走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

お疲れ様でした

2006年03月31日 22時31分40秒 | その他
今日で地域経済課が最後ということで、色々な方から電話やメールをいただきました。以下のような元気の出るメールもいただきましたので紹介します。
「大変な壁にぶち当たっても、上へ上へと立ち上がる竹村さんは大滝を上る錦ゴイのようでした。体は大丈夫なのか?そんなになぜ頑張れるのか?心の中で心配しておりました。私達の仲間もずっと『竹村さんは必ずやり遂げてくれる』と信じて日々頑張っております。また新しい部署になっても『心の中の炎』熱意だけは失わないでください。その熱意は『人』を動かす火種になるからです。くれぐれもお体には気をつけて、頑張って下さい。」
ありがとうございました。今後も地域のために精一杯がんばります。


ありがとうございました。

2006年03月31日 17時55分05秒 | その他
とうとう地域経済課で仕事をする最終日がやってきました。
この5年間、さまざまな人たちにご迷惑をおかけし、また助けていただきながらやってこれました。
特に、私を支えてくれた部下の人たちに心からお礼を申し上げます。
「ありがとうございました。」
私をかばってくれた上司にも心からお礼を申し上げます。
「ありがとうございました。」
私を側面から応援をしてくれた役所の友人に心からお礼を申し上げます。
「ありがとうございました。」
5年前、何もわからなかった私にいろいろと教えていただいた大学関係者や経済団体、そして企業の皆様に心からお礼を申し上げます。
「ありがとうございました。」
この5年間で蒔いた名刺は1万枚近くになりました。
自分でも、これほど頑張れるとは思いもよりませんでした。
そして、最後に3人の小さな天使たちが車椅子に乗ってお礼を言いに来てくれました。
それも、写真のお花をもって。
本当にうれしかったです。こんなに感謝されてもいいのでしょうか。
今度は私から皆様へもう一度、心から
「ありがとうございました。」


自分が気付かない善行

2006年03月30日 23時04分25秒 | その他
今日、隣のK課のN君と二人で飲みに行きました。
N君も今回の人事異動で出て行くことになりました。
彼にとってこの一年は苦労の連続でした。理解者のいない中で、孤軍奮闘をしつづけていましたが、結局、「弓折れ、矢つきる」感があります。
私も、彼に何かをしてやったわけではない。
ときおり、「やってる?」と声をかけるくらいだった。
飲み会の終わりが近づいた頃、彼はごそごそと財布から紙を取り出すと、「これ、覚えてます?」と聞いた。
「ああ、覚えてますよ。」
彼の力になりたいけれど、どうしようもなく、自分の好きな言葉を紙に書いて渡しました。
その内容は、次のようなものでした。
 ①いい男は、さりげなく生きているような努力をしています。
 ②いい男は、苦労したと言わず、苦労かけたと言える人です。
 ③いい男は、誰でも、孤独と焦燥感を持っています。
 ④いい男は、やぶれた夢が、星の数だけひしめいています。
 ⑤いい男は、無償の愛を貫けます。
 ⑥いい男は、必ず影響を与えた女性がいるはずです。
 ⑦いい男は、なぜか憎めない、一緒にいて気持ちのいい人です。
 ⑧いい男は、他人の通信簿に振り回されません。
 ⑨いい男は、いつも上手に心のガス抜きができています。
 ⑩いい男は、他の男とちがう圧倒的な迫力があるものです。
 ⑪いい男は、落ち目のときほど馬力が出せるものです。
 ⑫いい男は、いい人と出逢い、絶対にあきらめない人です。
彼は、「あの時、この紙をもらってずいぶん楽になりました。あれから、いつも困ったとき、苦しいとき、この紙を見るようにしています。私、定年まで、この紙を持ちつづけます。ありがとうございました。」と頭を深々と下げられてしまいました。
面映い思いでした。
何かしてあげたいけど、何もできず、自分の好きな言葉を紙に書いて渡しただけなのに。
自分自身ももう一度、この言葉をかみ締めながら頑張ろうと思った夜でした。

失敗の美学

2006年03月27日 18時09分55秒 | その他
今日、かねてからプライベートで進めていたプロジェクトのメンバーが東京から来られました。
話の中で最近は失敗を許さない風潮が蔓延しており、それが次の世代に継承されているという話になりました。
日本人が古来から持っていたものに敗者に敬意を払うという精神は、失敗を認める美学みたいなものが底辺にあったからだということでもりあがりました。
そうです、失敗を恐れないこと、そして仮に失敗しても許す美学を取りもどそうじゃありませんか。

身を正す

2006年03月25日 17時21分21秒 | その他
今年度、新たな制度を立ち上げました。
この制度は企業誘致にも中心市街地の活性化にも役立つものでしたが、議会の理解が得られにくく、かなりのパワーを必要としました。
その過程で議会対応として、想定質問を担当に作らせるのですが、休み明けに出てくると、その資料と次のようなメモが置いてありました。
「◯◯補助について、かなり突っ込んだ質問を想定しています。ここまでにはならないと思いますが、回答を用意しました。事業を成就させるためには、担当職員の責任を強調するしかないと判断しました。課長に迷惑をかけるとは思いますが、担当職員としても責任をとる覚悟です。不正は一切ないと確信していますので楽観はしています。確認の程、よろしくお願いします。」
このメモを読んだとき、目頭があつくなりました。
異動のシーズン。
こんないい部下のためなら、全責任は私がとります。

サービスの原点は回帰する

2006年03月23日 00時40分37秒 | その他
流通業界のあるチェーン店の研修担当者から、こんな話を聞きました。
今回、そのチェーン店では、流通戦争の激戦区で新たにお店を立ち上げるそうです。
やる限りは、何か勝算があるのだろうとお聞きしたところ、答えは意外なものでした。
「いや、当店は○○店ほど安くはないですし、XX店ほど品揃えはしていませんから、苦戦すると思います。」
「では、なぜ出店されるのですか?」
「私たちは、単に物販だけを目標にしてきたわけではありません。私たちは、お客様に真心をいっしょに売ることを心がけているのです。例えば、返品に来られたお客様が手にしている商品が当店のものでなくともお取替えします。また、食べ賭けであっても同様です。それから、味見をしたいと言われれば、その場で商品を切って試食をしていただきます。私たちは、お客様の言うことを否定したり、『出来ません』を言わないよう心がけるようにしています。」
凄い、これが本当ならば、松山でも人気店になるんじゃないでしょうか。
でも、このサービス手法は、ホテルのコンシェルジェのサービスと同じじゃないですか。
そして、よくよく考えてみたら、昔々、近所の八百屋でおばちゃんに「これ、おいしい?」と聞いたとき、笑顔で目の前で商品を躊躇なく切り分けて、「食べとおうみ、おいしいけん。」といって差し出してくれたサービスと同じやないですか。
真心のこもったサービスとは、時代の変遷で変わるものじゃないと痛感した話でした。

恥じることと勇気をもつこと

2006年03月21日 22時55分29秒 | その他
ある人から、「恥じる」とは人の話を耳だけで聞いて心で聞かない、つまり話の本質を見ていない行為を言うそうです。
自分の生き方を恥じるとは、自分の自尊心(プライド)を著しく傷つけている行為だそうです。
自分は正々堂々と生きてこれたのかを常に問いかけながら、自分を信じて生きていく。
正しい道をまっすぐに進む力こそが、「勇気をもつこと」だそうです。
最近、私は今の仕事に就けたことを感謝しています。
なぜなら、仕事を通して、人の役に立てるからです。
本当に幸せだとつくづく思うのです。
また、近年、外にたくさんの友人が出来ました。
その人たちから、たくさんの勇気をもらいました。
自分が、例え、人からどのように言われようが、思われようが、私を支えてくれる人がいるんだと心から思えるようになりました。
そのためにも、自分を恥じず、勇気をもってまっすぐ生きていこうと思います。

送別会

2006年03月20日 22時52分41秒 | その他
人事異動のシーズンがやってきました。
私の職場では、一足早くI君が経済産業省への派遣が決まり、その送別会が今日ありました。
一次会は居酒屋、二次会はカラオケボックスといつものコースであります。
写真は、カラオケボックスでのものでありますが、歌って踊って久しぶりにはじけた一日であります。
人数は二十人弱、はじけるとそれはもう大変。
でも、この一年、本当に苦労をかけました。
一人ひとりが本当に最善を尽くしてくれました。
こんないい加減な上司に、本当に尽くしてくれました。
課長になって初めて気づいたことは「職が人をつくる。」ということ。
「課長、・・・・・です。」と報告に来るときは、たいてい厄介なことが起こった時でした。
でも、それは課長にとって醍醐味の一つでした。
ワクワクする瞬間でした。
頼ってもらえてるなと感じる瞬間でした。
一人ひとりの顔を見ながら、何をしてやれただろうかと自問自答しながら楽しめた夜でした。
この顔ぶれで飲めるのは、最後かもしれないけれど、あの時は面白かったなあと思えるような仲間であると感じているのは、私だけでしょうか。

京都の花燈籠

2006年03月20日 01時04分23秒 | その他
京都・知恩院から円山公園を経由して清水寺まで至る「京都・花灯篭」を勉強しに行ってきました。
あいにくの雨でしたが、京都の観光戦略を垣間見たような気がします。
松山もまだまだ学ばなければならない点がたくさんあるなあと、感じながら回った雨の京都でした。
それから、夜食べた筍料理のうまさに驚くとともに、京都の食のもてなし方も大変勉強になりました。

武士道とは...

2006年03月08日 23時28分41秒 | その他
今日、素敵なメールが入りましたので、紹介します。

今読んでいる「武士道」の中に「礼」(「礼」とは他人に対する思いやりを表現すること)の最高の姿として、ほとんど愛に近づく。「長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまないものである」という一節がありました。

このメールをいただいて最初に感じたことは、前にも紹介したと思いますが「士魂商才」という言葉です。武士の魂をもって生業を営えば、利は自ずと付いてくるという意味だそうです。
利益よりも、まず人のためにを優先し、ビジネスを行えば、必ずや利益が出るものであり、その方が長続きするのだそうです。
そして、「武士の魂」とは、この「礼」に尽きるのでしょうね。

最近、このようなメールを多く受け取るようになりました。
勇気づけられるメール、元気になるメール、そして自己を真摯にさせ精進させてくれるメールが増えています。この場をお借りして、お礼を申し上げます。
                  感 謝。

こんな私でいいんでしょうか?

2006年03月07日 21時32分19秒 | その他
役所の後輩のN原君から次のようなメールが届きました

S支所のN原です。

先日、(株)O社社長のD様にお願い・お話する機会がありました。
その際に市役所(支所)の対応がとても良くなったとお褒めいただくと同時に地域経済課の竹村課長には同社誘致の時からの縁で、その他も精力的な活躍で、ああいう方でないと良くならない!私は大のシンパですと絶賛されていました。
近日会われる機会あればお話がでるかもしれませんのでお知らせまで。

出先にいても竹村さんについてこういうお声が聞けて誇らしく思います。花粉症も真っ盛りですがこれからも体に気をつけて頑張ってください。

自分自慢で嫌なのですが、ついうれしかったので掲載してしまいました。でも、Dさん、私でいいんでしょうかね。シンパい(心配?)でないですか?

32回目の3月7日

2006年03月07日 01時49分28秒 | その他
今年、親父の33回忌法要を行いました。
32年前、私は17歳で今の娘と同い年でした。
あの日は、曇天の今にも泣き出しそうな天気でした。
試験を終えて帰ってきた私は、一眠りしようとしたとき電話のベルが鳴ったのです。
母が受話器を取ると、なにやらあわて始めました。
「父さんが事故にあって怪我をしたらしい。すぐに病院に行くけん支度おしなあ。」
「ひどいんか?」
「たいしたことないと会社の人は言うとった。」
タクシーで病院に駆けつけると、会社の人が青い顔をして立ちすくんでいました。
「どうですか。」と母が聞くと、「先生に容態を聞いてください。」と言われた。
先生のところまで行くと、「残念ですが、運のいい人は助かる人もいるんですが。」
なんのことか、わからなかった。
「君、連れて行ってあげなさい。」
看護婦さんに連れられ、地下の安置所まで降りていくと、白布をかけた寝台車がありました。
母は崩れながらも、父の遺体にすがりついたのです。
でも、それは足の方にしがみつくのです。
自分で認めたくなかったのでしょう。
まるでドラマのシーンでも見ているような感覚で、私はその白布をはぐってみました。
はぐる直前、なぜか冷静に、これをはぐると私の人生はまったく変わるのだと思いました。
紛れもなく父でした。
それから、半狂乱のように泣き叫ぶ母の声が地下の廊下を覆いました。
母を正気に戻すために、私は母を殴ったのです。
母は正気を取り戻すと、整然として、私に向かって「故人に恥をかかさんために、人前で泣くのはやめよう。約束をしてくれ。」と言うのです。
父は小さいときから、「男は人生の内、3回泣けばいい。1回目は生まれたとき、2回目と3回目は親が死んだときや。」
そう許されていたのにもかかわらず、母は泣くなという。
そういう約束やから、なんとか守りました。
それから、私は声を押し殺して泣くことを覚えました。
慟哭とは、覚えなくてもいい泣き方であります。

ロープウェイ駅舎完成

2006年03月05日 21時24分00秒 | その他
本日、松山の重要な観光施設の一つでありますロープウェイ駅舎が完成しました。
多くの主賓や来賓の方が訪れていたのですが、この施設を設計から完成まで導いた設計技師のTさんとHさんは、正装でなくいつものとおりの作業服でした。
特に、Hさんはとってもがんばり屋で、ずつと遅くまで、お休みまで出てきて仕事をしていました。とっても粘り強い女性です。完成イベントの後も職場に戻って再び仕事をしておりました。(凄~い!!)
うち(当課)の女性スタッフもがんばり屋さんですが、Hさんはさらに、その上をいくのです。「今日ぐらいは帰ったら。」と声をかけると、「次がありますから。」とキッパリ。
皆さん、市役所の女性職員をなめたらいかんですよ。本当に感服してしまいます。

難しい仕事をやり抜く部下 Part Ⅳ

2006年03月03日 21時29分52秒 | その他
本日、愛媛大学で「次世代医療福祉産業セミナー」が開催されました。
出席いただいたのは、つくば大学の山海先生、内閣府沖縄部局産業振興担当の滝本参事官(松山市出身)、四国ガンセンターの谷水先生、愛大の清水名誉教授、愛媛県中小企業家同友会の井浦相談役です。
なかなかの顔ぶれです。
会場も満席に近く、熱気ムンムンのなかで行われました。
今回のセミナーの目的は高齢者人口の増加を背景にした、医療・福祉・介護産業の育成と拡大という重要な位置づけでした。
特に今回、次世代での医療福祉産業における活躍が期待されている最先端技術、ロボットスーツHALの開発者である、筑波大学大学院システム情報工学研究科教授 山海 嘉之 先生をお招き出来たのは凄いことなのです。
また、内閣府沖縄部局(産業振興担当)の滝本 徹 参事官も、健康産業クラスター形成の取り組みだけでなく、地域にいかに産業を創出・拡大できるかをしっかりとお持ちの方で、こういう方が松山出身であるということを誇りに思います。
しかし、特筆すべきは、今回のセミナーを仕切ったN島リーダーであります。
またまた、やってくれました。でも、この一年彼が成功させたセミナーやシンポジウム、またフェアの数は4つであります。
それも、すべて話題と観客動員数では役所一ではないでしようか。
本当に安心して任せられます。N島リーダーをはじめ、関係者、特に東京事務所のS伯君に心から感謝です。

二大巨頭出会うの巻

2006年03月03日 10時31分47秒 | その他
この写真は、福祉機器メーカー㈱イウラの井浦顧問と筑波大学の山海先生の激突の写真です。
かたや四国のエジソン、もう一方はつくば大で最もノーベル賞に近いと噂されている先生、さしづめゴジラ対モスラの対決を思わせるようなシーンであります。(笑)
初対面ながら、互いに共通するものを感じたようで終始熱い話が繰り広げられました。
でも、この出会いが日本の新たな福祉産業を変える可能性を秘めておりますから、本当に歴史的なシーンに立会いできたことを感謝します。