走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

単調な仕事がいやになっている君へ

2011年08月15日 19時21分32秒 | 悩める君へシリーズ
 人というのは不思議なもので、単純な作業をしていると作業時間がだんだん早くなるという。
 そして、それが単調すぎるといやにもなる。

 そこで、いやでもその仕事を辞めないのは、「自分の時間を売っている(労働対価)のだから仕方がない」と諦めるからか...

 コンピュータが日常に入る前から仕事をしているので、その変化について驚く一人である。

 昔は、大量定型的な仕事が山のようにあった。
 それを人海戦術でやっつけるのである。
 若い頃、その単調な仕事を朝から晩まで、何日も繰り返してやらなければならなかった。

 それだけじゃない。
 選挙管理委員会時代、選挙人名簿は手書きカード方式で、それを綴ったフォルダーがキャビネットに保管してあった。
 そして、そのキャビネットはおびただしい数があって、当然それには施錠するようになっていた。
 新人(正確には一番の下っ端)は、この施錠を毎朝開け、帰りには閉めて帰るというルールがあった。

 なによりも、これが苦痛だった。
 「なんでこんな作業をしなきゃいけないのか...」
 来る日も、来る日も、そう考えながら作業をしていた。
 結局、5年という歳月が流れる...

 でも、天は見放さなかった。

 選挙人名簿の電算化である。
 幸運(?)にも担当として電算化を任される(先輩たちが嫌がっただけであり、事実は押し付けられたような感じ)。

 この仕事をしてよかったのは、それまでの業務を科学的に分析し、システム設計に近い仕事ができたことだろう。
 その過程の中で穴のようなものを見つけたこともある。
 そのことで改善点が見えてきた。

 また、電算化するということは現実の仕事と全く同じにはできないということがわかってくる。
 コンピューターというやつは、融通がきかない...

 そう思うと人間様の方がエライということもわかった。
 この経験が、コンピュータ崇拝主義から、ツール主義へと転換した。

 ただ、現実の仕事をコンピュータの仕事にどう近づけるか妥協案を見つけ出すことだった。
 先輩に相談すると、「なんとか、せえ!」の一点張り。
 泣きそうなときもあった。

 その時に出てきた答えのほとんどが、手作業で仕事をしていたときに「ここはこうした方がエエのに...」という思いだった。
 そして、「コンピュータはこうしかできませんが、私たちの作業を少しだけこう変えれば上手くいくと思います」という進言をすると、かなりの確立で受け入れられるようになり、それが重なると「お前の好きなようにせえ」となった。

 つまり、どのような単調な仕事でも、完成度の高い仕事でも、改善の余地は必ずある。
 それを探していきながら、発見すると楽しくなる。

 そして、その時に、心の中でこう呪文を唱えるのである。

 「いつか、自分が変えてやる!」 
 
 

生かされていることの素晴らしさ

2011年08月14日 21時05分21秒 | 読書
 お盆である。
 墓参りも家族ですませた。

 ある方と、東北大震災の方々のための雇用促進策についてアイデアが湧いたので、ポンチエにして送った。
 同調してくれる。
 内容は、夢破れ、心萎えている被災者の皆さんが、全国の困っている人たちを勇気付けるという提案である。
 ポンチエを描いたものの、さて形にしていくにはどうすべきか、漠然としている。

 また、どこかで「こんなこと考えなきゃよかった」と思うに違いない。
 でも、ぜったいに実現したい。

 相談した方から、懐かしい五木寛之の「大河の一滴」を引用され、今、自分が「生かされている」ということを思い起こさせてくれた。
だからこそ、世の中のためになること、世の中に受けた恩を返すこと、改めて教えていただく。

 「大河の一滴」は15歳で叔父が自殺し、17歳で父が仕事中の事故で死に、22歳のときに親友が当時は不治の病であった「リンパ腫」で亡くし、「死」とは何か、「生きる」とはどういうことかもがいているときに出会った一冊である。

 自分の「死生観」というものがあるとしたら、おそらくこの頃にできてきたと思う。
 同時に、そこから出てくる「生きる」という情念にも似た思いと、生かされているということ自体に感謝する思いができてきた。

 今まで、私自身もさまざま壁にぶつかり、時に「心萎え」ながらもなんとか乗り越えてきた。
 でも、すべて自分の力ではない。
 むしろ、時間であったり、他力によるものである。

 改めて、なぜ、今、自分が「生かされている」のかを考えつつ、これからの人生を生きていこうと思う。

夢をなくしてしまった君へ/下町ロケット Ⅱ

2011年08月13日 21時42分44秒 | 悩める君へシリーズ
 悔しいけれど「下町ロケット」を昨日、帰宅途中買ってかえって、読み始めると面白く一気に読んでしまった。

 Kさんの言うとおりである。

 読み進めるうちに、この主人公ほど私は素敵ではないぞと思いながら、Kさんがこんな風に私を見ていてくれているのかと思うとくすぐったくなった。

 中小企業の親父が必死でもがきながら、次から次へとやってくる試練に対して、夢を決して諦めない姿がいじましい。

 部下と立ち位置の違う社長の思いは、孤独感そのものであろうか。
しかし、そこから逃げることはできない。

 そして、この主人公が素敵なのは、自身が苦しい中、若い部下たちに「お前ら、夢あるか」と訊く。
状況は違うが、人事ヒアリングのときに部下たちに「君の夢は何か」と訊いたことがある。

 就職をすると、まして安定した職に就くと、「夢」なんてものは誰しも忘れてしまうものである。
 でも、「夢」をなくした人生なんてつまらないと思いませんか。

 子どもの頃の「夢」は、漠然としてて何の根拠もない。
だから、「夢」がころころと変わってしまう。

 そして、大人になって「夢」を見ようとしたら、今おかれている現状を無視はできない。
また、「夢」といってもかけ離れたものではいけないのかもしれない。
現実的な「夢」...
でも、それもつまらないような気がする。

 「夢」を実現可能なものに設定するか、実現できる可能性はあるがどこまでいっても奇跡が起こらないと無理なものに設定するかは個人の問題である。

 私は、いつも「夢」を見ている。
 私は、今でも「夢」を見ている。

 でも、その夢は絶対に私ひとりでは叶えられない。

 歳を重ねてきて思うようになったのは、自分の夢であっても一人では叶えられないということがわかってきたことだ。

 そして、夢を語り始めていると、理解者だけでなく協力者が現れるようになった。
そして「奇跡」を起こすには、協力者をどれだけ多く集められるかだと思う。
また、その協力者を集めるには、何よりも少年のような情熱も必要だということである。







刺激薬

2011年08月12日 20時26分41秒 | すばらしい出会い
 昨夜、酒向正春先生(初台リハビリテーション病院)が帰省されたというので、少し時間をいただきお話をさせていただいた。

 お会いするたびに、先生は意気盛んで仕事内容もますますグレードが上がっている。

 お会いした頃、先生のお話は正直、夢のような感じがした。
 でも、その夢にかけたいと思っていた。
 そして、できうるならば松山に戻ってきてもらい、松山を拠点に活動して欲しいと願った。

 しかし、それは本当に小さな思いだと気づき始める。

 先生と私の思いの共通項は、「寝たきり老人をつくらない」である。

 そのためのプロジェクトが、先生を中心にいくつも立ち上がったり、立ち上がろうとしている。

 お話をお伺いしていて、私には直接関係しないのだが勝手にワクワクする。
 そして、そのスケールの大きさを羨ましく思う。

 先生は言う。
 「これからは、地方からいきなり世界へ飛び出す時代にきていますよ」
 まさに、「グローカル(グローバルとローカルの造語)」な時代か...

 思えば、先生ほど実現性もスケールも大きくはないが、私も「これからはグローカルですよ」と吹いていたことがある。
 先生は、それを一歩一歩近づけていっている。

 先生のすごさは、モノの本質や人物評価が的確であるということ。
 なによりも医療の品質とは何か、病院経営とは何かを理解しておられるということ。
 そして、話の中で「(賃料が)坪いくらなら合います(採算が合うということ)が、それ以上ならどんなに魅力的なお話でも合いませんからお断りします」と、さらっと言い放つ。

 質の高い医療を行うにはお金が必要であるということを知っている人は多くいるが、持続可能な品質を保つにはどれくらいで回さないといけないかを知っている人は、ほとんどいない。

 ときおり先生のような方とお話しをして刺激を受けると、また頑張れる。

 酒向先生は、私にとっては欠かせない「刺激薬」なのである。

下町ロケット

2011年08月11日 22時52分43秒 | 読書
 久しぶりにKさんからメールが来た。
最近、直木賞(第145回)をとった「下町ロケット(池井戸 潤 著)」を読んで感動したから読めと言う。
そして、その中の主人公がお前とどうしてもダブってならないと。

 本当に大きなお世話である。
 この小説を読んで、例え主人公が自分に似ていたとしても何になるのかと思うのだが、お盆の間、どうせ暇だから読んでやろうと思う。
本当におせっかい焼きのKさんだが、そんなおせっかい焼きのKさんが好きだ。
どうせ、夫婦でこの本をまわし読みしながら、竹プーに似とるとか何とかいいながら笑いものにしたに違いない。
本当に似たもの夫婦である。

 読む前に、あらすじを読んでおこうと下の記事をインターネットから引用した。
結構、面白そうだ。
皆さんもお盆が暇なら読んではいかがだろうか。


 主人公・佃航平は宇宙工学研究の道をあきらめ、東京都大田区にある実家の佃製作所を継いでいたが、突然の取引停止、さらに特許侵害の疑いで訴えられるなど、大企業に翻弄され、会社は倒産の危機に瀕していた。
 一方、政府から大型ロケットの製造開発を委託されていた帝国重工では、百億円を投じて新型水素エンジンを開発。
しかし、世界最先端の技術だと自負していたバルブシステムは、すでに佃製作所により特許が出願されていた。
宇宙開発グループ部長の財前道生は佃製作所の経営が窮地に陥っていることを知り、特許を20億円で譲ってほしいと申し出る。
資金繰りが苦しい佃製作所だったが、企業としての根幹にかかわるとこの申し出を断り、逆にエンジンそのものを供給させてくれないかと申し出る。
 帝国重工では下町の中小企業の強気な姿勢に困惑し憤りを隠せないでいたが、結局、佃製作所の企業調査を行いその結果で供給を受けるかどうか判断するということになった。
一方、佃製作所内部も特に若手社員を中心に、特許を譲渡してその分を還元してほしいという声が上がっていた。
 そうした中、企業調査がスタート。
厳しい目を向け、見下した態度をとる帝国重工社員に対し、佃製作所の若手社員は日本のものづくりを担ってきた町工場の意地を見せる...

【著者紹介】*********************************************************

池井戸 潤

 1963年岐阜県生まれ。
 慶應義塾大学卒業後、三菱銀行(当時)入行、95年退職。
 98年『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。
 10年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞を受賞。
 第145回直木賞受賞。


県庁おもてなし課

2011年08月10日 23時18分01秒 | 読書
 タイトルは有川浩さんの小説で、高知新聞などの連載で話題を呼んだ作品を単行本化(角川書店 \1680)したものだ。
高知県庁に実在する「県庁おもてなし課」の職員が、お役所意識と民間感覚の狭間で揺れ動きながら観光立県を目指し奮闘するというもの。

 思えば、私も経済部門にいたときには個人的には「脱・お役所意識」を掲げながら、いかに民間感覚をつけていくべきなのか悩んだ時期があった。
まず手がけたことは、民間企業のまねをしようとした。
最初にしたのは、素敵な経営者探しだった。

 共通していたのは、トップ自らが玄関まで見送ってくれることだった。
そこで、お客様が帰られるときにエレベーター前まで見送っていき、ドアが閉まるまで頭を下げるようにした。

 たったそれだけで、次に訪ねてこられるときには、ずいぶんと打ち解けてくれるようになった。
やったのは、たったそれだけなのに...
しかし、相手にとっては「所詮、お役人さん」的なイメージが払拭されてしまうような行動だったのである。
いわゆる「偉そうな」というイメージの打破である。

 次に、こちらのヤル気を見てもらうために、その当時、共通して云われたのは、「支援制度がわかりにくい」、「支援制度が使いづらい」、「手続がめんどくさい」、「お金が出るのが遅い」ということだった。
そこで、制度を当時、けん引役になりそうな分野に合わせて整備しなおし、制度ごとにリーフレットを作り、それをフォルダー式のものにまとめることにした。
そして、キャッチコピーは「松山は本気です」

 それは、どの行政に行っても「ヤル気が見えない」という批判からだった。
ならば、本気モードを見せようじゃないかという覚悟にも似たキャッチコピーだった。

 民間感覚を誤解している人がいて、助成金は多ければ多いほどいいと思っている人たちがいる。
でも、その発想はやはり「お役人」的発想なのである。

 民間にとっては、一年むこうにいただける一千万よりも今いただける五百万の方がいい場合がある。
お役人には、時間コスト感覚が乏しい。
ということはキャッシュフロー感覚が欠如し、バリュー・フォ・マネー(お金の価値)を考えないという致命傷を負うことになる。

 つまり、民間感覚とは、相手の会社の経営者に自分がなったと仮定し、何をどうすればありがたいかを感じるかにある。
 今、景気は当時よりもますます厳しくなっている。

 ただ、私が経済部門に行ったときもこれ以上どん底の景気はないだろうと云われていた。
 そうした環境の中で、必死でもがいてみた。
 「今更、企業誘致をしても来る企業なんていない」と冷笑された。
 でも、がんばれば何とかなることを少しは示すことができたと思う。

 何よりも大切なことは、投げ出さないこと。
 「参った!」と云わないこと。
 黙々と汗をかくこと。
 常に情熱を持って取り組むこと。

 すると、誰かが助けてくれるようになり、それが波及すれば大きな力になっていく。
 
 自分だけの功名に走る人には、誰も助けてはくれないので要注意である...

  

思いを形にできない君へ

2011年08月09日 18時16分26秒 | 悩める君へシリーズ
 世間には、「口ばかりの人」というのが多いものである。
 それは、今に始まったことではない。

 コロンブスが大航海を終え、帰国したときに祝賀会が開かれた。
 その席で誰かが、「こんなことくらい私にだってできる」と豪語した人がいたという。
 コロンブスはそのことに触れず「この中で、このゆで卵を立てれる人がいますか?」と質問した。
 参加者の多くがチャレンジしたが、卵はコロコロ転げるばかりで誰も立てれなかった。

 それを見かねるように、コロンブスは「こうやるんですよ」と種明かしをする。
 そのゆで卵の底の部分をテーブルに叩き、そして立てたのである。
 彼は参加者に対して、
 「種を明かしたらなんでもないことです。誰にでもできることです。ただ、これを最初にやることに意義があるのです」と言い放った。
 これが世に云う「コロンブスの卵」である。

 元に戻すと、口ばかりの人は、必ずといっていいほど行動を起こしていない。
 だからこそ簡単に人のことをとやかく言えるのかもしれない。
 
 では、行動しないとはどういうことか...

 多分、失敗を恐れているのだろう。
 誰に対して恐れているのか。
 
 ホンダを「世界のホンダ」にした本田宗一郎さんは、「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」と云っていた。
 彼は、失敗を恐れなかった。
 失敗は尊い経験となり、成功の糧になるからだ。
 「人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すことだ」、「失敗する勇気をもて」等とも云っておられる。

 また、頭でひらめいたことは、形にしてみる。
 ああしてだめなら、こうしてみようとあらゆる手段を尽くす。
 そのうち、予期せぬ結果が出ることがある。
 彼は理論を尊重しながらも、実証をそれ以上に高く評価していたというのである。 

 ここまで書くとだんだん見えてきたと思うが、思いを形にしようとするならば、まず行動力が必要ということである。
 「ヘタな考え休みにたえず」である。
 まず、行動をしてみる。
 ただし、事前に成功モデルを想像しておくことがポイントである。
 そして、それに対するリスクと対処方法も。
 それが2~3割レベルでもいい。
 それができたら、行動に移す。
 そして、残りは行動しながら考える。

 なぜなら、環境は常に変化する。
 その環境に逆らえば失敗する。
 「しなやかさ」と「したたかさ」をもって臨めば大抵は乗り越えられる。

 そして、次に大切なのは絶対に一人ではできないということ。
 成功までにどんな人的資源が必要かくらいは予測しておく必要がある。
 そして、ポイント、ポイントでその人的資源が機能しているかどうかチェックする必要がある。

 ただし、厄介なのがこの人的資源を自分のネットワークの中で平素から意識してキープできているかどうかだ。
 よく人の人的ネットワークをあてにする人がいるが、借り物は所詮借り物である。
 人と人の絆は付き合って始めてわかるもの。
 メッキはすぐはがれると同様に、人付き合いもその人がどんな人かはすぐにわかる。
 人的資源は他の資源とちがって、その絆の強さは比べようもない。

 つまり、平素から人を大切にしていないと、自分の思いは形にならないということである。

第12回 全国紙芝居まつり松山大会 終わる!

2011年08月08日 23時55分50秒 | 夢紙芝居事業
 今日、「第12回 全国紙芝居まつり松山大会」が無事終了した。

 午前中、近くの生石公民館も会場になっているというのでチャリンコを踏みながら覗きに行く。
入るときに近くの保育園の子どもたちとすれ違う。
とてもちっちゃい子どもたちばかり。
引率の先生は、制御不可能な子どもたちを上手にコントロールする。
ちょうど、帰るところだったのである。
満足そうな笑みを見て、面白かったんだなと感じる。

 会場となっている大会議室に入ると、たくさんの子どもや大人たちでいっぱいだ。
 ときおり起こる子どもたちの爆笑。

 この事業を陰で支えてきた地域学習振興課の山本彰一君の顔が見えた。

 思えば、NPOのぼ~るの佐伯代表が創られた「正岡子規」の紙芝居からの出会いからすべてが始まった。
佐伯代表が演じる「正岡子規」を見ながら、鳥肌が立つのを覚える。
代表は、2つのことを胸に抱いていた。

 この紙芝居を一人でも多くの子どもたちに見てもらいたい。
そして、全国紙芝居まつりをこの地・松山で開催したい。
でも、私たちだけでは実現できそうもないというのである。

 この感動を形にしなければならないといった、使命感にも似たようなものを感じる。
傍らに目をやると山本彰一君がいた。

 彼に一言、「なんとかして!」

 そこで、まず事業名称を何にするかの会議に入る。
ああでもない、こうでもないと言いながら、最後に残ったのが「夢紙芝居事業」である。
※事業名称が、カラオケの曲「夢芝居」からきているのだが、予算化するまでこのことは一切口にしなかった。

 ベクトルとして指示したのは、まず受け皿となる組織づくり。
きちんと自覚をもち、自己責任としてしっかり受け止められるメンバーをそろえること。
そして、全国紙芝居までやりきる情熱をもった人たちを集めること。
さらには、裾野を広げるための人材育成プログラムをつくり、定期的に研修会を行うこと。
このことで、受け皿となる組織に人を育てる大切さを身につけてもらいたかったのと、持続可能な組織に仕立てるには後継者が育つ仕組みを組み込む必要があったからだ。
そして、研修を受講するにあたって一部助成しても原則受益者負担にすること。
この理由は、都会の方では子どもの誕生会に呼ばれて紙芝居を披露するコミュニティビジネスがはやり始めており、その時給が夜のお仕事よりよかったからである。

 次に、当時の市長さんが推し進めていた「坂の上の雲のまちづくり」にひっかけて観光と上手に絡めることができれば、認知度と実績を積み重ね、そこから貢献度が高まると考えたからである。
 そこで、道後温泉駅近くのからくり時計広場で、月一回定期的に観光客向けに紙芝居を上演してもらった。
そこに引き続いて、坂の上の雲のドラマ館でも定期上演が決まった。(これは地域学習振興課のOBのA君がこの事業を追いかけてくれていて彼の骨折りで実現した)

 これにより、松山に来られた観光客が、紙芝居を見ながら正岡子規の生き様と子どものころの郷愁を感じ取ってもらえれば、松山に対するイメージががらっと変わるのではないかと考えた。
実は、これからの観光施策は形のないものをどれだけ売れるかが都市間競争の中で勝ち残れる要素だと思っていたからである。
しかも、そのときに高い水あめを売りつけた。
でも、その水あめが高い理由は、チャレンジドの子どもたちがラッピングしていたからである。
つまり、アトリエ(作業所)の収益向上につながったのである。

 後日談だが、佐伯代表がこのアトリエの作業を見てみたいというのでお連れした。
帰りの車の中で、「好きなことをしながら、あの子たちの役に立つんですね」と言われながら、目を潤ませていたのが印象に残った。

 これらをすべて形にしたのは山本君をはじめ、それに関係してくれたたくさんの人たち。
特に、山本君には無茶振りをした。苦労をかけた。

 でも、それらすべてをやってのけた。
前例のあることなら誰にでもできる。

 本当に苦労したと思う。
だが、弱音をはかなかった。

 そして、今日、それが結実した。
 本当にご苦労様でした。

 心から、感謝いたします。

 

若い仲間たち

2011年08月07日 23時08分14秒 | すばらしい出会い
 最近、仕事以外に若い友人が増えてきている。
 全て民間企業につとめたり、自営業の人たちだ。
 友人というよりも仲間かもしれない。

 彼らの考え方と行動力は魅力的である。
 話を聴いていて、すごく刺激を受ける。
 脳が活性化するというが、多分、こういう刺激を絶えず受けることなんだろうなと感じる。

 考え方は荒削りな部分もあるが、少しだけ人生の先輩としてのアドバイスをすると、素直に受け止めてくれる。
 多分、そのことがうれしくて、つい饒舌になってしまう。

 アイデアもユニークで聴いていて楽しい。
 内心、「へぇ~」と思ってしまう。
 彼らにとっては、私の職業や役職や年齢すべて関係なく、ただの「タケちゃん」なのである。
 それがとっても、心地いい!

 私がするアドバイスは限られている。

 「それって、自分のためになるの?
  それって、家族のためになるの?
  それって、誰かのためになるの?
  それって、社会のためになるの?」

 そう訊ねるだけ...

 若い仲間たちは、その質問に対して、きちんと返してくれる。
 
 未来は、私だけが創るものではない。
 未来は、みんなが力を合わせて創るもの。
 
 どんな森にも、木漏れ日は当たる。
 つまり、頑張っていれば、いつかお天道様がスポットライトをあててくれるのである。

 がんばれ、若い仲間たちよ!!

復興トマト収穫ツアー募集

2011年08月06日 00時03分32秒 | インフォメーション
NPO法人農商工連携サポートセンターから東日本大震災地に向けた「復興トマト収穫ツアー」参加者の募集です。紹介しておきます。



 6月4日、私たちは東日本大震災の津波によって海水に浸かってしまった宮城県岩沼市の畑にトマトの苗を植えました。岩沼市の被災農家飯塚悦男様、八巻文彦様が畑を提供してくださいました。株式会社マイファームが開発した特殊なバクテリアを使う画期的な手法で畑地の塩分濃度を下げました。岩沼ロータリークラブの皆様がスポンサーとなり、丹精に込めて育てていただいた苗はすくすくと育ち、ついに立派な実を付け始めました。

【塩害復興!塩トマトツアーについてはこちらまで】

 私たちは震災復興への想いをこめてこのトマトを「復興トマト」と呼ぶことにいたしました。復興トマト収穫ツアーを募集いたします。
植え付けに参加されなかった方も大歓迎です。
あなたも自らの手で蘇った大地からの恵みを摘んでみませんか?

 また、元気な復興へのメッセージをこめて、「復興トマト」T-シャツをデザインしました。販売時に着用する予定です。希望されるかたは、サイズ(MかL)と枚数を  yamada.hikari@gmail.com 小森光までお知らせ下さい(値段は¥1,000~¥1,500見込み)。

 ツアーと、同時進行ですが、8月21日に、東京京橋の大根河岸で、NPO京橋川再生の会の皆さんの協力により、「復興トマト」を販売します。伊達正宗が江戸に米を運んだ貞山堀が、被災地の歴史的遺産となっており、江戸-仙台、400年の御縁で、大根河岸での販売が実現しました。
 ツアーに参加できない場合は、このイヴェントも、あります。「復興トマト」T-シャツを着て販売します。詳細は後日、お知らせします。

復興トマト収穫ツアー概要

 【実施日】2011年8月20(土)~21日(日)
 【参加費】15,000円~20,000円程度(調整中)
 【募集人数】40名(最低催行人員 20人)
 【集合場所】東京駅丸の内口(詳細集合場所は後日)
 【実施場所】宮城県岩沼市下野郷字竹ノ内25 飯塚悦男様の畑
 【主催】NPO法人農商工連携サポートセンター/株式会社マイファーム/
     岩沼ロータリークラブ/東京大学都市持続再生センター/共催
 【協力】飯塚悦男様/八巻文彦様/岩沼市/大阪住吉ロータリークラブ
 【旅行企画・実施】富士急トラベル株式会社
    (観光庁長官登録旅行業第101号、日本旅行業協会(JATA)会員)

 【プログラム】
  8月20日(土)
   7:30 東京駅発
  13:00~14:00 昼食(ふたき旅館)
  14:30~15:30 トマト収穫(飯塚さんの畑)
  16:00~18:00 お祭りでトマト販売
 
  この日は岩沼の夏祭り。夏祭りで復興トマトを皆で販売します!
  18:00 現地発
  18:30 秋保(あきう)温泉または松島温泉 宿泊

  8月21日(日)
   9:00 出発
   9:30~12:00 被災地(たとえば石巻)
  12:00~13:00 昼食
  13:00 現地発
  18:30 東京駅着

 【お問い合わせ】
  NPO法人農商工連携サポートセンター 担当:筒井
  電話(03-5259-8097) またはE-Mail(info@npo-noshokorenkei.jp)

人間ドック

2011年08月05日 00時05分53秒 | おもしろい
 今日は人間ドックなので、早く就寝しようと思うのだが、日頃の夜更かしがたたってなかなか寝付けない。

 誰しも、人間ドックを受けるのはいやであろう。

 何が嫌かというと、検便を2回、当日は現場で検尿。
この生理現象が個人的に上手くいかないときがある。

 でも、検便は昔とちがってやり方がスマートになったと思う。
 容器を見ると「とりすぎに注意してください」と書かれてある。

 中には、少しだと不安でめいいっぱい入れる人がいるのか...

 それとも、入れすぎてあふれ出ているのか...

 馬鹿な想像をめぐらせながら便器に座りながらいろいろと考える。

 そういえば、「ポキール事件」ていうのがあったよな。
 その事件を話してくれたのは歳の近い役所の後輩である。

 私たちが子どもの頃、フイルム上のポキールという寄生虫検査シートが導入されたことがある。
 それは、従来の検便のやり方からすると、革新的なものであった。
 そのフィルムをお尻にあてがい、二つ折りにするだけで済むのである。

 しかし、子どもたちにとっては画期的過ぎて、戸惑う子どもたちも多かった。

 そして、後輩の子どものころの教室に戻る。
 その日は朝から教室の中が「うん○」の臭いで充満していた。
 (後輩は)不思議に思ったが、さして気にしなかったという。
 そして、そのポキールを先生が出すように命じたところ、
 先生は思わず、そのポキールの入った袋を投げてしまったというのである。
 そして先生は、「□□君、何したん?」
 「え!何したん言うて、うん○とってきただけですけど...」

 なんと、ポキールに直接「うん○」をはさんできたために、「うん○」がシートからはみ出て
 入れてきた袋が白封筒から茶封筒に変色していたというのである...

黒猫事件

2011年08月04日 08時15分50秒 | 職場の出来事
 先日、一匹の黒猫が京浜急行を停めたというニュースが話題になった。
 私の職場でも黒猫事件が発生した。

 職場のムードメーカーのK君、昨日は休暇を取って休んでいたため、職場は水を打ったように静かだった。
 そのK君、充電したせいか、朝からフル稼働。

 内容はこうだ。

 「かなりひどいんですよ」と彼は右腕を見せる。
  右腕が擦り傷だらけなのである。
 「どうしたん?バイクでこけたん?」

 「実は、(家の)近所に公園がありまして、そこの砂場に野良猫が糞をして、臭ってきてたまらんのですよ。
  昨日も見てたら、一匹の黒猫が砂場で糞をしていたので、追いかけるフリをして威嚇してやったんですよ。
  そしたら、少し逃げたんですが、立ち止まって馬鹿にした眼(彼が勝手に思っているだけ)で見よるもんですから、
  少し追いかけたんです。そしたら、少し逃げては、また同じような眼で見よるんです。
  何回か繰り返したんやけど、だんだん腹が立ってきて、思い切り追いかけたんですよ。
  そしたら、クロックス(履物のブランド名)の偽もんやったけんかもしれんのですけど、
  ツルーと滑って足元が取られおもいっきりこけたんですが、そのときに擦ったんですよ
  ここも、ここも、ひどいんですよ(朝からそんなものは見たくない)」

 方言を忠実に入れながら彼の言葉を表現したため読みにくいかもしれませんが、簡単に言うと「黒猫を追いかけていて、つまずいて擦りむいたけど、思ったよりひどかった」という話である。

 ジェスチャ(かなりのオーバーアクション)入りで話してくれる彼の話は、いつもながら朝の職場を「パッ」と明るくしてくれる。
 ちなみにリーダーのT君は笑い転げていた。
 これが私の職場の朝礼前の雰囲気である。

 いつもK君には、感謝である。
 

定期便

2011年08月04日 00時09分34秒 | 地域情報/その他
 月が改まると社会福祉法人「松山手をつなぐ育成会(知的障がい者通所厚生施設「つくし園」、生活介護・就労継続支援B型「すぎな園」、共同生活介護(ケアホーム)「つくしホーム」、共同生活介護(ケアホーム)「なごみホーム」、児童デイサービス事業「つくしディサービス」)」から月報が届きます。

 いつしかこの月報を楽しみに待っている自分に気づく。

 今月号の「すぎな園だより」の冒頭のTさんの「今」という記事には共感するところもあり、一人微笑んでしまう。

 その中で、松山市社会福祉協議会(松山市若草町)で毎週水曜日(10~15時まで)「ふれあい市」が開催されているということ。
そして、7月からすぎな園も漬物や花の苗を出展していることを知った。
 小さなことからでかまわない。儲からないかもしれない。
でも、この過程の中で働くことの大切さを学びとることが何よりも子どもたちの糧になる。
働くことが社会の一員であるということ、社会の役に立っているということをスタッフの人たちは入所している人たちに教え続けて欲しい。

 また、「つくし園」だよりには、子どもさんがアトピーと診断され、その治療に家族で取り組まれたことが切々とつづられていた。
そして、その取組が家族の絆を深めたとも...
この方は栄養士さんで、この苦しみを乗り越えたことを社会からの恩と受け止め、それを仕事で返したいと結ばれている。

 まだ、この施設を訪問されていないが、スタッフ全員がこの紙面を作っている。
中には、原稿作成が苦手な人もいるのだろうが、どのような人たちがいて、どのような人柄なのかが見えてくる。
 この月報を作ろうと考えた方は本当にすごい。

 そして、最後に「児童ディ通信」の中に、生石公民館主催で施設の子どもたちと地域の子どもたちが「流しそうめん」のイベントを行ったという記事が出ていた。
地域とこういう施設の壁みたいなものを感じるときがあるが、この生石地域では心配ないようだ。
大人の心の壁は越えにくいが、子どもの壁は越えやすい。

 どうか、このようなつながりが深まりますように...


自分を変えたいと思っている君へ

2011年08月03日 00時05分04秒 | 悩める君へシリーズ
 人は行き詰まったり、思っていた結果が出ないとき、なんとか現状を変えようと努力します。
 しかし、行動を変えるだけでは、いい結果に向かい始めても、すぐまた、もとの木阿弥に戻ってしまうことがほとんどです。
それは、行動を変える前に、まず考え方自体を変えなければもとの行動に戻ってしまうからです。

 また、ベストセラー「7つの習慣」を著したスティーブン・R・コヴィー博士は、パラダイム(ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。)の転換の例として、次のようなエピソードを交えて解説しておられます。

 日曜日の朝、静かな地下鉄の車内に一人の男性と子どもたちが乗り込んできたときのこと。
 子どもたちがひどく騒ぎ始めたのに、男性は目を閉じたままその状況にまったく気づかない様子だった。
 しびれを切らしたコヴィー博士が男性に子どもたちを大人しくさせるように控えめに促すと、彼はこう返事をした。
 「たった今、病院から出てきたところなんです。
  一時間ほど前に妻が・・・
  あの子どもたちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか・・・」
 その瞬間、イライラした気持ちは一瞬で消え去り、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出て、コヴィー博士はこう申し出た。
 「それは本当にお気の毒に。
  何か私にできることはないでしょうか」

 このようにパラダイムが変わることで、男性に対する考え方や行動が一瞬で全て変わったというのであります。
私たちは、これまでに獲得した情報や考え方、立場などの枠組みでモノゴトを見ます。
そのため、同じものを見ても個々人で見え方はさまざまです。

 しかし、パラダイム次第でモノの見方は変わり、考え方が変わるのです。
そして、考え方が変われば行動が変わり、最終的な結果が変わります。(これを「変化のサイクル」といい、野志松山市長もこのフレーズを引用しておられます)

 また、小さな変化を望むのであれば、私たちの行動や考え方を変えればいいとも。
しかし、劇的な変化を望むのなら、私たちの持つパラダイムそのものを置き換えなければならないと言われています。

 特に現在のように先行き不透明な環境の中では、従来とは異なった行動や考え方が求められます。
パラダイムを置き換え、まったく違った視点からモノゴトを変えていかないと、望む結果にはつながらないというのです。

 つまり、今の自分を大きく変えたいなら、自分の持つパラダイムそのものを置き換える思考と、しなやかな視点からモノゴトを多面的に見る目を育てながら、迅速に行動に移すということでしょうか...

 (参考)「PRESIDENT 2011.08.15 号」より