走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

上杉 鷹山 (うえすぎ ようざん)

2010年11月30日 21時43分29秒 | つぶやき
 長年ブログを書き綴っているとネタが尽きることがある。
つまりスランプみたいなもの。
一丁前のもの書きでもあるまいにスランプに陥る。
忙しすぎるときもあるが、一時的に何を書こうかと迷うのである。

 そんな時、読書にふける。
秋の夜長は、読書にうってつけであった。

こういうときは、あえてビジネス書は避ける。
小説でもない。

 やはり、歴史書である。
久しぶりに上杉鷹山の話を紐解く。

アメリカ大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが尊敬する日本人として上杉鷹山の名前は挙げたのは有名な話である。
そして、彼が鷹山を知るきっかけとなったのは内村鑑三(うちむらかんぞう)が書いた「代表的日本人」の英語訳を読んだからではないかといわれている。
そして、就任演説にまで鷹山の言葉に影響を受けているのではないかともいわれている。
 その言葉とは、次のようなものである。

 「大名とその家臣のために、人民は存在していない。
  逆に、人民のために大名とその家臣が存在しているのだ」

 また、鷹山には、次のような言葉もある。

 「なせば成る 為(な)さねば成らぬ何事も
          成らぬは人の 為さぬなりけり」

この言葉の意味は、「物事が成功しないのは、本人にやる気がないからだ」という。

 これを受け、ケネディの就任演説の一句に

 「国家が諸君(国民)に何をなすかに期待しないでもらいたい。
  諸君が国家に対して何をなし得るかを考えて欲しい」と。

 私たちは、まさにこれから市民との新たなパートナーシップを構築する必要がある。
しかし、単に押し付けるのではなく、市民の実情をわかった上で行動を起こさなければ空回りしたり、賛同し協力してもらえない。

 そのコツを鷹山は、次のような言葉で説いている。

 「城の机の前ばかりに座っているな。書を捨てて、まちや村にでろ。
  そして、地域に生きる人々の生活実態を自分の目で確かめ、肌で感じて来い。
  そうしなければ、いい仕事はできない」

 胸にぐさりと突き刺さる言葉である。
 
 新市長のもと、新たな気持ちと変わらぬ哲学で仕事を続けていこうと思う。

斎藤佑樹投手の真摯な姿勢

2010年11月21日 19時44分47秒 | ちょっといい話
 今朝のNHKの「スポーツ大陸」という番組は斎藤佑樹投手が主人公であった。
話の筋は、NHKのホームページを引用すると次のようなものである。

“ハンカチ王子”と戦った4年間
~早稲田・斎藤佑樹~

 50年ぶりとなった早稲田対慶応の優勝決定戦で、早稲田の斎藤佑樹投手は8回途中までヒットを1本も打たれないピッチングで勝利。
大学最後のリーグ戦を優勝という最高の形で締めくくった。しかし、斎藤投手にとって大学4年間は苦難の連続だった。
 高校3年生の夏の甲子園を制してから、斎藤投手は「斎藤佑樹」ではなく、冷静で負けない完ぺきなピッチャー“ハンカチ王子”として見られる人生が始まった。
そのイメージに応えるように、大学に進んでからも結果を残してきた。
ところが、去年、勝ち星が伸びないと、「斎藤は大学で成長していない」という声が耳に届くようになった。
なんとしても見返してやりたい。
しかし、焦りだけが先行し、思うようなピッチングができない日々が続いていた。
そうした中で迎えた優勝を決める大一番、斎藤は春のリーグ戦の覇者・慶応を全く寄せ付けなかった。
そこには、反発の気持ちではなく、これまで支えてくれた人に恩返しをしたいと、無心でバッターに立ち向かっていく斎藤投手がいた。
 番組では、“ハンカチ王子”の存在に苦しみながらも、大学での成長を実感し、プロの世界へ歩み出した斎藤投手を見つめる。

 ポーカーフェイスの斉藤投手から信じられないような苦渋の顔が見られた。
「ハンカチ王子」ともてはやされただけに、そのプレッシャーとの戦いはすさまじいものがあった。

 そして、番組の中で彼は語る。
「運があるのかどうかはわからない。でも今まで生きてきた人生の中で自分の周りには親や家族、友人などたくさんの『仲間』がいるということはわかっているし、そういう人たちに支えられてきたことだけはわかる。」
 彼が立派なのは、そういう仲間に支えられて今の自分がいるということをしっかりと受け止めているということ。
その真摯で謙虚な姿勢が、彼をさらに成長させたのである。

 「真摯」な姿勢とはこういう青年の行動や思想を言うのであろう。
 どこかの政治家先生の使われる「真摯」とは違うのではないかと、つい思ってしまった。

湯築地区ふれあい旅サロン

2010年11月12日 22時33分51秒 | 地域情報/その他
 湯築地区の民生委員の皆さんと「湯築地区ふれあい旅サロン」という視察研修に行ってきました。



視察先は、香川県仲多度郡琴平町にある社会福祉法人・琴平町社会福祉協議会でした。
人口や観光地区という共通点の多い地域での地域福祉のあり様について学んできました。

  

参加者の皆さんにとっては意義のある視察になったようで、視察先を選んだ私は(正確には松山市社会福祉協議会にご苦労をかけたのですが)、おかげで株が上がりました。

時間がありましたので、うちわミュージアムや金比羅参拝、道の駅とよはまによってかえりました。

   

      

 

撮影・写真提供は、湯築地区民生委員の松木昭夫さんです。

うれしい便り

2010年11月10日 21時48分35秒 | うれしい
 今日、前の職場で部下だったA君から葉書が届いていた。
 病気全快を知らせる嬉しい便りだった。

 実は、かなり重い病気だった。

 でも、彼は克服した。
 奇跡に近いことである。

 彼は、私よりもずっと若い。
 入院している病室を訪ねたとき、彼は奥さんや子どもさんのことを気にかけていた。

 彼は正直使いにくい部下だった。
 でも、それは彼に自分というものを持っている証であろう。
 上司にとって耳の痛い部下をどうしても遠ざけてしまう傾向がある。
 耳障りのいい部下の方が正直かわいい。

 でも、部下から発する意見や提案が、己自身のためのものであるならば、それは聴く価値がないかもしれないが、それが全体のためならば例え上司でも従わざるを得ないと思う。

 彼が異動してきた当時は、観ていて自分の殻から抜け出せていなかったような気がする。
 しかし、人は成長するものである。
 年月とともに、周りのことや地域の人のことを考えてくれるようになった。
 私が教えたわけではない。
 自分で変わったのである。
 そんな矢先の発症だった。
 突然だった。

 見舞ったとき、かれは「なぜ、自分なんでしょう...」とつぶやくように言った。
 帰り道、何もできない自分が不甲斐なかった。
 上司として失格だと思った。
 彼にもっと何かしてやれたのではないかと。
 後悔の念でいっぱいだった。

 そんな彼が戻ってきた。

 きっと、彼はひと回り大きく育ったことであろう。
 人としての優しさや思いやりを感じられる人間に育ったであろう。

 大病をしたけれども、それを試練として受入、戦い抜いた君の未来はきっと明るい。