に名前の通り安産や幼児の成長を守護するという子安観音があります。
建物は寄棟、茅葺の2間社と規模は小さいですがなかなか味のある建物です。
絶景写真は次回掲載します。
続く............................................................................................。
大内宿、高倉神社の大鳥居です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤に利用された街道です。
道の両側が奇麗な水路になっていますが、ほとんど雪に覆われてしまっています。
道に妻を向けた寄棟造の茅葺き民家の街割りですが、屋根は大雪で覆われています。
大内宿の本陣跡も半分ぐらい雪に埋もれています。
雪が激しくなりました。
大内宿の見晴台は大内宿の通りの一番奥にあり、奥の山林の中に登らないと大内宿の奇麗な全景が撮れませんので頑張ります。
足場が悪いのであそこまで雪の中を滑らずに登って行くのは結構老人にはきつそうです。
見晴台は湯殿山と呼ばれる小高い丘の上にあり、子安観音と弁財天が安置されています。
大内宿は昭和56年に重要伝統的建造物群の指定を受けています。
お地蔵さんも寒そうですね。
見晴台(湯殿山)に続く石段は傾斜がきつく、積雪で滑るため使用禁止のため迂回します。
見晴らし台までロープ片手でやっと登り切りました。
大内宿最奥地に名前の通り安産や幼児の成長を守護するという子安観音があります。
建物は寄棟、茅葺の2間社と規模は小さいですがなかなか味のある建物です。
絶景写真は次回掲載します。
続く............................................................................................。