1960年代、日本の自動車市場はブルーバードとコロナの熾烈な販売合戦がおこなわれていました。
BC戦争(Bluebird VS Corona)と言われ、初代310系ブルーバードは同時期の2代目RT20系コロナより断然売れ、2代目410系ブルーバードは同時期のアローラインの3代目RT40系通称バリカン・コロナに苦戦し、3代目510ブルーバードではコロナより優位に立ち巻き返した。
ブルーバードという愛称は、メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむものです。
1959年、ダットサン210型のモデルチェンジにあたり、初めて「ブルーバード」のネーミングが採用された、ダットサン310です。
310型には1Lと1.2Lの2種類のエンジンが用意され、当時としては先進的なサーボを備えたブレーキが装備されていたのが注目を集めました。
ツートーンカラーやホワイトタイヤ仕様も用意され、高級感を与えることに成功しています。
310型は内装、外装ともに好評で、発表後わずか1ヶ月で8,000台ものバックオーダーを抱える大ヒットとなり、その独特のテールランプの形状から「柿の種」という愛称も付きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/fb/17282a2afc0ec23fae71c11a81a3d26c.jpg)
1963年登場の2代目410型系ブルーバードです。
日産初のモノコック・ボディを採用したことで話題となりました。
1964年に1200SSが追加され、後にブルーバードの伝統となるSSS(スーパー・スポーツ・セダン)の名を冠した1600SSSが登場したのもこの2代目ブルーバードです。
2代目ブルーバードはモータースポーツにも積極的に参戦。1966年のサファリラリーではクラス優勝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/26/658a9804737b781382903c0b7cd17843.jpg)
1967年登場の3代目510型系ブルーバード1600 SSSです。
スーパースポーツセダンの色合いが濃く、シリーズの中でも大きな成功を収めました。
外観は、直線的でシャープなスーパーソニックラインと、ロングノーズ・ショートデッキを融合させた均整の取れたシルエットで、海外でも高い評価を集め、史上初めて北米市場でヒットした日本車となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/54/000ca0d9bb53a9a0d1e1f7df4f21aa02.jpg)
伝説の車、スカイライン2000GTRのコンセプトカー、スカイライン2000GTです。
1968年月直列6気筒エンジン搭載のGT(GC10型)を発売しました。
日産製直列6気筒、OHC、2000ccのL20型エンジンを搭載していました。
1969年以降日産のL20型エンジンを搭載する全車種で新設計のシリンダーヘッド搭載エンジンに順次切り替わり、115馬力となります。
サスペンションは、フロントはマクファーソンストラットで、リアはセミトレーリングアームとコイルスプリングへ変更され、4輪独立懸架となります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/92/831cdf26a275132ee4f9ced801d4a7a7.jpg)
実に懐かしい車が展示されていました。
日野自動車のコンテッサ1300クーペです。
コンテッサは、日野自動車がルノー・4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発し、1961年から1967年まで生産しました。
1964年、イタリアミケロッティデザインのコンテッサ4ドアセダンが登場し、同年にはクーペボディも導入され、国際自動車エレガンスコンクールでの受賞を果たすなど、国際的にも高い評価を得ました。
1967年にはトヨタとの提携により日野自動車は自家用車部門から撤退しますので、1960年代、日野自動車の自家用車シリーズの最後を飾る、貴重な車です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/61/1928bcbc44c187930a2794a25395d94a.jpg)
1962年製トヨタパブリカ(Publica)Van Deluxeです。
トヨタ自動車が1961年から1978年まで生産した小型乗用車である
1950年代の国民車構想の影響を受けて開発されたパブリカは、トヨタ初の大衆車で、長年にわたって同社の生産、販売する最小車種として位置付けられました。
「パブリカ」という車名は一般から公募されパブリックカー(大衆車)に由来しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e0/b2f089f5ef630fb4659d7675b1f64815.jpg)
1966年製のプリンスグロリア6ワゴンです。
ワゴンの名称は普通のライトバンとは異なる高級な商用車といったニュアンスであったようです。
グロリアのデザインを、そのままに踏襲したスタイルで、高速時代の6気筒と大きくまわりこんだフロントガラスが特徴的です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2a/89917df72259fd32bde41042b0ff156f.jpg)
6気筒エンジンが搭載され、2L直6SOHCシングルキャブレター仕様のG7型エンジンは、最高速度は155km/hに達しました。
後姿もエレガントで品格があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/84/1013da155727a22d7fed7b7c03e07eaa.jpg)
トッポパパの年代の人には、憧れの車の日産フェアレディ240ZGです。
「日産 フェアレディZ(S30型)」は、1969年に登場し、北米でも大ヒット作となりました。
当初、輸出専用モデルだった「ダットサン 240Z」ですが、「日産 フェアレディ240Z」として国内でも販売開始しました。
グレード体系はベースグレードの「240Z」、豪華仕様の「240Z-L」、そして最上級グレードの「240ZG」の3種類です。
「240ZG」には「Gノーズ(グランドノーズ)」と呼ばれる「エアロダイナノーズ」と「ヘッドランプカバー」、FRP製の前後「オーバーフェンダー」が装備され、エンジンはL24型で最高出力は150ps/5,000rpmでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3a/cf6fe8dc6a223f5b83b2e328b8eece0d.jpg)
続く............................................................。
BC戦争(Bluebird VS Corona)と言われ、初代310系ブルーバードは同時期の2代目RT20系コロナより断然売れ、2代目410系ブルーバードは同時期のアローラインの3代目RT40系通称バリカン・コロナに苦戦し、3代目510ブルーバードではコロナより優位に立ち巻き返した。
ブルーバードという愛称は、メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむものです。
1959年、ダットサン210型のモデルチェンジにあたり、初めて「ブルーバード」のネーミングが採用された、ダットサン310です。
310型には1Lと1.2Lの2種類のエンジンが用意され、当時としては先進的なサーボを備えたブレーキが装備されていたのが注目を集めました。
ツートーンカラーやホワイトタイヤ仕様も用意され、高級感を与えることに成功しています。
310型は内装、外装ともに好評で、発表後わずか1ヶ月で8,000台ものバックオーダーを抱える大ヒットとなり、その独特のテールランプの形状から「柿の種」という愛称も付きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/fb/17282a2afc0ec23fae71c11a81a3d26c.jpg)
1963年登場の2代目410型系ブルーバードです。
日産初のモノコック・ボディを採用したことで話題となりました。
1964年に1200SSが追加され、後にブルーバードの伝統となるSSS(スーパー・スポーツ・セダン)の名を冠した1600SSSが登場したのもこの2代目ブルーバードです。
2代目ブルーバードはモータースポーツにも積極的に参戦。1966年のサファリラリーではクラス優勝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/26/658a9804737b781382903c0b7cd17843.jpg)
1967年登場の3代目510型系ブルーバード1600 SSSです。
スーパースポーツセダンの色合いが濃く、シリーズの中でも大きな成功を収めました。
外観は、直線的でシャープなスーパーソニックラインと、ロングノーズ・ショートデッキを融合させた均整の取れたシルエットで、海外でも高い評価を集め、史上初めて北米市場でヒットした日本車となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/54/000ca0d9bb53a9a0d1e1f7df4f21aa02.jpg)
伝説の車、スカイライン2000GTRのコンセプトカー、スカイライン2000GTです。
1968年月直列6気筒エンジン搭載のGT(GC10型)を発売しました。
日産製直列6気筒、OHC、2000ccのL20型エンジンを搭載していました。
1969年以降日産のL20型エンジンを搭載する全車種で新設計のシリンダーヘッド搭載エンジンに順次切り替わり、115馬力となります。
サスペンションは、フロントはマクファーソンストラットで、リアはセミトレーリングアームとコイルスプリングへ変更され、4輪独立懸架となります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/92/831cdf26a275132ee4f9ced801d4a7a7.jpg)
実に懐かしい車が展示されていました。
日野自動車のコンテッサ1300クーペです。
コンテッサは、日野自動車がルノー・4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発し、1961年から1967年まで生産しました。
1964年、イタリアミケロッティデザインのコンテッサ4ドアセダンが登場し、同年にはクーペボディも導入され、国際自動車エレガンスコンクールでの受賞を果たすなど、国際的にも高い評価を得ました。
1967年にはトヨタとの提携により日野自動車は自家用車部門から撤退しますので、1960年代、日野自動車の自家用車シリーズの最後を飾る、貴重な車です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/61/1928bcbc44c187930a2794a25395d94a.jpg)
1962年製トヨタパブリカ(Publica)Van Deluxeです。
トヨタ自動車が1961年から1978年まで生産した小型乗用車である
1950年代の国民車構想の影響を受けて開発されたパブリカは、トヨタ初の大衆車で、長年にわたって同社の生産、販売する最小車種として位置付けられました。
「パブリカ」という車名は一般から公募されパブリックカー(大衆車)に由来しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e0/b2f089f5ef630fb4659d7675b1f64815.jpg)
1966年製のプリンスグロリア6ワゴンです。
ワゴンの名称は普通のライトバンとは異なる高級な商用車といったニュアンスであったようです。
グロリアのデザインを、そのままに踏襲したスタイルで、高速時代の6気筒と大きくまわりこんだフロントガラスが特徴的です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2a/89917df72259fd32bde41042b0ff156f.jpg)
6気筒エンジンが搭載され、2L直6SOHCシングルキャブレター仕様のG7型エンジンは、最高速度は155km/hに達しました。
後姿もエレガントで品格があります。
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トッポパパの年代の人には、憧れの車の日産フェアレディ240ZGです。
「日産 フェアレディZ(S30型)」は、1969年に登場し、北米でも大ヒット作となりました。
当初、輸出専用モデルだった「ダットサン 240Z」ですが、「日産 フェアレディ240Z」として国内でも販売開始しました。
グレード体系はベースグレードの「240Z」、豪華仕様の「240Z-L」、そして最上級グレードの「240ZG」の3種類です。
「240ZG」には「Gノーズ(グランドノーズ)」と呼ばれる「エアロダイナノーズ」と「ヘッドランプカバー」、FRP製の前後「オーバーフェンダー」が装備され、エンジンはL24型で最高出力は150ps/5,000rpmでした。
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続く............................................................。