走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

全国選挙管理委員会連合会

2013年05月27日 19時27分50秒 | 職場の出来事

 先週一週間は、ほぼ東京出張でした。
 そして、今日は、その余波でいなかった一週間分の仕事に忙殺されました。
 正直、まだ追いついていません。

 今回の出張は、全国の選挙管理委員会の委員長や職員が集まる会で6年ぶりという公職選挙法の改正が主なテーマでした。
 ネット選挙の解禁や成年後見人制度の改正など、新しい制度改正もともない休憩時間にはどのようになるのかという話をしていました。

 法改正は何でもないことのようですが、これがボディブローのようにじわじわ地域社会に影響を与えるのです。

 特に、ネット選挙の解禁では、むしろ選挙時に候補者が情報を発信する量が限られていましたが、自分の思い(マニュフェスト)を十分伝えられる機会が増えるということです。
 ただし、その反面いいぱなしは許されませんから、ある程度実現可能なものを取り上げる必要があり、そのための日頃の勉強が支持者獲得につながることになると思います。

 そういう意味では、各候補者は選挙人にいかにわかりやすく自分のマニュフェストを伝えるかといったプレゼンテーション能力が求められるようになるでしょう。

 そして、そのマニュフェストも社会情勢などの変化から変えなければならない事態が生まれてくると思いますが、そのときに明確に説明できる説明責任能力といったものがあわせて必要になることでしょう。

 どちらにしても、今、政治活動や選挙運動が大きくかわる歴史のターニングポイントのような気がします。

映画 奇跡のリンゴ

2013年05月20日 23時13分31秒 | 映画

 皆さんは知っていますか。
 木村秋則さんを?

 りんごを自然栽培で育てると決めて11年目にやっとリンゴが実り、そのりんごが「奇跡のリンゴ」と呼ばれているのを
 インターネットで販売すると数分で売れてしまうというシロモノです。
 自身もNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出ておられました。
 私たち、NPOユニバーサルクリエートの自然栽培の師匠でもあります。

 その師匠のお話が映画になり、6月8日から封切りになります。
 内容は次の通りです。

 阿部サダヲ、菅野美穂が夫婦役を演じ、不可能と言われたりんごの無農薬栽培に取り組み続けた木村秋則さんの実話を映画化したドラマ。
 日本最大のりんご畑が広がる青森県中津軽郡で生まれ育った秋則は、りんご農家の娘・美栄子とお見合い結婚して婿入りし、りんご作りに携わるようになる。
 しかし、りんごの生産に不可欠な農薬が美栄子の体を蝕んでいることがわかり、秋則は、絶対不可能と言われていた「りんごの無農薬栽培」に挑む。
 私財を投げ打ち、10年にわたり挑戦を続けるが、無農薬のりんごが実ることはなかった。
 周囲からは白い目で見られ、家族は貧困に打ちひしがれるが、そんなある時、荒れ果てた山の中で果実を実らせた1本の樹を見つける。
 原作は、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班が監修した「奇跡のリンゴ 『絶対不可能』を覆した農家・木村秋則の記録」(石川拓治著/幻冬舎文庫刊)。
 監督は「ゴールデンスランバー」「チーム・バチスタの栄光」の中村義洋。

 ぜひ、ご覧ください。


映画 県庁 おもてなし課

2013年05月19日 09時19分41秒 | 映画

 昨夜、映画「県庁おもてなし課」を観に行く。
 あらすじは次のとおり。

 全国が観光ブームに沸く中、高知県庁は観光促進を目的に「おもてなし課」という新部署を設立した。
 ……が、やる気はあるが空回りする若き職員・掛水(錦戸亮)をはじめとするメンバーたちは、何から始めていいのかわからず戸惑うばかり。
 そんな様子を、地元出身の人気作家・吉門(高良健吾)から"スピード感のないお役所気質"だと強烈にダメ出しされる。
 掛水は、指摘された"柔軟な民間感覚"を補うべく、優秀なアルバイト・多紀(堀北真希)を他部署からスカウト。
 二人は吉門の言う、かつて独創的な観光プランを提唱しながらも県庁を追われた伝説の元職員・清遠(船越英一郎)の力を借りるべく、彼を訪ねる。
 しかし、父親を追いやった県庁を憎む、清遠の娘・佐和(関めぐみ)に追い返されてしまう……。

 二人は数々の壁を越え、ふるさとでの本当の「おもてなし」を見つけ出すことが出来るのか?
 掛水と多紀、すれ違ってばかりの恋の行方は?? 
 高知に戻ってきた吉門の秘めた想いとは???
 今、ふるさとから日本を元気にするためのビッグプロジェクトが動き出す!!

 映画を観て、久しぶりに原作も読もうかなという気がしました。
 人にはさまざまな思いがあり、その思いを貫くためには様々な障害が生まれます。
 その障害を乗り越えられるかどうかが、その思いをカタチにすることだと思います。
 そして、どのレベルで妥協するかも大切な要素です。
 この映画には、そのようなことが凝縮されているような気がしました。
 
 
 
 

私の履歴書 安藤忠雄(建築家)

2013年05月16日 23時59分43秒 | つぶやき

 BSテレビ東京で毎週木曜日に「日経スペシャル 私の履歴書」というのを上映している。
 もともとは、日経新聞の「私の履歴書」を映像化したものである。
 この番組がなかなか面白い。

 今は、建築家の安藤忠雄さん(4回シリーズ)だ。

 安藤さんの人間性がよく出ていて興味深い。

 今日の特集の中に表参道の同潤会青山アパートの再開発について紹介されていた。
 同アパートは、関東大震災(1923年)の復興事業として昭和2年に建てられたものである。
 当時としては先進的な建物や設備が施され鉄筋コンクリートで建てられた。
 しかし、昭和40年頃から老朽化が指摘され始めていた。
 そして、1995年の阪神・淡路大震災を契機に同アパートの建て替え再開発の議論が起こった。

 そして、入居者との話し合いを安藤さんは始めるわけだが、危険だとはわかっていても入居者は愛着を持っているため大反対されるのである。
 私自身も友人がこのアパートに住んでいたことがあり、連れて行かれたことがある。
 その友人は懐かしそうに蔦の絡まるそのアパートを誇らしげに紹介したものである。
 正直、私にはその価値が見出せなかったが、手摺りを障りながら愛おしそうに説明するその友人の姿が思い出される。

 話を戻すと、安藤さんは建築だけでなく再開発の問題にも巻き込まれたのである。
 当初、地権者150人中賛成者はわずか10人。
 聞く耳すら持たない人も多くいたという。
 安藤さんは愕然としたという。
 安藤さんの顔すら見たくないという人も出た。
 多くの反対者を相手に意見を交わすのは、地獄のような時間だったという。
 そして、地権者とともに悩み、苦しんだという。

 出てきた答えは、「記憶の継承」

 地権者一人ひとりの思い出を引き継ぐことだった。
 計画から10年。
 同アパートは表参道ヒルズにその姿を変えた。
 建物の高さは同アパートとほぼ同じ。
 それはアパート前にある欅(けやき)並木を心のシンボルとする人たちが多く、アパートの高さが見事に調和していたからである。

 そして、ヒルズの横に一棟ですが同アパートを見事に復元した。
 
 安藤さんは、何よりも「心の風景」を残すことにこだわったというのである。
 その根本には、「決して妥協したくない」という精神が脈々と流れているからでありましょう。

 そのためには、「時間をかける」というのだ。
 時間をかけて相手を説得する。

 このことは、私たちまちづくりを行うものが最も忘れてはならない精神なのである。

 そして、同氏が設計した建物「坂之上の雲ミュージアム」がこの松山市にあるのはとても誇らしいことである。

地域を支える情報提供  愛媛・松山・daiki通信 No.8

2013年05月14日 21時12分40秒 | 地域情報/その他

 最近、知己を得たダイキ(株)社長の高橋宰さんから次のようなメールをいただいた。
 月二回、全国に向けて高橋社長自身がこのような内容で情報発信しているとのこと。
 驚きであり、アグレシブルにご活躍されておられるので、どうやってこの時間をねん出されておられるのか脱帽である。

 「元気な町だよね」とうれしい言葉を掛けていただくことが多くなったと言われる「今治市」。
 「今治ってどんな町?」…愛媛県内第2の東予地方の都市ですが…。
 今治タオル、ゆるキャラ・バリィさん、ご当地グルメ焼豚玉子飯…。
 全国区の人気となった「ゆるキャラ・バリィさん」初め、市の代名詞となる特産品が話題を集めています。
 週末ごとに県外ナンバーの車が増え、まさに市街地再生に一歩近づきつつあります。
 その中で元気を取り戻しつつある商材の1つが、「今治タオル」。

 昨年は東京など各地に今治タオル専門店が相次ぎ開店。減少を続けてきた生産量も品質の良さが再評価されて上向いてきました。
 今治市は、工業出荷額が年間152億円と国内最大のタオル産地です。
 温暖な気候、良質の水を生かした綿花栽培と、江戸時代から白木綿などの織物業が盛んでありました。
 1879年(明治12年)に四国で初のキリスト教会が今治に設立されて西洋文化が広まり、新しい商品作りに取り組む気風が生まれたと
 伝えられています。
 1894年(明治27年)に今治でタオル製造が始まり、綿織物を手掛けていた業者が生産するようになり、大正時代には高級なジャカード織りの導入で生産額が拡大しましたが、平成になると海外産の安価なタオルに押されて出荷額が急減し、一気に市街地も廃れ始めます。

 2006年度には今治商工会議所が四国タオル工業組合や今治市と連携し、国の「JAPANブランド育成支援事業」として採択されてプロジェクトを開始。
 ブランド商品の開発やタオルソムリエ資格試験で注目され始めました。
 アートディレクター佐藤可士和さんデザインの統一ロゴマークを制作。
 独自の品質基準で高い吸水性と安全性を備えた製品をブランド認定し、PRしております。
 最近では、製造工程などに天然染料を使用したオーガニックタオルや生産過程で廃棄されるタオルの端切(はぎ)れに着目し、バスマットや座布団などを作る材料として紹介され、「捨てみみ」という端切れ廃棄材をエコ活用して、厚手で吸水性に優れるなどの品質の良さを生かして毛糸のかぎ針編みと同じ要領でマットや雑貨を作る「布編み」でも注目されています。

 さらに平成23年から欧州市場の開拓を目指し、イタリア・ミラノで開かれる世界最大のインテリア雑貨見本市「マチェフ」に参加し、「IMABARI」の知名度向上を展開して参りました。
 今年も今治タオルの特長である柔らかさや吸水性が高く評価されたことやイタリア国内に販売網を持つ現地代理店と契約できたことに加え、円安効果もおくってくれま寄与し、会期中の成約額は昨年の約3倍に上ったと報道されています。

 今回は、海外でその「ブランド」を確立しつつある「今治タオル」をご紹介します。
 これからの汗ばむ季節の必需品…「ふれるとやさしい気持ちになれる」その肌ざわりの良さ、使い心地の良さ、ご利用いただいて「なるほど」と合点がゆく商材としてご提案申し上げます。
 是非お試しください。

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 もう、すっかり愛媛の人になった感がする高橋社長。
 もっともっとがんばって地域資源を世間に送り出してもらいたいものです。

プロフェショナル 仕事の流儀 酒向正春

2013年05月13日 23時56分30秒 | うれしい

 今夜のNHKの「プロフェショナル 仕事の流儀」はリハビリ医・酒向正春医師だった。
 このブログでも何度か登場いただいた。
 先生の人間性が出ていたすばらしい番組だったように思う。

 番組の内容についてはホームページ(http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0513/index.html)から引用しよう。


 脳の力を引き出す。

 

 脳卒中によるマヒなどの後遺症を治療するため、できる限り早い段階から、積極的に体を動かしていく“攻め”のリハビリテーション。
 この分野の最前線で闘う酒向が武器にするのが、脳の画像分析だ。
 脳卒中の専門医としての経験を生かして、患者の脳の画像を詳細に検討し、傷ついた脳に残された回復の可能性を見つけ出す。
 そして、読み取った情報に基づいて理詰めのリハビリを繰り返していくことで、失われた体の機能は驚くほどの回復を見せる。

 リハビリ 人生の再出発

 リハビリの現実は、決してなまやさしいものではない。
 脳卒中による後遺症を抱えた患者の中には、せん妄やうつ病など、精神的なダメージを負ってしまうケースが少なからずあり、それがリハビリを難しくする。
 しかし酒向は、どんなに困難なケースでも、最後の最後まで粘り抜く。

      

 リハビリには、患者の人生を取り戻すという大切な役割があると、信じているからだ。
 「リハビリは、まさに再出発。
  おいしいものを食べる、見たい景色を見る、それで自分が生きてるということを実感し、新たな人生を送ってもらう。
  それをサポートするのが私たちの医療。」

 命が助かった、リハビリをして、それで終わりじゃない

 「こんなに患者の気持ちを分かってくれる先生はいない。」そう評される酒向の医師としての姿勢は、
  自らが味わってきた苦しい経験の中で培われた。
  中学1年の時に交通事故で重傷を負い、人を救う医学の力に憧れを持つようになった酒向。
  やがて、多くの患者の命を救う脳神経外科医となったが、一命は取りとめても重い後遺症に苦しむ
  患者に対し、何もしてあげられない無力感にさいなまれるようになった。
  そして、40代にしてリハビリ医に転身したが、今度は父・正信さんが脳梗塞で重い後遺症を負った。
  酒向は自らリハビリを手がけて回復させたが、退院後に再び悪化。
  「リハビリ後」も体の状態を維持し続けることの難しさを、家族という立場で嫌というほど味わうこととなった。
  酒向は今、すべての経験を糧にして、患者と家族を支える医療を目指している。
 
 
 番組はこのように展開していた。
 この内容の中で、感動したのは人間臭い酒向正春医師が出ていたことであろう。
 通常ならかっこいいところだけを見せて当然なのだが、自分の限界を見事というくらい露呈している。
 特に、自分の父親を公開してでもである。
 ただ、先生の真摯な姿勢は、人間の成長は限界を知るところから始まるんだということを言っているような気がした。
 そして、そこから学び取る姿勢こそ本当に大事なんだということを教えていただいたような気がする。

 結びの「プロフェッショナル」とは、

  どの仕事でも、ひたむきに仕事をしていると
  2~3年で限界が見えてきます。
  そのときに、しっかりと情熱をもって、使命感を持って
  その限界をクリアしようと努力して、
  アクションを起こせる方がプロフェショナルじゃないかと考えてます。

  先生らしいお言葉でした。

埴生山登山

2013年05月12日 19時57分55秒 | 地域情報/その他

 今日は、前の職場で「生石地区まちづくり協議会準備会」を立ち上げ、地域のランドマークである埴生(現在は「垣生」)山を里山に整備しようという企画が持ち上がり、それに向けての取り組みが進められています。

 第一回は、旧双海町の若松さんをお呼びし、まちづくりについて勉強会を行ったわけですが、本日はその2として皆で埴生山を登ろうという企画でした。

 抜けるような五月晴れの中、気持ちのいい汗をかくことができました。
 参加予定人員は、当初、35名程度でしたが、実際に参加した人はその約3倍くらいになってました。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

失敗を許さない文化

2013年05月10日 22時20分26秒 | つぶやき

 日本という国は、表面的にはきれいごとを言っていても現実的には「失敗を許さない文化」に満ち満ちているのかもしれない。
 特にビジネス社会においては、失敗者は信用されず、人知れず消えていくしかない運命のような気がする。

 欧米では、ベンチャー企業のトップがそのような失敗者だとしたら、かえって評価される場合がある。
 事業に失敗するというのは本当に悲惨である。
 そこから這い上がってきたのだから二度と同じ過ちは繰り返さないだろうということである。
 そういう意味では懐が深い。

 学生の時に、伯父の事業の失敗で債権者側になったことがある。
 ただ、その伯父が一時行方不明になったため大学生の私が、後始末と債権者会議を主導する経験をした。
 なぜか、債権者席ではなく、事業経営者側としてである。

 会議は5~6時間に及んだ。
 ただの一言も弁明できない。
 人生の中でさまざまな厳しい会議に出席したが、あれほど辛い会議はなかった。

 失敗するには、さまざまな原因がある。
 一つであることは珍しい。
 不運が重なり合っているケースが多い。

 最近知り合ったベンチャーの社長さんは、その時のトラウマで今も自信を持てずにいる。
 人間的には欠点もあっただろう。
 しかし、今はその時の自分を責めても、人のせいにはしていない。

 そして、何とか、残りの人生を、世のため、人のためになる仕事をしたいと起業したというのである。
 しかし、世間(特に金融機関)は許さない。
 今も、倒産した時の従業員の顔が浮かんできて、朝起きると涙が頬を伝わっているときがあるという。

 その人の不運のきっかけになったのが、阪神淡路大震災。
 基幹店が被災し、大きな損害を被り、あてにしていた問屋も震災のあおりで倒産、身動きが取れなくなったというのである。
 「国などの救済措置を受けなかったのですか」と問うと、
 「どれも条件に合わなかったのです」と肌身離さず持ち歩いている出さずじまいに終わった「り災証明書」を見せてくれた。

 行政の立場にいる人間として、他に方法がなかったのだろうかと悔やむ。
 金融機関の人たちは、「お気の毒ですが...」とは言ってくれましたが、言うだけで終わりました。

 その社長さんは続けて言う。
 「倒産にも条理と不条理があると思うんです。条理の部分で倒産したならば致し方ないと思います。
  でも、不条理なことで倒産に追いやられたら悔しくて仕方がない。諦めきれない。
  でも、社会は落第者としかみないのです。」

 悔しさがにじみ出る。
 行方不明になっていた伯父が出てきたとき、抜け殻のようになっていた。
 そんな伯父を責める気にはならなかった。

 ただ、どんな人でも 「Re Dream(夢よ、もういちど)」があってもいいんじゃないかと思うのです。

 

今日は何の日?

2013年05月09日 21時55分09秒 | おもしろい

 皆さんは今日が何の日か知っていますか?

 知らない?

 今日は、5月9日なので「ゴックン」の日なのだそうです。
 実は、昨夜、高知県馬路村の職員の人たちと友達になり教わりました。

 驚いたことに、「これ、見たことあります?」と出されたのが下のドリンク写真です。

  

 まぎれもない「ゴックン」です。

 常に持ち歩いているという、このプロ意識には脱帽です。

 そこで、「なぜ、ゴックンはブレイクしたんでしょうね?」と質問すると、

 「もともと柚子を加工して売るには、ポン酢くらいしか思いつかなかったんです。
  そこでドリンクにしたらということで生まれたのがゴックンです。
  でも、片田舎で生まれたドリンクをどうやって売ったらいいかわからない。
  スーパーにおいてもらおうにも、どうやっていいかわからない。
  そこで考えたのが、『外堀大作戦』です。
  商品をどこにも置かないうちにバンバン、テレビCMを流したんです。
  そうしたら、消費者からスーパーに問い合わせが来て、そこから問い合わせが
  きたのです。
  そうすると、生産が追い付かないから相手もそんなに売れているなら、ぜひ
  置かせてほしいとなったんです」

 「それは、誰が思いついたんですか?」

 「当時のJAの組合長です。それからが大変です。みんな巻き込まれちゃって」

 「うれしい悲鳴ですよね」

 「確かにそうなんです。もともとうちのJAは変わっていて農薬・肥料を売らないというので有名だったんです。」

 「へぇ~、それで(経営が)成り立つんですか?」

 「はい、今のJAはほとんど金融部門で食べています。なら、農薬・肥料を売るのをやめて安心安全な農産物を消費者に届けようということになったんです」

 「へぇ~、自然栽培を一番反対するのはJAかと思いました。すみません。」

 「勘違いしてもらっては困るんですが、いかにおいしいものを安心安全に届けるか、その一念なんです。」

 「へぇ~、当たり前のことがとっても新鮮に聞こえますね。」

 初対面だというのに、またまた打ち解けてしまい、高知県馬路村に友達ができてしまいました。

 そして、今日帰りに「ゴックン」を買って帰って、ゴックンしました。