走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

東松島市の復興状況

2013年04月24日 21時47分02秒 | 東日本大震災

 今朝、久しぶりの朝勉(朝の勉強会の略)を行った。
 テーマは、宮城県東松島市に派遣されていたG君が帰ってきたというので報告会的な内容になる。

 当時の悲惨な状況をリアルに伝えてくれた。
 泥だらけの遺体を飲み水を減らしてでも洗浄水に回したこと。
 泥を落として、初めて自分の身内だと気づいた時の深い悲しみ。

 今だに、遺体安置所になっていたセンターに足を運ぶことができない職員もいるという。
 簡単に「わかる」と言えない状況の話ばかりであった。

 テレビなどの一部報道から伝わらなかった現実と対峙してきたG君は、これから先の職員生活の中で貴重な体験をしてきたことだろう。
 
 勉強になる点も教わった。

 同市は震災瓦礫を当初から分別していたおかげで、後々の処分費が分別しなかったところと比べると大幅に少ないという点である。
 震災直後は、さまざまなことが重なり、冷静かつ客観的な判断が難しい。
 だからこそ、司令塔になるリーダーの裁量は大きい。

 まちがってもセクト主義や前例踏襲主義を持ち込むと、その時点で機能しなくなり以後に遺恨を残しかねない。
 そのことは、市民への影響として直結する。

 どのような状況下でも、しなやかでしたたかな視点と行動力が大切であることを改めて学ばさせていただいた。

母の一周忌

2013年04月23日 22時20分36秒 | 家族の出来事

 母が亡くなって一年の歳月がたった。
 早いものである。

 生前、母は私に対して関心を示していなかったような気がしたのだが、そうでもなかったのかもしれない。
 なんとなく遠く離れたところからじっと見ていてくれたような気がする。

 よくよく考えれば、子どもは私だけだったのだから、当たり前といえば当たり前なのだが...

 遺品を整理していて、ずいぶんと私の情報が出てきた。
 例えば、新聞に何かの記事が掲載され、たまたま写真の片隅に私が写っていたとする。
 誰だかわからないような小さな写真である。

 本人でさえ見分けがつかない。
 そんな記事までスクラップしていた。

 家内と娘の誕生日には必ずなにがしかのプレゼントを送っていた母であった。
 ただ、私の誕生日には何もなかった。
 そのことに触れようともしない。

 母と祖母との嫁・姑の確執はすさまじいものがあったが、その中で祖母が父の誕生日に必ず赤飯を炊いて持ってきていた。
 後で聞いた話だが、そのことがとても嫌だったという

 自分がされた行為の中で嫌だったことは、絶対に他の人に強要しない人だった。
 そのことを口に出すのではなく、行動にする人だった。

 その反面、相手の気持ちを斟酌(しんしゃく)して気づけというタイプでもあった。
 このことは、子どもの時から徹底された。
 そして、相手の臨むことの二手、三手先を読み、先回りして行動しろと口やかましく言われたものである。

 子ども心に厚かましくなり、反発したものである。
 ただ、父親が亡くなってからは素直に受け入れられるようになった。

 このように書くと素晴らしい母親のように思えるかもしれないが、自分勝手でわがままな人であったことにはちがいない。
 母が老いてからは、かえって人の道を私が諭す場面もあった。
 そういう時は、罰悪そうにうなだれているのだが、終わった瞬間、元気なもとどおりの母に戻るのである。

 こんな打たれ強いところが似てしまった...

映画「リンカーン」に学ぶ点

2013年04月22日 00時37分44秒 | 映画

 この映画の中で「奴隷制度」を廃止するかどうかについて、上院では廃止で憲法の修正案が通っていた。
 しかし、下院ではねじれ現象が起こっており、一度廃案になっていた。

 一方、南北戦争が終焉を迎え、この修正案を通すことを優先するのか、戦争終結を優先するのかの駆け引きが行われる。

 リンカーン大統領は人間の本質を見抜いていて、(人民が)のどもとを過ぎれば熱さを忘れることをよく知っていた。
 そして、法律に精通していた彼は、アメリカの憲法と州法の関係を熟知していた。

 法律には3つの原理がある。
 一つは、上位法優先の原理。
 二つ目は、後方優先の原理。
 三つ目は、特例法優先の原理。

 州法は、憲法に明記していなければ独自に作れるというシステムがある。
 つまり、3つ目の特例法的な位置づけか。

 このことをリンカーンはよく理解していた。
 そして、憲法改正には人民の後押しがいることも。
 戦争終結を優先すると、北軍の人民でさえ、南軍の主張する奴隷を戦利品として捉え、南軍と同様の扱いをすると考えたからである。
 これでは何も変わらない。
 だからこそ、修正案を先に通すことを優先した。
 この考え方は、彼が高邁な理想をうたいながら、いかに現実主義者であったかということである。

 彼の戦略戦術は、憲法改正を行い、上位法優先の原理と後方優先の原理から従来の州法を批准する方策を考えたのである。

 そして、修正案を通すためにはアウトローであったロビストたちも使った。
 おそらく、ロビストが表舞台にたったきっかけを彼は作ったかもしれない。
 そして、自らネゴにも回った。
 ただ、彼は媚びなかった。

 政治家として大切なことを切々として訴えて行くだけである。
 そして、心動かされた政治家たちが真の考えを表に出す。

 イデオロギーはさまざまな価値観や利害などによって形作られていく。
 個人のレベルで、その時々で政党の方向性とは異なったとしても、政党政治の中では数の論理が優先されるために、個人の考えを殺さなければならない場合がある。
 これが政治家の永遠の苦悩かもしれない。

 リンカーンはこのことを踏まえたうえで、人民のためにとって何が大切なのかを訴えた。
 だからこそ、彼は人民から愛され、慕われた。

 そして、彼は何よりも温かであった。

 

映画「リンカーン」

2013年04月21日 09時49分33秒 | 映画

 昨夜、レイトショーで「リンカーン」という映画を観て来た。
 予告がよかっのと自分にとって因縁のある人物なので見逃したくないという思いがあったからである。

 映画の内容は、ホームページから引用する。

 スティーブン・スピルバーグ監督が、名優ダニエル・デイ=ルイスを主演に迎え、アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンの人生を描いた伝記ドラマ。
 貧しい家に生まれ育ち、ほとんど学校にも通えない少年時代を送ったリンカーンだが、努力と独学で身を立て大統領の座にまでのぼりつめる。
 しかし権力の座に安住することなく奴隷解放運動を推し進めたリンカーンは、一方でその運動が引き起こた南北戦争で国が2つに割れるという未曾有の危機にも直面していく。
 奴隷制度廃止を訴えた共和党議員タデウス・スティーブンスにトミー・リー・ジョーンズ、リンカーンの妻メアリー・トッドにサリー・フィールド、息子のロバート・トッドにジョセフ・ゴードン=レビット。
 脚本はスピルバーグ監督作「ミュンヘン」のトニー・クシュナー。
 第85回アカデミー賞では同年度最多12部門にノミネートされ、デイ=ルイスが史上初となる3度目の主演男優賞受賞となった。

 私は生まれてはじめて呼んだ伝記が「リンカーン」であった。
 そして、読書感想文を書いたのもリンカーンであった。
 つまり、読書感想文の題材として選ぶために「リンカーン」を選んだのである。
 この読書感想文で何か賞をもらったので余計に覚えている。

 本内容で覚えているのは、子どもの頃、家の周りにいた親子の鹿を父親が獲ってきて食卓にスープに上がったとき、彼は一切手につけなかったし、それ以降も口にしなかったということ。
 また、家にお金がなかったので独学で測量技師になり、さらには弁護士になり、政治家への道を歩み、最後は大統領になったというものである。
 そして、次のような名スピーチが記されていた。

 ゲティスバーグ演説は、272語1449字という極めて短いスピーチであったにもかかわらず、リンカーンの演説の中では最も有名なものであり、また歴代大統領の演説の中でも常に第一に取り上げられるもので、独立宣言、合衆国憲法と並んで、アメリカ史に特別な位置を占める演説となっている。
 特に「...人民の、人民による、人民のための政治... (...government of the people, by the people, for the people...)」という一節が有名であるが、この著名な一節はリンカーンのオリジナルではないそうだ。

 この日ゲティスバーグにはカメラマンもいたが、マイクロフォンなどない時代、リンカーンの演説が始まってもカメラマンはそれに気づかず、ようやく気づいて写真を撮ろうとした頃にはもう演説が終わっていたという。
 そのためこの歴史的演説を行っているリンカーンの鮮明な写真は存在しない。
 また演説そのものはリンカーンが祈るような小さな声で述べ、だれも注目しなかったが、たまたま書き留めていた記者が記事にして爾後有名になった。


 ジョン・F・ケネディは大統領就任演説原稿を草稿するに当り、過去の名大統領といわれる人たちが短いスピーチだということに気づいたという。
 そうだからこそ、心に残る。
 しかし、短く書こうとすればするほど難しいということを今の仕事に就いて思い知る。

 映画に戻るが、私の知らないリンカーン像を知る。
 とてもウィットにとんだ会話を愉しんだ人。
 豊富な例え話を引き出しとして持っていて、それを会話の中に絶妙に織り込んだ人。
 何よりも、政治だけでなく、法律に精通し、目的のためなら清濁を飲める人。
 そして、人間の本質を見極め、そのための手段をタイミングを見ながらコントロールできる人。
 私たちがよく「ネゴ」という言葉を口にするが、そのことをよく熟知していた人。
 つまり、「しなやか」かつ「したたか」な人であった。

 ぜひ、行政マン、必見の映画である。

痛い!!

2013年04月13日 18時12分19秒 | びっくり

 「ばね指」て知ってますか?
 手の指を曲げたり伸ばしたりする際に抵抗があり、ばね仕掛けのように動く症状をいい、曲げ伸ばしの際、痛みを感じるものです。

 そのばね指に左手中指がかかってしまいました。
 しばらく放っておいたのですが、朝起きると曲がったままで戻そうとするととても痛いのです。

 そこで行きつけのクリニックへ行くと、簡単に「ああ、ばね指ですね。やっかいですよ。」と言われる。

 「治るんですか?」

 「はい、ただ早く治す方法とゆっくり治す方法とどちらがいいですか。早く治す方法は、少し痛いんですが」

 「早く治る方法でお願いします。」

 「わかりました、では電気でしびれさしておいてから注射しましょう。」

 「はい(不安)...」

 そして、治療室に入り15分程度電気をあて、手がしびれたところで医師が入ってきて次のように言うのです。

 「こんなところに注射されたことないでしょ?たぶん注射の中で一番痛いかもしれないなあ。」

 なんだか嬉しそうである。

 そして、写真のところに直接注射され、

 思わず、「痛!!」

 「先生、原因はなんなんですか?」

 「よくわかっていないんですが腱鞘炎みたいなものです。老化の一種だと思ってください。」

 こちの方が痛かった。



叔母のうちのニューフェイス

2013年04月12日 21時07分47秒 | つぶやき

 母が他界し、まもなく一年が来ようとしています。

 母は動物嫌いでした。
 ですから、母に動物園に連れて行ってもらった経験を思い出せないのです。
 昔、道後公園内に動物園がありました。
 規模的には小さな動物園でした。
 でも子供の私にとっては立派なアミューズメント施設なのです。

 そして、母は私を動物園に置き去り(?)にして、とっとと自分だけ温泉につかりに行くような人でした。

 特に、母は犬を飼うことを嫌いました。
 一度父がもらってきたスピッツという犬種の犬を留守中に死なせてしまったからです。

 父も私も犬は好きでしたから飼いたくて何度もチャレンジしたのですが、母の頑なな態度に撃沈させられました。

 そんな母も叔母のうちにいた室内犬だけは別でした。
 なんとその犬を抱いて離そうとしなかったのです。
 その犬も、なぜか母に懐いていました。
 しかし、不思議なことに母が死んだあと後を追うように死んでしまったのです。

 そして、叔母からニューフェイスが来たと連絡があり見に行きました。
 次のような愛らしいニューフェイスでした。

 
 唯我独尊

 
 呼んだ?

 
 駆け寄ってきて、「何か用?」

 
 ぬいぐるみみたいでしょう?

野の花

2013年04月11日 22時57分23秒 | 職場の出来事

 私の職場周辺にはさまざまな花が咲いています。
 昼休みに散歩をしていると公園の柵から道路にはみ出ていた写真のような花がありましたので、摘んできました。

 生けるものがなかったので、これまた近くの「工房 ROSA(ロサ)」に立ち寄り、写真のような花瓶を手に入れました。

 ロサはセンスのいいお店で、値段も手ごろで買いやすい店です。
 無理を言って敷物もサービスしてもらいました。

 私たちの職場ではすでに七月の参議院通常選挙に向けた準備に入っています。
 近づけば近づくほど心にゆとりがなくなります。
 そんな中、野の花一輪でも生ける心のゆとりが大事かなと思ったからです。

 毎朝一時間程度行っている職場内研修で、たとえ野の花でも飾ることの大切さに気づいてもらいたいと思います。
 禅とか茶道、生け花などは人をもてなす大切さだけでなく、常に自分との戦いの中で自己を修練する中にも自己を見失わないということを教えているような気がします。

 凛として生きるためには、この自己を見失わないということが大切だと思います。

少しだけ...

2013年04月08日 22時01分25秒 | 職場の出来事

 20年ぶりの選挙管理委員会復帰である。
 制度もかなり変わっている。

 勘を取り戻すなんてレベルじゃない。
 まったく初心者に戻ったような感じである。

 職場内研修と初心に返るという意味合いから、「逆引き選挙事務講座」を私といっしょに選管に入ってきたメンバーとでスタートした。
 毎日一時間程度を目安に行っている。

 最初は緊張していたメンバーも今日くらいになるとなれてきたのか、質問も出るようになる。

 自分が一年生のとき、訳がわからないまま一年があっという間にすぎた。
 「なぜ、この仕事をこんな風にやるのか」聞くことも出来ないまま時間が過ぎた。

 だからこそ、同じ思いをさせたくない。
 一番最初は、法律の読み方。

 そして、開票事務から投票事務、不在者投票、期日前投票とエンドからスタートへとさかのぼっている。
 この学習の仕方は、初めての試みなのですが、やりながら「これ、いいかも!」と思ってしまった。

 さっそく持ち込んだホワイトボードが大活躍である。
 

 

初出勤

2013年04月01日 19時56分06秒 | つぶやき

 今日から選挙管理委員会事務局(以下、「選管」)へ異動し、初めての出勤日であった。
 やはり、何かしら緊張しながら、まるで新入職員(くたびれてはいるが...)の気分で登庁する。

 選管へは約20年ぶりの復帰である。
 まさに、浦島太郎が竜宮城から帰ってきた気分である。

 浦島太郎と違うのは、一緒に仕事をしたメンバーが二人もいる。
 ただし、いずれも新採職員だったが...

 選管の職員は私を入れても10名。
 これで選挙事務ができるのかというと、本番はほとんど他課の職員のサポートをあおがなければ選挙はできないのである。
 大きな選挙だと一度に500人くらいのスタッフとなる。

 しかし、仕事の内容としてはスポットなので経験者でも思い出しながらといった感じである。
 その分、ミスをする可能性もある。
 そういうことが起こらないよう、しっかりとした準備を選管職員が行わなければならない。

 ミスが許されない職場である。
 シビアな職場である。

 襟を正し、常に緊張感を持って仕事に臨みたいと思っている。
 そして、常に人材育成を頭に置きながら最後のご奉公になるつもりで頑張りたい。