走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

静かな時の流れ

2007年08月23日 23時04分33秒 | その他
★★★ 後悔とは?

 今日、母が入院しました。
 昨夜は、家族揃って母の家で食事をしました。
 平素と変わりなく、でもどこか静に時が流れました。

 仕事が終わり、病室を訪れると、いつもの母の顔がありました。
 でも、少しだけ、親を探していた子どもが親を見つけたときのような微笑を見せてくれたような気がしました。

 病室のソファーに腰を下ろすと、いつものマシンガン・トークの始まりです。
 若かった頃は、このマシンガン・トークが苦手で、辟易したものです。
 でも、今は、そのトークがいつまでも続くよう願う自分がいました。
 「そう、そう。」と相槌をうつのが精一杯でした。

 明日、母は残された希望にすべてをかけて闘います。
 私たちは、その戦いをじっと見守るだけです。

 この結果に、私たちはいつか後悔するかもしれません。
 でも、どんな時も最善を尽くしたとしても、人は後悔するものです。
 後ろ向きに物事を考えず、例え1%の可能性しかないとしても、私は母が下した決断を尊重します。

 私は、母の子であることを誇りに思います。

荏原公民館の夏祭り

2007年08月18日 22時34分35秒 | その他
☆☆☆ 地域一体型のお祭

 荏原地区のお祭は、地元の特別養護老人ホーム三施設との合同で行われています。
 そのため、準備のほとんどを施設側でやってくれるため、公民館は本当に大助かりです。
 また、出店も各団体ごとの独立採算制のため、積極的にやってくれています。

 最近、さまざまな地域の事業を見させていただき感じることは、「地域の自立」とは、まず住民の自立心をいかに高めるかがポイントであります。
そのためには、何気ないことですが、このような事業を通して、「ヤル気」を引出すために参加者に任せるということと、その恩恵(一番は事業収益)をお渡しすることではないかと思うのです。
 ここ荏原公民館では、利益が出た時には一定の割合を公民館に入れていただき、その利益を回りまわって地域の利益として還元するという手法をとっておられます。
損をすると、当然、団体が負担しなければなりませんが、当事者としての意識をもち、利益を出すためにいろいろとチエを出し、工夫をしてくれています。

 今、様々なところで「まちづくり」や「コミュニティの復活」など、さまざま議論をされていますが、実は既存のこういった事業を見直すことで、住民の意識を変えることができるんだと実感した事業でした。

素鵞公民館の夏祭り

2007年08月18日 22時16分30秒 | その他
☆★☆ 汗をかき続ける部下たち

 夕方から、素鵞公民館主催の盆踊り大会が拓南中学校で行われるということで覗きにいってきました。
 公民館長や館長補佐に挨拶した後、来賓の席に座らさせていたのですが、座っているだけで汗がにじんできて、本当に準備大変だったろうなと察していたら、焼き鳥コーナーに道後公民館のトクちゃんや番町公民館の森君、同公民館補佐の正岡さん、東雲公民館の清川君たちが来ているというので激励にいくと、焼きソバコーナーも兼ねていて、「ご苦労さん」としか言えないあり様でした。
 このブロックはチームワークがよく、互いに助け合うようです。
 でも、一番つらいコーナーを部下たちが担当してくれていることに、誇らしく思いました。
 本当にご苦労様でした。

★☆☆ 各団体対抗踊り合戦

 この祭では、踊りがしっかりしていて、各団体ごとに盆踊りを競うような形になっています。
そのせいか参加チームは力が入っていて、どのチームも見劣りしないものです。
お祭に参加したことのない地域の方でも一般連もありますので、どんどんご参加下さい。

第1回 松山健康医療福祉都市構想勉強会

2007年08月18日 21時52分34秒 | その他
☆☆☆ 酒向先生

 今日、ホットステーション「おいでんか」で標記の勉強会がありました。
 この会の発起人は、初台リハビリテーション病院脳卒中診療科の 酒向 正春先生とユニチャームの高原会長です。
あいにく高原さんは体調のため参加できませんでしたが、20名程度の参加があり熱心な勉強会となりました。
 酒向先生とは既に面識がありましたので、先生の思いや考え方については理解しているつもりですが、郷土のためにこれほどまちづくりという観点から語れる方はそうそういないと、改めて感じました。

☆☆★ その他の講師

 酒向先生の講話以外に次のような方から講話をいただきました。
 (社)日本プロジェクト産業協議会 主任研究員 内野 善之 氏
 ㈱まちづくり松山 代表取締役 日野 二郎 氏
 ㈱いよぎん地域経済研究センター 取締役社長 中越 眞 氏

 休みにも関わらず、暑い中、その暑さ以上に熱い話をありがとうございました。


誰かが見守ってくれている

2007年08月17日 22時01分16秒 | その他
☆☆☆ 気づき

 NHK総合テレビの土曜日の朝9時半から「課外授業・ようこそ先輩」という番組がありますが、ある時、映画監督が先生になって母校に帰るというのがありました。
 その先生の教え方は、子どもたちを映像作家に仕立てるというものでした。
 子どもたち一人ひとりに家庭用ビデオカメラを手渡し、テーマを与えます。
 そのテーマというのが、「『なぜ、私たちを産んだのか?私たちが生まれたときにどう思ったか?』をお母さんを撮りながら聴いてきてください。」というものでした。

 家に帰った子どもたちは、母親たちに課題を伝え、それぞれ母親を撮りはじめます。
 母親たちは、最初、テレながらも、子どもたちの「なぜ、僕を産みましたか?僕が生まれたときにどう思いましたか?」と矢継ぎ早に質問が投げかけられ、つまりながらも真剣に答え始めました。
 中には母子家庭の母親がいて、「事情があってお父さんと別れましたが、その時は、とっても愛し合っていて、君ができたと知ったときには、とってもうれしくお父さんと喜び合いました。」そして、続けて、「でも君が生まれるまでにお父さんとは別れてしまいましたが、君がこの世に生まれてきた時に、『私は、この子のために生きていこう。』と思いました。」
 すると画面がかすかにぶれはじめました。
 普段、子どもたちは自分たちがどのような過程の中で生を受けたのか、意識したことがなかったと思うのです。
母親たちの、あまりにも真剣に、一人の人間として語りかける姿は、普段、母親としてしか見ていない人が、一人の女性であり、人間であるという気づき、そして、自分が愛されて生まれてきたという事実を知り、感動したためでしょう。

 番組は続きます。
 子どもたちが撮った作品の上映会です。
 母親参観という形で、上映が進みます。
 涙する母親や子どもたちの多さに驚かされました。
 テーマはとても平凡だったと思ったのに、一人ひとりが感動しながら見ています。

 今、私は総務省の地域ICT利活用モデル構築事業を活用して地域の活性化を進めようとしています。
その時に大事なことは、映像コンテンツであり、その映像コンテンツを製作する人材をいかにたくさん増やすかだと思っています。
 しかし、単に映像を撮るだけでなく、ショートストーリーでも感動が凝縮されたコンテンツを創れる人を増やしたいと思っていました。
そのヒントが、この中にたくさんあると確信しました。

 そして、この番組の最後に、先生である映画監督から総評がありました。
 「私は駄目な父親でした。仕事、仕事で家にあまりおらず、家にいる時も仕事のことばかり考えているような父親でした。ある時、ひどく子どもを怒ってしまいました。子どもは、そのまま飛び降り自殺をしてしまいました...。」
 言葉は続きます。
 「それから、なぜなんだと思い悩みました。でも答は出てきませんでした。恐らく、何もしてくれない父親への抗議だったのでしょう。でも、なぜ、死ななければならなかったのか、わかりませんでした。」
 声を詰まらせながら、
 「でも、これだけは、はっきり言えます。子どもを愛さない親なんていない。君たちにわかってもらいたいのは、君たちの周りに、君たちをかけがえのない人と思い、愛している人がいるということを。『生きる』ということを、かるんじないでほしい。君たちは決して一人じゃない。悩んだら、すぐそばの君たちを愛し、見守ってくれている人たちに相談してください。お願いします。」


 

お袋の病気

2007年08月16日 23時08分13秒 | その他
★★★ 凛として

 お袋の病名がわかりました。「舌癌」でした。
 お袋の体力や心臓の状態を考えると、抗がん剤も放射線も不可能な状況です。
 選択肢は、手術かそのまま放置するかのどちらかしかありません。
 病名がはっきりしてから、どこまで転移しているかの検査は横で見ていても体力のないお袋にとってはつらそうでした。
 でも、終始淡々と振る舞い、ヘタに隠そうものならすべてを見透かされているようで、検査結果が出るたびに真実を伝えてきました。

★★★ どちらを選択するか

 選択肢の手術にするのかそのまま放置するのかの最終結論を今日、担当医の先生に伝えました。
 結論を出すまでがとっても長い時間に思えました。
 家族は、お袋の出す結論に従うことにしました。
 気丈に振舞う彼女の結論は、最後まで諦めないというものでした。
 手術の成功率は50%、術後も常に死と迎え合わせの状態で、植物状態になる可能性もあります。
 でも、「一日でも長く生きようと思う。」と彼女は結論を出しました。

★★★ 生きるとは

 父が死んだ日、病院の霊安室で、半狂乱で泣き叫ぶ彼女に私はビンタをしたことがあります。
 我に返った彼女は、冷静さを取り戻すと、私にこう約束をさせました。
 「葬式が終わるまで、人前で泣かないでほしい。つらいことだけど、
  これからの私たちの立ち居振る舞いが、死んだ父さんのプライドを
  保ち続けることだと思うの。」
 私は、このとき17歳でした。
 私は、この約束を守ったと思います。
 彼女も同じでした。
 私たち親子は親子でありながら、友人のような関係になりました。
 彼女の死までの時間を静かに、でも最後まで諦めずに見守ろうと思います。
 それが、私たち親子にとっての「生きる」ということなのです。

日浦明地区の川瀬餓鬼

2007年08月15日 23時47分30秒 | その他
★☆☆ 地域の伝統的お祭と後継者難

 今日、午後から日浦地区の「川瀬餓鬼(かわせがき)」というお祭を見てきました。このお祭は、約650年前に地区を治めていた奥之城七人大将の霊を慰めるために行うようになったのがいわれだそうです。
 内容は、大きな幟(のぼり)に竹で十字に組んだ柄の部分を4人から6人(理想は8人くらい??)の大人(男の人ばかりですが)がかき手となり、そして幟の先端から四方にのびた長いロープに人が一人づつ付き、倒れそうになったら反対側のロープを持っている人が引っ張り、倒さないようにしながら川上に向かってかききるというものです。
そばで見ていると簡単そうに見えるのですが、実際は難しく、写真のように幟が川の中に倒れこんでしまうのです。
すると、幟が水を含み、さらに重くなり、川に足を取られるやらでより苦戦してしまうというしだいです。
また、かき手とロープを操る人とのコンビネーションが大事で、恐らく平素からのコミュニケーション(地域のつながり)がないと、うまくいかないんじゃないかと感じました。

 そして、幟が三旗あったのですが、参加者が少ないため無事に幟を倒さずにかききった組はありませんでした。
もともと日浦地区は、過疎化傾向にあり、お祭の後継者難が進んでおります。
そこで、地域の皆さんが受け入れてくれるのであれば、事前にお祭大好き人間を募集し、色とりどりのふんどし姿でかき比べるというのはいかがでしょうか。
あくまでも地域の人たちの受け入れるという環境づくりが必要ですが、新たなコミュニティの取り込み手法として考えられるのかなと思った行事でした。
 
 それにしても、暑い中、生峰公民館長、関係役員の皆さま、そして有光公民館主事、ご苦労様でした。

五明地区夏祭り

2007年08月14日 22時19分02秒 | その他
☆☆☆ がんばる公民館

 今日は、仕事を終えてから五明公民館の夏祭りを見てきました、
 五明地区は、山間部のため人口も減少傾向で、なんとかその流出をとどめる努力を熱心にしているだけでなく、五明小学校の弾力化に地域全体が積極的に取り組んでおります。
弾力化が認められますと、校区外の子どもたちを五明小学校に受け入れできるようになり、地域としても衰退に歯止めをかけれると期待しております。

 そして、今日の夏祭りを見て驚いたことは、はるかに五明地区住民よりも多くの参加者がいたことです。
地域活動が低迷している中で、地域外の住民(やぶ入りの人も含めて)を積極的に受け入れる姿勢は大事だと思います。
公民館長さんたちが汗をかきながら作ったおでんも味がしみこみ、本当においしかったですよ。

 公民館長、関係役員の皆さま、そして菅野公民館主事、ご苦労様でした。

生き生きとした風

2007年08月03日 22時53分19秒 | その他
☆☆☆ 誇れる元部下たち

 元部下、二人から電話がかかってきました。
 一人は、地域経済課の白石君、もう一人が市民課の宇都宮君。
 二人とも弾んだ声で電話をくれました。
 内容は、愛媛大学の遠藤先生の関連のセルフリーサイエンス社が本社を横浜から松山に移転するというものでした。

 二人の思い入れが深いのは、二人が愛媛大学に二年間づつ派遣され、松山市と愛媛大学の連携関係を構築するとともに、このセルフリーサイエンス社の誘致活動を粘り強く取り組んできたからです。
特に、初代の宇都宮君はまったくの白紙の状態の中でゼロからさまざまなことを組み立ててくれました。
不安なこと、先の見えない中での開拓。本当に苦労したと思います。
本当に苦労をかけました。
 そして、宇都宮君の後を継いだ白石君も、前任者と相談しながらつないでくれました。
彼らがとってきた行動には、決してスポットライトがあたることがありません。
でも、彼らの偉業はすごいことなんです。
なぜなら、研究機関的企業を誘致できたのは、松山市にとっては初めてのことだからです。
科学者もたくさんの情報や刺激が必要だということを聴いたことがあります。
ですから、地方都市への誘致がどれほど難しいか。
彼らとともに、その喜びを分かち合いたいと思います。
 そして、何もできませんが私の好きな詩を彼らに贈ります。
君たちは私の誇りであり、松山市の誇りです。

 眞に偉大だった人々のことを
 私はいつも考える。
 生命のために
 生命をかけて闘った人々の名前を
 心の底に情熱の炎を
 燃やしていた人々の名前を考える。
 太陽から生まれた彼らは
 太陽に向かってしばらく旅し、
 そのあとに彼らの名誉を示す
 生き生きとした風を残した。

 
 歴史を変えてきたのはいつも名もない人々です。