走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

公民館活動紹介

2006年04月28日 19時31分28秒 | その他
今日、高浜公民館に行ってきました。
ここでは、潮見公民館同様に公民館活動の中で地元の子供たちの読書力を上げるための方策として、公民館の図書コーナーを充実させ、ボランティアで貸し出しのお世話を積極的に行っています。
その様子を見てきました。
写真ではわかりづらいかもしれませんが、小さな子供のために手づくりの椅子を準備し、座ったままでたくさんの本が見れるような工夫がなされています。
本も整然と並べているように見えて、細部にわたって子供の興味を抱かすような配列にしているのであります。
これて、凄いことだと思いませんか。子供たちと接していないと気づかないことばかりです。
子供たちの未来のために、無心で行われている行動に支えられているということを私たち行政の人間は感謝しなければならないと再認識した一日でした。
それから、同公民館を一生懸命支えている大内公民館主事にも感謝であります。

子どもの視点

2006年04月20日 05時08分01秒 | その他
今、子供たちの読書力のなさが社会的問題になってき始めている。
大人たちは、必死で子供たちに本を読ませようとしている。
でも強制しては、かえって読まなくなることも理解している。
そこで、さまざまな場所で本がある環境を造ることで自然に本にふれあうようにしようとしている。
しかも、寝そべって読もうが、どのような格好でもいいから本を読んで欲しいということである。本を読むことの重要性を横に置いてでも。
ずいぶんと変わったもんだ。
自分の子供の頃は寝そべって本を読んでいたら親にたたかれた。愛の鞭である。
そのときには、「きちっとした姿勢で読まんと目が悪なる。」と言われた。
子供ながらに理解した。だからといって本は嫌いにはならなかった。
読書が嫌になったのは、読書感想文が宿題に出始めたくらいからである。
なにか、大人に読書を強要されたようで、その反動としてしばらく本を読まなくなった。
でも、中学校のときに凄い親友Tが出来た。
なんにでも(特に性に)好奇心旺盛になり始めた頃、図書館で色物の本が読めるということになった。
そこで二人は、何と読書倶楽部に入会するのである。
この倶楽部は、倶楽部の時間中、ただ黙って自分の好きな本を読むだけという、極めてわかりやすい倶楽部であった。
Tは、さっそくにポッカチョの「デカメロン」や「カンタベリー物語」といった本を本棚から抜き出してくると、まず講釈をたれるのである。
講釈といっても単にこの本が書かれた時代背景や作者の意図くらいであった。
でも、兄弟のいない私には新鮮であった。
同級生のTが兄のように思えた。(後でわかったことだが、彼自身の講釈は兄からの受け売りであった。)
多感な私は、ドキドキしながら(隣にはまじめな本を読む女子生徒がいる中で)、そして勝手な想像をしながらむさぼり読んだ。
次に、Tが紹介してくれたのが、北杜夫の「ドクトルマンボ昆虫記」であった。
これは痛快に笑えた。「静かに読む」という唯一制約のあった倶楽部で、笑を押し殺しながら本を読む体験をしたのはそのときが始めてである。
そして、ドクトルマンボシリーズにのめり込む。
さらには、遠藤周作や星新一といった短いエッセイ集を紹介されるのである。
今にして思えば、Tは読書の魅力を教えた天才ではなかったか。
一番興味を抱くものから入り、こっけいな文書へとつなげ、短いけれども余韻を残す文書にいざなうことで、文字から創造へとつなげてくれた。
おかげで、乱読・寸読・積(つん)読ではあるが、本好きにはなった。
自然に本を読ませるためには、実はTのような身近な立場の水先案内人がいなくなったということではないか。
そして、その水先案内人は痛いほど私の性格を読みきっていたということである。


何か起こりそう

2006年04月18日 19時15分08秒 | その他
今日、㈱日本スウェーデン福祉研究会の柳舘さんの紹介で、キングラン㈱の廣瀬康則経営企画室ディレクターにお会いしました。
同社は医療機関のカーテンをクリーニング、リースするというユニークなビジネスモデルを確立され、そこから手術室や無菌室の滅菌清掃などを手がけられ、今ではトータル・メディカル・サービスを提供するところまで高められたそうです。
同社は病院及び福祉施設を顧客として多数有しており、今後の福祉医療チャネルのパートナーの可能性として感じるところがありました。
どのような商品(アプリケーションのパッケージも含めて)もサービスも、これからはトータル・パッケージ・サービス(オペレーターも含むという意味。)として提供すべきではないかと考えていたところに出会ったわけです。
初対面ながら、ざっくばらんな話をさせていただきまして、意気投合し今後もつき合わさせていただくことになりました。
思いを形にするためには、たくさんの仲間が必要です。着実に、今必要とする人物に出会えること、本当に幸運です。
また、がんばれると思った一日でした。

ついに始まりました

2006年04月17日 22時01分09秒 | その他
本日、東京でNPO法人 プロジェクトOIJ(http://www.oij-project.jp/)が立ち上がりました。
代表の横山専務理事(デジタル・トウキョー)のもと、総会には経済産業省の鈴木英敬理事、NPO法人「俳句体験」事務局の中野信一理事、多摩大学大学院教授の河村幹夫理事、またロゴマーク制作に携わられた㈱デジタルニッチアーカイビング取締役会長の挽地正雄氏、真之助事務所代表取締役の杉崎真之助氏、またホームページを制作された(正確には、未だ進化途上だそうです。)アウレリス代表の太田穣氏が挨拶されました。
出席者も各界(ちなみに名刺交換をさせていただいた皆様は、次のとおり。㈱ワコールアートセンター 松田朋春チーフプランナー、総合研究開発機構 犬飼重仁主席研究員、龍谷大学 東田晋三社会学部教授、禅林学園 山崎博道校長、志木市 原田隆一教育総務課長、大阪経済大学 徳永光俊経済学部教授、㈱フードビジネス企画開発室 安田理代表取締役、アミューズメントメディア総合学院 吉田尚剛理事長、㈱ビーワールドテレビジョン 当新達也取締役、桐蔭横浜大学 鈴木松子講師、㈱ヒューマンエディケーション 矢川のり子代表取締役社長、SEC㈱ 大槻正取締役)から出席されておられ、凄いことになりそうな雰囲気がしました。
ただ、共通項は、今日本がおかしくなっているということでした。
国民生活の基盤がきちっと確立し、豊かな人間関係が生まれ、情操教育も行われ、そこで教育論や国家論が健全に語られるようになれば、日本はもっと豊かな国になると....。
日本人のアイデンティティーが次第に失われ、価値軸が大きくくずれてしまっていると思っているメンバーです。
それを皆でもう一度作り直す、あるいは考え直さなければならないということで、立ち上がったメンバーです。
その中に、私も加えてもらえることが出来ました。
手法としては、全国を11ブロックに分け、さまざまな層に対して、そのことを考え直すフィールドとして、「産業創出大学」を創設することにしました。
四国ブロックは松山市に創設するところまでは決まりましたが、後はこれからです。さまざまな人たちの助けを借りながら、日本人本来の「心」を学べる場を創ってまいります。
皆様もぜひ、ご協力ください。
ちなみに四国産業創出大学の事務局代表は当分の間、私がつとめさせていただきます。

花が咲きました

2006年04月13日 05時45分08秒 | その他
昨日、松山市に富士火災の事務処理センターが来ることが発表されました。
しかも、中心市街地に民間活力を活用した高規格ビル建設支援制度の第一号案件に入居することが決まりました。
二重の喜びです。
企業誘致は、まず組織対組織からスタートして、最後は人対人のつながりまで持っていけると成就します。
富士火災の関係者の皆様、心からお礼申し上げます。
皆様のおかげで、350名の大事な人材がこの松山にとどめおくことが出来ます。
それは、本人の喜びであり、家族の喜びであり、郷土の喜びであります。
地域のためにを合言葉にがんばってくれたスタッフの皆さん、よくがんばりました。
発表の席に出られなかった人も含めて、本当にお疲れ様でした。

課長が責任をとります宣言

2006年04月10日 06時32分12秒 | その他
新しい職場で仕事をするにあたり、現時点での課長の考え方と覚悟をまとめてすべての課員に送信しました。特に覚悟については、最後のページに以下の内容で宣言しました。あえて、このブログに掲載することで、自分に対し厳しく真摯に望もうと考えております。

つらいことを楽しく、
楽しいことをより深く

誇りを持って一生懸命、仕事をしましょう。
そうすれば多くの人たちに感謝されます。
感謝されることの貴さに気づきます。
一生懸命仕事をしていれば、絶対誰かが見ていてくれます。
そうすれば、いつの日かスポットライトが当たります。
絶対に諦めないで下さい。
でも、満点を採るのではなく合格点をめざしましょう。
100枚の合格点を採った答案用紙の方が、1枚の満点の答案用紙より、はるかに価値があると思います。
私たちは、地域の奉仕者であり、誰よりも地域を思っているという自覚と使命感をもってください。
そして、危険を恐れて動かない行動よりも、失敗してもいいですから進む勇気をもってください。
まあ、とにかく「やっておみなはれ!!」
責任は、課長がとりますから。

W氏さん、まだまだ道半ばですよ。

2006年04月10日 02時46分02秒 | その他
松山の城山下にあるロープウェイ街(通称)のファサード事業が道路整備の終了をもって完成した。
この事業は、この通りで蒲団屋さんを営むW氏の熱き思いからスタートした。彼は10年という歳月を心の火を燃やし続けながら、行政に訴え続けてきた。
そして、5年前、その思いが形になった。
でも、そんなに簡単ではなかった。衰退し始めていた商店街の人たちにファサードが何であるかを説き続け、そのメリットを説いて回った。さまざまな中傷誹謗を受けながら、彼はあきらめなかった。いまだかつて、その3商店街がまとまったことがない中で、あきらめなかった。本業を横においてまちづくりに東奔西走した。
だから、行政は彼を応援することにした。
そして、その担当になったのがN島とF原だった。W氏との連携、徐々に賛同者が増えていった。その粘りは半端でなかった。
そして、9日、完成した。素敵なまちができました。
過日、そのW氏からメールが届いた。祭りの後のような気分であると綴られていた。疲れたのだろう。当たり前だ。でも、私は、以下のようなメールを送った。
まだまだ、道半ばでやめちゃったらだめになりますよ、W氏さん。

W 様

 F原に送信していただきましたメール拝読いたしました。
 Wさん、本当にご苦労様でした。
 Wさんにとっては、長い年月であったかもしれませんが、行政にとっては短期間
 でまちづくりを行った先進事例になっています。
 Wさんのおかげで、まちが一つになれました。
 「ファサード」は、街並み景観であるとともに、心の統一でもあるのです。
 自分の部下だった者を褒めるのはどうかと思いますが、N島とF原の頑張りには
 ずいぶん敬服したものです。
 まちと行政が真剣に向かい合い、一所懸命がんばれば必ずや形になるのです。
 まちづくりは、木で仏像をつくるようなものです。
 不思議なもので、木から下駄もできれば仏像もできます。
 まず、仏像をつくるんだという志が必要です。
 そして、どのような高名な仏師が彫ったとしても、それはすばらしい仏像には
 ならないのです。
 その仏像に、何百年という歳月をかけて、多くの人たちが手を合わせてこそ、
 その仏像に魂が入るのです。
 まちづくりは、仏像を彫る作業と、魂を入れる作業が重なってこそ、本当の
 まちになるのですよ。
 弱気になっていませんか、渡部さん。
 私は部下たちに一度も後ろへ下がれと言ったことはありませんよ。
 地域のために思ってなしたこと、誰かがしっかりと見ていますよ。
 悪口を言われるしんどさはわかりますが、まちのためにと汗をかいていた
 Wさんの真摯で高邁な精神、私は知っていますよ。
 さあ、いっしょに魂をいれましよう!!

形を重視するのは、なぜ?

2006年04月05日 23時48分29秒 | その他
新しい職場に替わって3日目。
たくさんの人たちと出会い、新しくバージョンアップした名刺も既に100枚を超えようとしている。
うれしいのは、前の職場で知り合った人たちが尋ねてくれること。
でも、相変わらず席に座っていないので机の上に名刺がそっと置いてあるのを見ると、「申し訳ない」と思ってしまう。
そして、新しい出会い。
当課は41館の公民館本館(分館は400弱ある)と中島総合文化センター、野外活動センター、埋蔵文化会館の所管と松山市公民館連絡協議会とPTA連合会という組織まで所管している。
特に公民館本館は地域の拠点となるもので、そこには公民館主事として職員を配置しており、人事異動期に同様に配置替えを行う。
この異動がなかなか大変で、さまざまなエゴが交錯する。
不満も噴出し、納得がいかない方は、わざわざ出向いてこられて一言ある。
丁重にお話をお聞きし、頭を下げるしかない。
聞いていると、不満といってもいい人材を引き抜かれたことへの不満が多い。
新しい人は、人物がわかっていないから、そういう人への不満は少ない。
しかし、今日、一つだけ気になることがあった。
赴任時の服装である。
出先だと、職員も気が緩む。ついついラフな格好で挨拶に赴く。
そのことをピシャリとやられた。
館長さんたちの経歴を見ると、公務員や銀行員、先生、大企業のOBが大半である。彼らは、いわゆるお堅い職場で働いてきたから、身だしなみについてもきちんとして欲しいということなのだろうかと最初は思った。
だが、そうではなかった。
武道の精神はまず形から入る。
形がきちんと出来ていないものに健全な精神が身につくはずもなく、技術の向上も望めるはずがないということなのである。
なるほどと思った。
私が出来ること、それはまず、自らがきちんとした身だしなみを実践すること。
形は本当に大切なんだと、改めて感じた一日である。

十河 信二 伝 PARTⅡ

2006年04月01日 01時06分57秒 | その他
②信念
 十河という人物は、権謀家ではなく、かけひき、取り引きというものが嫌いで、ひたすら正論をはき信念を貫き通す。
 良いことは通す。悪いことは止める。この二つのことを妥協せずに断固実行する力が、並外れている。

③エピソード1
 「君たちが『気ちがいジジィ』と呼んでいるくらいは知っているよ。しかし、このままでは国鉄は滅びる。俺は歳だが、若い君たちに光をあげたいんだよ。」

十河 信二 伝 PARTⅠ

2006年04月01日 00時56分37秒 | その他
●十河信二の国鉄改革

①組織の再生
 半官半民とは、いわば官吏に金儲けを強いるシステムである。
 官僚ほど採算に無頓着な人々はいない。
 破綻は目に見えている。
 一般に官僚は、大過なく過ごすことをもって美徳とする。
 累積する赤字額より、帳簿が正しく書かれることをよしととする。
 得点よりも失点を恐れ、系統、年次、学閥を尊び仲良しグループをつくる。
 しかし、十河は次のような改革を行った。
 ・民有車輌制度
  民間の車輌会社から国鉄が車輌を借り上げるというもの。
 ・支社制度
  各支社に権限を大幅に移譲し、現場の創意工夫によってサービスと採算を
  向上させようというもので、後の分割民営化のもととなった。
 ・能力主義の徹底
  

十河 信二、知ってますか?

2006年04月01日 00時44分34秒 | その他
愛媛県が生んだ偉人を紹介します。
十河 信二(そごう しんじ) 1884年~1981年
愛媛県新居郡中萩村生まれ。
西条中学、一高、東京帝大卒。
後藤新平に認められ鉄道院(現JR)に入社。
西条市長も勤める。
昭和30年、70歳で第4代国鉄総裁に就任。
2期8年(S33年~S38年)を勤める間、財政黒字にした他、東海道新幹線建設も実行。
彼のエピソードについては、順次、紹介します。