走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

リーダーの属性

2009年12月31日 08時23分20秒 | つぶやき
 年末年始に読書三昧をしようと本を買って帰って来たのだが、雑事に追われなかなか読み進まない。
 しかし、その中に感じたものがあったので紹介する。

 ジョン・ウィリアム・ガードナーの「リーダーシップの本質/ガードナーのリーダーの条件」より、現代の複雑化した大規模組織におけるリーダーの機能と役割を探り、以下のようなリーダーの属性をまとめている。

 ①優れた直観力を持つ
 ②エネルギッシュである
 ③人々を行動に導く説得力がある
 ④管理能力、決断力、優先順位決定能力がある
 ⑤自ら進んで責任を引き受ける
 ⑥自信がある
 ⑦物事の取り組みに適応性と柔軟性がある
 ⑧情報整理能力に優れている
 ⑨粘り強さがある
 ⑩達成欲求がある
 ⑪言いたいことをはっきりと主張する
 ⑫部下の気持ちを理解できる
 ⑬信頼を勝ち取り、持続させる能力がある
 ⑭部下や自分の支持者を理解し、彼らのニーズを理解している

 これって課長試験や主査試験を受ける人に役に立つかも...

ブリ大根

2009年12月30日 22時39分42秒 | つぶやき
 今日、仲のいい友人から「鰤(ブリ)」をいただく。

 「刺身だけだと勿体ないな」と思っていら、娘から注文がついた。
 「ブリ大根がいい」

 仰せのままである。
 苦戦しながら、ブリ大根を仕込んだ。
 きっとうまい(はず...)
 私の心を込めて作った料理である。
 文句は言わせない。
 ブリ大根のポイントは、私のように味がしみこんだイイ男に仕上げるということ。

 こうやって自惚れると大概失敗する。

 どちらにしても今夜寝かせて、大根に味がしみこむまで待つことにした。

頑(かたく)なに守るべきもの

2009年12月29日 23時55分50秒 | ちょっといい話
 今日、学生時代から通っているお店に行った。
 学生時代からだから、35年くらいの付き合いになる。

 その店の店主は年齢的に近いせいもあって、若い頃からよく可愛がってくれた。
 最初の店が家の近くということもあって、結婚後もよく通った。
 悪さもいっしょにした。
 なぜか気がよくあった。

 そして、家から真反対の所に店が移り、少し足が遠のいた。
 年に数回しか通えなくなった。
 それでも途切れることはなかった。
 今日は色々な話をしてくれ、若かった頃とはまたちがった話をしてくれた。

 お店の生命線であるレシピまで話し出す。
 そして、経営手法や価格戦略、商品構成などなど。
 内心、「どうしたの?」と思ってしまった。

 業界がちがうとはいえ、私がしゃべらないと思っているのか。
 それとも私ではまねできないと思っているのか。
 どちらにしても、「油断しすぎですよ」と思うくらい...

 印象に残ったのは、次の話である。

 「食い物屋が、なぜ失敗するか、わかるか?」
 「お客さんが味に飽きるからですか?」
 「味はずっと進化している限り飽きられん」
 「じゃあ何故ですか?」
 「おいしいものはヒットする。ヒットすると素材の原価を下げ始める。
  それにお客さんが敏感に反応し、廃れていく」
 「そういうケースは多いですよね」
 「お客さんの舌を高めておきながら、素材を下げるとその舌が反応する
  のは当たり前やろ」
 「なるほど」
 「ええか、ヒットすればするほど素材に金をかけないかん」
 「でも、お客さんに飽きられんために、もうけたお金で店舗を拡張したり、
  改装したりするじゃないですか。すると、その負担を価格か素材に
  影響出るのは仕方ないことないですか」
 「だからいかんのよ。味を落とすくらいなら、事業なんて大きくせんでも
  ええんよ」
 「それで大丈夫なんですか」
 「食い物屋の生命線である『味』をおろそかにする。そのこと自体が
  おかしいと思わんか」

 奥の深い話だと思った。
 この商品を私たちの仕事のサービスに置き換えてみると、サービスのクオリティをあげるために一定の努力を行うが、ある程度の目標が達成されるとその努力をやめてしまうことが多い。
 私たちの仕事の根底にあるのは、「サービス」である。
 でも、なんとなくそのサービスが軽んじられているような気がする。

 若い頃、出張の時に自分のポケットマネーを足して高いホテルに泊まった。
 そして、(宿泊ホテルの)ランクを上げていった。
 すると、見えてきたのは高いホテルには「コンシェルジェ」がいるということ。
 そして、より高いホテルほど複数のコンシェルジェがいるということ。
 さらに、ホテルではこのコンシェルジェをキャリアの中で経験していないと幹部になれないということ。

 サービスは目に見えない。
 その分、どうしても軽んじられるが、そうだからといって手を抜くと、とんでもないしっぺ返しがまっている。

 今一度、自分の足下を見返さなくっちゃと、つい思ってしまった。

 

御用納め

2009年12月28日 21時12分40秒 | 職場の出来事
 今日は御用納め、なにやら気ぜわしくあっという間に時間がたちました。

 10時からは本館で全体の御用納め式があり、引き続いて11時から教育委員会の御用納めの式がありました。

 さらに、11時半からは課内でいる職員に次のような話をさせていただきました。

 ①今年一年、大過なく過ごせたのはすべて皆さんのおかげです。
  心から感謝するとともに、お礼申し上げます。

 ②仕事は絶対に一人でできるものではありません。
  それぞれが助け合い、力を合わせて行うものです。
  来年も、この力を結集してがんばってください。

 本当に、この一年も部下たちや地域の皆さまに助けていただきました。
 少し早いですが、来年もよろしくお願いいたします。

物語力とは?

2009年12月27日 19時04分58秒 | アイデア
 最近仕事をしていてよく「物語力」という言葉を使うようになった。
 例えば、「この商品には物語が必要ですよね」とか、「この事業には物語を最初から創っていかないとうまくいかないんじゃないか」といった具合に使う機会が多くなったのですが、ではこの物語を創る力、「物語力」とは何なのか。

 私が考える「物語力」とは、色々なシーンで複数の人に対して、そのサービスや商品を理解してもらうために行う時に最も必要とする力ではないかと思うのです。
 人は論理的な説明だけでは心動かされるものではありません。
むしろ、その真意(コンセプトでもあります)を伝えるために、己の失敗談や例え話を上手に織り交ぜながら説明することで聞いてくれている人たちの心を揺さぶり引き込んでいく、決して主役ではなく補完的な手法だと思うのです。

 ナラティブ・コンサルタント世界銀行元ディレクターのスティーブ・デニング氏は、この「物語力」が有効な局面として次のように分類しています。

 1.人々を行動に駆り立てたい局面
  ①肯定的なトーンを持った単純な話
  ②ハッピーエンドになる話
  ③聞き手各人に「自分たちもできる」と思わせる仕掛け
 2.信頼を勝ち得たい局面
  自分を物語る上で注意する点は、単なる経歴紹介ではなく、自分の強さ、
  または弱さを示す象徴的な出来事を語ること
 3.組織の価値基準を伝えたい局面
  現代社会において組織活動は、仮想化し、物理的にスタッフを直接監督
  できなくなっています。
  監督されていない多数のスタッフが組織を代表して外部と接している以上
  スタッフ一人ひとりが組織の価値基準を正しく共有できていなければ、
  組織は甚大なリスクを抱えます。
  また、価値基準は単に命令したり、罰則を説明するだけではスタッフに
  浸透しません。
  そこで社内伝説や寓話など短い物語を使って、価値基準を伝えます。

 この点については、私自身の職場に合致しますので痛いくらい理解できます。
 来年はこの物語力をしっかり身につけようと思っています。

一切皆苦(いっさいかいく)

2009年12月26日 23時36分05秒 | 職場の出来事
 昨日に引き続いて面談をした部下の話

 彼は悩んでいた。
 というのも自分の欠点を今まで真剣に見つめなおしたことがないというのである。
しかし、ここ最近、冷静に自分という者を見つめなおした時に、常に逃げていた自分がいたというのである。
実は、他からそういうタイプだと聞いていた。
でも、私はそのことについて一切触れなかった。

 そうしたら彼の方から「自分は逃げるタイプ」ですと告白された。
 そうか他人に言われるよりも自分が一番知っているのかと。
 でも、変わりたいという彼がそこにはあった。
 苦しいのだろう。
 
 そういえば仏の教えに「一切皆苦」というのがある。
 意味は、この世は苦しみの世なのである。
 だからこそすべての生きものは、その苦しみに耐えて生きているというもの。
 雨や風や嵐や雪に耐えて生き抜いていくからこそ、生命(いのち)は儚(はかな)く美しい。
 苦しい中だからこそ、生命(いのち)は尊い。

 他の生きものと違い、人間には精神(こころ)というものがある。
 苦に対する忍耐力と、それを克服する行動力こそ「生きがい」につながるのだと。

 いつまでも逃げていては、「やりがい」や「生きがい」を感じることはできない。
 まず、目の前の壁から「逃げない」という気持ちを持つこと。
そして、それに立ち向かう勇気とやり抜こうとする精神力を持つこと。
さらに、取り組みはじめると、その壁がとんでもなく厚かったり、高かったりすることに気づく。
 でも諦めてはいけない。
辛抱強く、切り崩すための行動を情熱を持って継続することである。
そうすればいずれ活路が生まれる。
その時に一気に乗り越えていくことだろう。

 そして、それが最高の結果でなかったとしても諦めてはいけない。
 止まってはいけない。

 壁は何度も立ちはだかるのである。
 大事なことは、壁を越えていくことではなく、その向こうにある「夢」を掴むことにあるのだから,,,





変わりたい...

2009年12月25日 22時26分03秒 | 職場の出来事
 今日、部下の個人面談に行って来た。

 ある部下から、職場に恵まれず退職を考えているというショッキングな話を聴く。
 当然、仕事に対しての「やりがい」や「使命感」といったものを持つことができないという。

 仕事がつまらなく、一日が長いと。
 「何か新しいことをはじめるとか、従来のやってきていることを変えてやろうみたいなものを見出せませんか?」と問うと、「考えられない」という。
かなり重症である。

 「やる気がない」と一刀両断するのは簡単である。
 どうやら根っこは人事のようである。

 「一般行政事務から遠ざかっているから市長部局に異動したい」という。
 やんわりと、「仕事はどこもいっしょですよ」と切り出す。
 「私などは、職員生活の三分の二は行政委員会です。水が合うのか、仕事が楽しくってたまらない。でも、どこに居ても楽しく仕事をしているような気がします。どのような姿勢で取り組むかだけではないですか?」
 「そんなもんですかね」
 「そんなもんです。退職もいつでも簡単に退職できますよ。でも、今の苦しみから逃げるための退職と豊かな人生を送りたいための退職とでは大きく異なりますよね。あなたが望まれているのは、どちらですか?」
 「・・・・」
 「私なら豊かな人生を送るためなら退職するかもしれませんね。この場合の豊かな人生とは、一人でも多くの気のあった仲間たちと過ごせることでしょう。その仲間を探す方法は、今の職場が一番理想だと思うんですよね」
 「そんなものですかねぇ」
 「そんなものですよ。内に友人をつくるより、外に友人を多くつくるほうが絶対に自分にとって有効ですよ。外の人たちは、私の肩書きなんか関係ないですからね。私という人間がおもしろかったら、付き合ってくれますから。やる前に諦めていません?」
 「今まで新しいことをやらせてもらった経験がないものですから...」
 「新しいことをやりましょうよ。一つでいいですよ。それも簡単なことからでいいですよ。サポートしますよ。大事なのは地域の人たちが小さくてもいいから井戸端会議ができる場(フィールド)をつくることが大切です。例えば、『花いっぱい運動』を仕掛けるにしても、その中でコミュニケーションが生まれないとせっかくやった意味がなくなりますよ」
 「わかりました、考えてみます」

 私は、この部下が例え具体的な行動を起こさなかったとしても責める気はありません。
しばらく、彼なりに悩んでみる。
その時間を持つところから、実は変わるきっかけができると思うからです。

メリークリスマス

2009年12月24日 23時53分49秒 | つぶやき
 職場で毎日順番に朝のあいさつをしています。
 今日の当番のN君から「今日はクリスマス・イブです。平素、サンタクロースを信じていない子どもたちが、どういうわけか今日だけはサンタクロースを信じます」という内容でした。

 そういえば、昨日、テレビのニュース番組を観ていると米国でサンタクロースと米国空軍の偉い人が、サンタクロースのイブの日のトナカイのそりの飛行計画について話し合うというシーンを報じていました。
そして、そのやり取りを心配そうに小さな子どもたちが見ていました。
話し合いは無事決着し、そりの飛行計画は承認されました。
すると子どもたちから満面の笑みがこぼれていました。

 この話をどのように捉えるかは個々の価値観だと思います。
 でも、とても微笑ましく、何よりも子どもたちの夢を大切にする米国らしい話だと思いました。

 よくよく考えると、子どもたちの夢は子どもたち自身が壊すのではなく、私たち大人が壊すケースが多いのではないでしょうか。
子どもたちは、サンタクロースが来てくれるのは、今年一年自分たちがいい子にしていたかどうかを評価してくれる大切な日でもあるのです。

 子どもたちだからこそ、褒めて欲しいのです。
 その表れがサンタクロースなのです。

 どうかお願いです。
 一年でも長くサンタクロースが子どもたちのところに来るよう、私たち大人もがんばろうではありませんか。

年賀状書き

2009年12月23日 22時38分34秒 | つぶやき
 今日は天皇誕生日でした。
 せっかくの休みなので家の片づけをして、年賀状書きをした。

 驚いたことに喪中葉書が多いことである。
 よくよく考えてみれば、親御さんが亡くなられる年齢だと気づく。

 そして、もっと寂しかったのは本人が亡くなられているケースがあった。
 確実に老いてきている自分を痛感する。

 いつまでも若いわけではない。
 でも、昔ほど慌てなくなった。

 死は当然、やってくる。
 定めである。

 これから残された人生。
 いかに生きるかが大切である。

 そのためには、シンプルな生き方をしていこうと思い始めた。
 しっかりと地に足をつけながら、方向を見定めながら進もうと思う。

 自然体に力を抜いて自分なりのペースで生きていこうと思う。

 ※写真は高浜公民館の毛利君が送ってくれたものです。 

紙のリサイクルおもちゃ

2009年12月21日 23時43分32秒 | アイデア
 この写真は何でしょうか?
 紙でできています。

 答えは、厚紙で作った「知恵の輪」です。
それも、いらなくなった菓子箱などで作られています。

 なるほど、なるほどです。
 紙の知恵の輪でも、子どもたちは無心に遊んでくれるそうです。
 そういえば昔は、いらなくなった包装紙や箱を置いていて、工作に使ったものです。

 これを教えてくれた人は、お孫さんたちにあまりお小遣いを渡したことがないそうです。
その人は、いらなくなった包装紙や箱をためておいて、お孫さんたちにその材料を使ってハウス模型を作らせたそうです。
それも単につくらせるだけではなく、競争をさせ、そこに賞金をつけることで子どもたちが本来持っている競争心を呼び起こし、チエや工夫を引き出させたそうです。
そして、大人たちが審査員となり、厳正に審査し、最優秀作品に賞金を渡したそうです。
(他の子には参加賞ということで、やはり賞金を出したそうですが、実際は金額にあまり差はつけなかったそうです)

 とても素敵な話だと思いませんか?

 私も子どもの頃、スケッチブックが買えないために、母親が新聞紙を切り、包装紙の表紙をつけて、千枚通しで穴を開けて束ねたお手製のスケッチブックを作ってくれました。
 それでも、とってもうれしかった思いがあり、喜んでその新聞紙にいっぱいクレヨンで画を描いたような気がします。
 そして、その画を母親や父親に見せると大絶賛をしてくれました。
 子ども心に褒められるのがうれしくって、さらに画を描くわけです。

 いまだに私が落書きをするのは、このあたりにルーツがあるかもしれない。
 
 この紙のおもちゃで、私はまたまたグッドアイデアが浮かびました。
 フフフ・・・ であります。

娘とライブハウス

2009年12月20日 23時46分32秒 | つぶやき
 今夜、初めて娘と二人だけでライブハウスに行って来ました。
 少し照れくさかったのですが、元メジャーデビューを果たした佐伯君から、娘のボイストレーニングの指導者として推薦してくれた松原純子さんのライブにせっかく誘ってもらったので、出かけないわけにはいけません。

 ライブは「ライブハウスmonk」でありました。
 19時からと聞いていたので少し前に着くように出かれると、会場はすでにいっぱいでした。
ライブは今年で2回目ということで、その名も松原さんの名前を取って「Junc(ジャンコウ)2」というタイトルでした。

 松原さんの洒脱な会話と素敵な歌が、どうやら娘に火をつけたようで、帰りはカラオケボックスに引っ張って行かれ、1時間半、娘のワンマンショーにお付き合いいたしました。

 こんな娘を松原さんは引き受けていただけるのか少し不安ですが、本人はすっかりその気です。ヤレヤレ...

携帯伝話??・・・

2009年12月18日 22時57分07秒 | ちょっといい話
 今日友人から以下のようなメールをもらいました。
 最初は、「何のこと?」と思い、読み返してみると(友人)お得意のボケでした。
真剣にメール読んで損した...
 でも、ときどき疲れているときなどにナイスタイミングでボケメールが届くので心の奥で楽しみに待ってたりして...

「みなさまごきげんよう
 きのう車にひかれそうになっていた携帯電話を拾いました。
 なかなかいいので、このタイプの携帯に換えようかと迷っています。
 ちょっと扱いがめんどうなのと今のところ一回きりの送信しかできない
 とのこと機能的には不満ですが、
 でも、アナログチックなところが気に入っています。

 こいつです。(以下の写真参照)

 

 ミツバチが巣に戻る性質を利用して、ミツバチ携帯電話もいいのでは
 ないかと考えています。
 これも、途中でアカシヤとかミカンとかレンゲなどを経由するので
 タイムラグが発生することがわかっていますから、それをどうやって........

 朝からすいません。このくらいでやめときます。
 今日一日それぞれに努力して、なんとかしましょう。」

 きっとこの携帯伝話では、かけてもデンワ.....

こんにちは赤ちゃん

2009年12月15日 22時29分11秒 | 職場の出来事
 番町公民館の森公民館主事に待望の赤ちゃんが生まれました。
 男の子です。

 本当におめでとう。

 結婚五年目にしての快挙(?)です。
 よかったですね。

 森君と話したのですが、とてもうれしそうでした。
 あまり表情に出ない森君の目が緩んでいました。

 母子ともに健やかだそうです。

 どことなく、父親の顔になってきている森君が頼もしく見えました。

クリスマス・ソング

2009年12月15日 20時36分40秒 | つぶやき
 先日、夢・紙芝居事業で道後に行っていて、帰りに職場まで路面電車で帰ってきました。
 そのときに、信号で停まっていると隣の車から石原裕次郎の懐かしい歌が聞こえてきました。
なぜか、その歌が郊外電車の社内に流れるBGMのように聴こえたのは私だけだったと思うのです。

 そのときにフッと思いついたのは、観光客が路面電車や坊っちゃん列車(まちの中をアミューズメント施設の中だけでしかのれない列車に乗れるのは松山だけです)の中で、昔懐かしい歌謡曲なんかを流してみてはどうかなと。
 でも、運行法みたいな規制が恐らく障害になるのかもしれない...
なんて勝手に想像したのですが、でも、この松山で「ホッ」とする思いを抱いてもらうためには必要だなと思ったわけです。

 そういえば先日、麻田浩(あさだ ひさし)さん(音楽プロデューサー)の文の中に次のようなくだりがありました。

 一昔前だったら「ジングルベル」や「ホワイト・クリスマス」が街に流れてくると「そろそろクリスマスだな、師走だな」という感じがしたのだが、最近、街でクリスマスソングを耳にする機会が減ってきたと思う。
騒音防止法などの規制の影響もあるが、もう一つには音楽が個人的な好みで聴かれるようになったからかもしれない。
季節が感じられる音楽が街に流れなくなったのは寂しい気がする。

 私もそのとおりだと思いました。
 中学生か高校生のときに映画「ホワイト・クリスマス(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8281/comment.html)」の中でビング・クロスビーが歌う同名の「ホワイトクリスマス」に胸ときめかしたものであります。
 そして時代とともに、エルビスプレスリーの「ブルー・クリスマス」もよかったし、山下達郎の「クリスマス・イブ」も捨てたものじゃない。
これらの季節を感じさせる音楽がいつのまにか街から消え、個人の中だけにとどまってしまうというのは、まさに現在のコミュニティの本質を突いているような気がしました。

 人の心に音楽があり、街中に音楽がある、そんなまちづくりがあってもいいかなと思いました。

悲報

2009年12月15日 01時02分08秒 | つぶやき
 選挙管理委員会時代の上司の悲報の連絡があった。
 ひょっこりひょうたん島の「ドンガバチョ」のような風体で、どこか憎めなくて、大好きだった。
プライベートなことを話すのが苦手だった私に、優しく声をかけてくれて、気がつくといろいろと相談していた。

 年齢的には兄に近かったのだが、どちらかというと父親のように温かく包んでくれた。
生意気な私を包み込むにはそれなりの包容力が必要だったと思うが、安心感があり部下の気持ちをよく察してくれた。

 飲みに行くときには、安月給だったのでいつもせびっていたような気がする。
 
 とにかく人のために働く人で、ボランティア活動のお世話をよくしていた。
 奥さんがよく出来た人で、ご主人のわがままを受けとめて、なおかつ包み込んでいたので一枚上手だったような気がする。

 本当に残念である。
 まだまだ若く、遣り残したことがたくさんあったのではないか。

 退職のときに小指の爪を伸ばしていた理由を話してくれた。
 「若い頃、喧嘩ぱやくって、大変なことをしてしまったことがあり、それ以来戒めとして爪を伸ばすことにしたんよ。そしたら爪が邪魔になって、少なくとも手出しできなくなるけんの」
 そんな気配微塵も感じられなかった。

 藤方隆一郎さん。
 大好きな元上司が、逝ってしまった。
 ご冥福をお祈りいたします。