走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

福祉で起業する

2005年11月30日 18時17分34秒 | その他
松山市の北部に聖カタリナ大学という福祉を専門にやる大学があります。
同大学とは合併前からお付き合いさせていただいており、そのご縁で本日のパネルディスカッションのパネラーとして呼ばれました。
一部は、上野祐子(㈱マーケティング ダイナミックス研究所 代表取締役)さんの講演があり、つづいて二部のパネルディスカッションというように進んでいきました。二部のタイトルは「福祉で起業する」
パネラーは、まちづくり活動やNPO活動に積極的に参加しておられる前田(巴設計事務所)さんと地元IT企業の社長 高橋 眞一(㈱パルソフトウェアサービス)さん、それに先の上野さんに私の4人でした。司会は同大学副学長の伊東先生でした。
その中で、私は起業のコツについてお話をさせていただきました。
 ①福祉分野での起業は、まず現場を知ることから始めるべきです。
  特に、この分野は士魂商才の精神で望んだ方が大成する。
  そのためには、NPO活動からスタートする方が無難かもしれない。
 ②起業をすると、その日からいきなり社長になれます。
  でも、社長業はそんなに楽じゃない。
  なぜなら、従業員だけでなくその家族までも背負わなければ
  ならないからです。
 ②起業をすると決めたら「人、金、モノ、情報」を揃えなさい。
  「人」は、頭のいい人。数字と口のうまい人。
  つまり、帳簿と営業のうまい人。
  そして、指導力のある人。
  できれば、いつも笑顔の人。
  「金」と「情報」は私のところに相談に来てください。
  そして、「モノ」は「金」が調達できれば何とかなります。
 ④事業に成功するコツは
  孫子の兵法、「天の利、地の利、人の利、時の利」を参考にする。
  「天の利」は「運」、「地の利」は「周りの環境」、
  「人の利」は先に掲げた「仲間」、「時の利」は「タイミング」
  このいずれも欠けたときは進めない方がいいと思いますが、
  これらすべてが揃ったと思ったら積極的に起業をし、いっぱい
  儲けてください。
  そして、税金をたくさん納めてください。
  よろしくお願いします。

ま~あるい石

2005年11月29日 22時35分49秒 | その他
心がとても荒んだ時、ついつい弱音が出ることはありませんか。
そんな時、こんな話を思い出してください。
 「この石、どこにあったか、わかる?」
 「丸こいから、海岸かなあ。」
 「当たり!!」
 「何ですか急に。」
 「この石は上流からコロコロ流れてきて、こんなに丸くなったの。」
 「ふ~ん。」
 「こちらの角ばった石をよく見て。傷だらけでしょう。」
 「そうだね。」
 「人も同じよね。角ばっている内は傷だらけになるのよね。
  コロコロ転げてボールのように丸くなると、傷が出来なくなる。
  不思議よね。」
人間、ま~あるくなると、傷つかなくなるというお話でした。
 

大横綱の涙

2005年11月28日 23時47分12秒 | その他
夜、テレビニュースを見ていたら九州場所で前人未到の優勝をした朝青龍が出ていた。インタビューはテニスプレィヤーの松岡修造。
今場所前、横綱は格下の琴欧州の部屋まで二度、出稽古に出向いている。
その際の記録は、朝青龍の9戦全勝。
そして、九州場所13日目、琴欧州は見事、朝青龍から金星を勝ち取る。
これを「恩返し」というそうだ。
そこで、松岡は朝青龍に聞く。「本当に勝ち続けるならば、自分の手の内をさらすような出稽古には行かないと思うのですが、なぜですか?」
すかさず、朝青龍は「それは卑怯です。ライバルがいなければ自分が強くなれない。自分の精進は負けた中から学ぶのです。相撲の発展を考えたとき、みんなが強くならなければならないのです。」
そうなんです、ライバルはライバルが勝手に強くなるのではなく、精進しあう中で互いが強くなるのです。
そして、松岡は14日目、朝青龍が優勝を決め、勝ち名乗りをあげたときの涙の理由を聞きました。
それは、前人未到の優勝のうれしさから出たものだと思ったからです。
でも横綱の答えはちがっていました。
「対戦相手は魁皇、地元出身。当然、観客は勝負前から魁皇コール。でも桟敷席の一角にひとりだけ自分のファンがいた。勝負が決まったとき、ブーイングが渦巻く中、そのファンの大喜びする姿を見て、涙が出てきてしまった。」
たった一人のファンだけでもがんばれる。
遠い異国のから来た孤独な横綱。
それにひきかえ、私たちのなんと小さなこと。
組織の中で、物事を変えたり、新しくしようとしたとき、時として異端児扱いされ、孤独になることはよくある。
でも、ひとりの応援者がいればがんばれるんですよね、横綱。

これは何でしょう?

2005年11月04日 23時35分52秒 | その他
写真を見て何を連想されますか?
クッション?抱き枕?
いずれもハズレです。
答えは、「八百八狸変身グッズ」です。
この尻尾をベルトに通し、素知らぬ顔をしてまちを闊歩するのです。
つまり、化けそこなった狸が尻尾が出ているのに気づかず人間社会の中に溶け込もうとしている、そんな狸を演じられなければ、この尻尾をつける資格がないのです。
人の嘲笑やヒソヒソ話に耳を傾けず、平然と歩けないといけないのです。
伊予人のとぼけた気概を見せつけることが、できる人ならば、いつでも会員になれます。
「八百八狸」の由来については、別の機会にお話したいと思いますが、聞きたい人はコメントを下さい。
コメントが多いようならば、近い機会にお話します。
なければ、遠い機会にします。
どちらにしても、この尻尾が欲しい方は、八百八狸市民活動事務局がロープウェー通りの「蒲団」屋さんにありますので、お問い合わせください。
ちなみに、登録料込みで3,000円だったと思います。

松山城下門前市とファサード事業

2005年11月03日 23時31分34秒 | その他
松山は市内中心部に松山城があり、どこからでもお城が見えるようになっています。
松山の市民にとっては、完全にランドマークの一つになっており、400年以上も前からドカ~ンと鎮座しているため、生活風景の中に溶け込んでおり、意識しなくなっています。
そのため、それがあたりまえすぎて、その良さに気がつかない人たちがあまりにも多いというのが、残念でたまりません。
また、その城山に登るためには3つのルートがあり、一番楽に登れる方法がロープウェーとリフトの活用です。
この乗り場は、(通称)ロープウェー通りを登りきったところにあります。
また、このロープウェー通りは3つの商店街振興組合で構成されていますが、ファサード事業を行うまで、それぞれが別々に活動をしておりました。
でも、この3つの商店街がまとまるかもしれないと思ったのは、築城400年記念イベントで、この「城下門前市(しろした・もんぜんいち)」が共同開催され、多くの人たちを集客したところからだったと思います。
今日、その契機となった「城下門前市」が、このロープウェー通りで開催されました。
本当に感慨をもって、見させていただきました。

ファサード事業は、まちの景観統一事業ですが、まちが一つにまとまらないと実現できない事業であります。
この事業については賛否両論がありますが、道路整備が整い、オープンカフェみたいなものが出来だすと、松山でも素敵なストリートになることでしょう。
でも、このファサード事業を揶揄するあなた、この短期間にまちを纏め上げた人たちの苦労をどこまで知っていますか?
私は、この事業に本当に苦労した部下のN島君とF原君の粘り強い説得と、その結果、まちの人たちが彼らを心から信頼していく過程をずっと見てきました。
簡単そうで、決して楽な仕事でなかったことを私は知っています。
誇れる部下をあなたは、何人お持ちですか?
根底の部分を見ずして、簡単に「失敗だ。」と言い切れるあなたに、本当に誇れる部下がいますか?
私が彼らにアドバイスしたことは、たった一言です。
「ファサード事業は、まちの景観統一だけが目的でなく、そのまちに住む人、働く人の心が一つになること。そのことを目指してください。」と。

ブログの師匠

2005年11月02日 22時12分00秒 | その他
久しぶりに、このブログの師匠でもあるD氏にお会いした。
ブログの情報交換みたいな会になった。
お互い見ていないようで、意識しているため豆に見ている。
D氏には、本当にさまざまなことを教えてもらった。
中小企業の現状と課題、経営者としての心構えや後継者を含めた人材教育の課題。
天邪鬼な私は、D氏にかなり失礼な質問を投げかけたこともある。
そんな時、D氏は少年のようにムキになられ、自分の経営理念や方針を熱ぼっく語られる。
その熱ぽさが大好きで、また煽ってしまう。
毎日を真剣に生きるということをたくさん教えていただいた。
D氏がブログを社内用に始められ、社内の雰囲気が変わったと喜ばれていた。
私は無神経にも、「御社はかなりピリピリした雰囲気がありましたからね。」
と言ってしまった。
D氏も少し感じられていたようで、ブログが社内の風通しを良くしたのだろう。
私は、同氏の教えの一つでもある現場を見てくださいという教えにのっとり、できる限り会社訪問をさせていただくのだが、まず、社員の方の対応から見させていただいている。
 ①ジロと見るだけで、挨拶が返ってこない会社。
 ②挨拶は返してくれるけれども、座ったままの会社。
 ③立ち上がって、挨拶が返ってくる会社。
Dさん、知ってました、御社は③ですよ。
あなたのイズムが浸透している会社、うらやましいといつも思っています。
私も、そろそろ部下にこのブログを公開しようかなあと思った瞬間でした。

とっても、うれしいニュース

2005年11月01日 23時26分29秒 | その他
久しぶりにJ氏にお会いした。
彼は松山市出身でも、松山在住でもない。
久しぶりの松山でもある。
お昼でもどうですかということになり、大街道の久保豊ビル1Fの中ほど(このビルは大街道から東の通りにトンネルのように抜け出れる)にある蕎麦屋「まろ」にお連れした。
ざるが一押しだが、少し肌寒さもともない、温かい「ゆず蕎麦」をお薦めした。
このゆず蕎麦には、スライスされたゆずがたくさんのっていて、その香りを楽しみながら、うまい蕎麦を啜れる。
「うまい。」
「そうでしょう。」
私は、ここの大将と話したことはないが、かなり職人気質と見ている。
「それから、ここのおにぎりも馬鹿にできないんですよ。紀州の梅がまるまる入ってましてね、すっぱくて、でも甘みもある梅と質のいい米と、塩味がまじって、本当においしんですよ。」
「そりゃあ、うまそうですねぇ。」
「次回来られたときには、ぜひ試されたらいいですよ。」
「ん~、楽しみだ。うまくすると、来春からいつでも賞味できそうだ。」
「???。今、何て言われました。」
「あまりにも、いいまちだ、いいまちだと言われましたものですから、来年で定年を迎えますので、こちらに移り住みたいなあー、なんて思ったりしておりまして。」
「そりゃあ、本当ですか。」
「私も、本当にこのまちが好きになりましてね。松山にとっては、迷惑かもしれませんが。」
「何を言われますか。まだ、60歳でしよう。Jさんの能力を松山のために定年後使ってくださいよ。」
「そうなれば、いいなあと思ってます。」
Jさんは、私よりも10歳近く人生の先輩ですが、温厚で学者肌で、私のような粗雑な者に対しても、専門的なことをわかりやすく説明してくださる師匠と呼べる一人でもあります。
初対面から一方的にファンになり、このまちに住んでくださいと懇願していた一人でもあります。
地方にとって人財が命です。その人財を育てる先生がひとりでも多く欲しいのです。
本当にうれしい一日でした。

ボーリングの思い出

2005年11月01日 22時54分41秒 | その他
今日、職場の親睦ボーリング大会がありました。
成績は、さんざんなので申し上げるわけにはいきませんが、そのかわりボーリングの鮮烈な思い出を書くことにします。
私の中学時代にボーリング第一期黄金時代が訪れ、猫も杓子もボーリング、ボーリングと大人気でした。
でも、中学生がボーリング場に行くのは校則違反でした。
なぜなら、ボーリング場に行けば喫煙はするなど、不良行為につながるという、本当に拡大解釈もはなはだしいものでした。
その当時は、ボーリングを健全なスポーツとしてみることができなかったのです。
でも、止められれば止められるほど、怖いもの見たさも伴って足げくボーリング場に通うようになりました。
事実、やってみると面白く、ついつい熱中し、休みのたびに友達を誘ってボーリング場通いが続きました。
そんなある日の出来事、お袋が個別懇談会に行った時の会話です。
 先生「失礼ですが、お宅のご子息は体格があるのに何もスポーツを
    やっておられない。実にもったいないですなあ。」
 お袋「そんなことないですよ。定期的に運動はやっております。」
 先生「え!!何かクラブ活動をしてましたっけ?」
 お袋「いえいえ、学校の運動じゃありませんよ。」
 先生「????」
 お袋「ほら、今流行っているじゃありませんか。うちの息子は、
    まじめに毎週日曜日には、ボーリングに行っております。」
 先生「!?」
翌日、職員室に呼ばれました。