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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その6

2016年06月13日 | トッポパパの愛車
『日産ヘリテッジ・コレクッション』を日産の公式サイトから抜粋して紹介します。



『ダットサン』とは、1914年に『快進社』が『ダット1号車』を製造したことに由来します
『DAT(ダット)』は『快進社』への出資者3人のイニシャルから取られ、DATの息子を意味する『DATSON』が生まれました。
しかし、『SON』は『損』を連想させるため、発音が同じで太陽を意味する『DATSUN(ダットサン)』に改められ、昭和7年の10型から採用されました。
『ダットサン』は、主に日産自動車の小型車に使われ、日本のみならず、海外でも親しまれるブランド名になりました。
初めて知りましたが興味深い話です。
この『ダットサン12型フェートン』は、日産自動車が創業した1933年に製造されていた日産最古のモデルです。
記念庫の中でもっとも古い年式の車で、フェートンとは、折りたたみ式の幌を持つ4人乗りのオープンカーの呼び名です。

年式:1933年、型式:12型、車両重量:500 kg、エンジン:水冷4気筒(SV)748cc、最高出力:9kW(12ps)/3,000rpmです。



日産自動車は、1933年の『自動車製造株式会社』設立時点でスタートしました。
1934年には現在の日産自動車株式会社へ改称します。
さらに、当時の日本では未曽有となる年産2万台規模の本格的な量産に取り組み、翌1935年に横浜市の新工場で最初に生産されたのが『ダットサン14型ロードスター』です。
グリルの上に置かれた美しい兎のマスコット(ダット:脱兎:兎が走るイメージ)が目を惹きます。

年式:1935年、型式:14型、車両重量:550kg、エンジン:7型(直4・SV)722cc、最高出力:11kW(15ps)/3,600rpmです。



こちらは、『ダットサン14型ロードスター』の記念車ですが、フェートンを被ったフォルムは、今見てもお洒落です。
2人乗りで、トランクの中に補助席が格納されていました。



1936年に登場した『ダットサン15型フェートン』です。
4人乗りセダンを幌付きにした仕様です。
14型と同じ722cc(7型)で、排気量こそ同じですが、圧縮比を5.2から5.4に上げることで、16馬力と1馬力向上させています。
現在でこそクルマにとって1馬力は大きなパワーアップには感じられないかもしれませんが、当時では着実な進化といえるものです。
エクステリアでは、ラジエーターグリルの左上に角型のDATSUNバッジが付いたのが15型の特徴ですが、このクルマでは残念ながら欠品となっています。
さらに、ボンネット真横にあるルーバーのデザインも14型のシンプルな縦縞のものから、5つ連なるような横長形状のデザインに変わっています。

年式:1936年、型式:15型、車両重量:610 kg、エンジン:7型(直4・SV(サイドバルブ)722cc、最高出力:12kW(16ps)/3,600rpmです。



こちらも同じ『ダットサン15型ロードスター』です。
こちらは後席のない2人の乗りのロードスターであるため、リヤエンドが丸く落ち込んだフォルムが特徴です。
法律が改正されたことにより、この15型からスペアタイヤがトランクの外に固定できるようになり、積載量の向上が図られました。



1937年にデビューした『ダットサン16型 クーペ』です。
セダンやフェートンとともに、クーペとロードスターがラインアップされました。
15型と同じ722cc・16馬力の7型エンジンを搭載しています。
クーペは、セダンと異なり、サイドステップがなく、埋め込み型ドアハンドルなど斬新なディテールと流麗なスタイリングが特徴です。
クーペモデルは、設定がない年式もあり、生産台数も少ないことから、きわめて貴重な1台です。

年式:1937年、型式:16型、車両重量:?、エンジン:7型(直4・SV)722cc、最高出力:12kW(16ps)/3,600rpm、定員:4名です。



戦時色が濃くなりつつある1938年にデビューを果たした『ダットサン17型セダン』は、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。
エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。
フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。
搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。
この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつつある状況にありました。
戦前の最終モデルです。

年式:1938年、型式:17型、車両重量:630kg、エンジン:7型直4・SV(サイドバルブ)722cc、最高出力:12kW(16ps)/3,600rpmです。



日産ブランド車の生産は、1937年に始まりました。
この『ニッサン70型乗用車』は、その記念すべき最初のモデルです。
このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。
自動車先進国のアメリカの技術を吸収し、日本の自動車産業を自立させようという意図も込められています。
このセダンは5人乗りと7人乗りがあり、さらに、幌屋根のフェートンもバリエーション展開されていました。
日産自動車は、ニッサンブランド車の登場により、小型車は「ダットサン」、大型車は「ニッサン」と、2つのブランド名を使い分ける時代に入りました。

年式:1938年、型式:70型、車両重量;1,410kg、エンジン:A型 直6・SV(サイドバルブ) 3,670cc、最高出力:63kW(85ps)/3,400rpm




戦時色が濃くなりつつある1938年にデビューを果たした『ダットサン 17型 フェートン』は、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。
当時のカタログにも「国民標準経済車」と謳い、燃費の良いことを説明していました。
フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。
このクルマは、4座席に幌屋根を持つフェートンで、成城大学自動車部で使用され、1974年の文化祭を目標に同大でレストアされたクルマです。

年式:1938年、型式:17型、車両重量:610kg、エンジン:7型 直4 サイドバルブ 722cc、最高出力:12kw(16PS)/3600rpmです。



1940年代は乗用車の生産はごく一部の電気自動車などを除き生産されていないようです。
戦時中は軍用車やトラック主流になっていたのでしょう。
戦後、1952年20馬力のパワーユニットを搭載し、ショーモデルでしたが、ショーでの好評を受けて約20台が製作され、実際に販売された『ダットサンスポーツ』です。
国産車で初めてスポーツを名乗った『スポーツカー』の誕生でした。
後の『ダットサンフェアレディ』や現在の『フェアレディZ』へ続く、日産スポーツカーの先駆けとして記念碑的な存在です。
こんな車があったのですね、今でも売れそうなデザインです。

年式:1952年、型式:DC-3、車両重量:750kg、エンジン:D10型 直4・SV(サイドバルブ) 860cc、最高出力:15kW(20ps)/3,600rpmdesu.



戦後は、GHQ により乗用車生産が制限されていましたが1949年に解禁を迎えます。
日産は、1952年に技術的な遅れを取り戻す目的で英国のオースチン社と技術提携を締結します。
翌1953年、日産製の『A40 サマーセットサルーン』1号車が鶴見にあったオースチン工場でオフラインし、5月8日には都内で通産大臣や駐日英国大使を招いての記念発表会を実施しました。
このクルマは、オフライン1号車そのものです。
トッポパパの記憶にも、子供のころ『オースチン』と聞いた記憶があります。

年式:1953年、型式:B30、車両重量:1,020kg、エンジン:1G型(直4・OHV) 1,200cc、最高出力:31kW(42ps)/4,500rpm です。

ネットの情報量のおかげで、貴重な昔の車を整理することができました。
それにしても、走行性能は別としても、素晴らしいデザインの車ばかりで個性がありますね。

最後にフェアレディもまとめてみたいと思います。

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