走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

竹のような成長て知っていますか

2006年05月25日 00時48分47秒 | その他
私の課には、なかなかの逸材が揃っている。
中でも、古川君は何をさせても卒がない。
しかもアイデアマンときているから、上司や先輩からの受けがいい。
だから、仕事がよくわかっていない私よりも部長等は彼に仕事の内容を聞く。
私はといえば、説明する彼の横でフムフムと聞いているだけ。
また、彼は顔も丹精でなかなかの男前で、困ったときでも顔色ひとつ変えないから、上司としては安心して横にいてもらえる。
どちらかといえば彼の方が上司である。
でも、私は不思議と彼に対して腹が立たない。陰で努力していることも読み取れる。内の部署は、公民館関係と青少年育成関係の二つに大きく分けられるが、彼だけは両方に精通している。
彼は今、公民館関係の担当だが、3月までは青少年育成関係の担当だった。
そのせいか、今は担当でなくても引っ張り出されるのである。
そして、今日、彼が苦労して考えた事業計画を根底から批判してしまった。
それだけではない、この4月から、私は彼に辛く当たっている。
なぜ、そこまで辛く当たるのか反省しながら考えてみると、彼が今まで培ってきた自信を壊したいからかもしれない。
なぜ、壊さないといけないのか。彼に対する嫉妬か。確かに、彼はさまざまな経験をしてきている。苦しんだ分だけ自信も持っている。
そのことは、見ていてよくわかる。
でも、彼を知らない人は彼をどのように評価するのだろうかとふと考えた。
彼の背景、彼の苦しみ、そのすべてを知らない人が彼を見たとき彼をどう思うのだろうかと。
寡黙で、その反面、情熱家である彼の性格は、本当はナイーブで繊細なのではないか。でも、現実はクールガイに見える彼から発せられる言葉が、時に人にとっては厳しく聞こえ、彼の意図することが見えないでいるような気がする。
本当に損をしている。彼は、とっても温かく心根のやさしい男なのに。
そして、とってもすばらしい計画も実現化できないでいるジレンマの塊の彼がいる。人を動かす魅力が増えればもっと成長するはずなのに。
そんな彼に次のような話を贈ります。
竹の種子が地上から芽を出すには長い年月が必要なのを知っていますか。
最初の4年間、目に見える成長はないのです。
しかし、5年目でようやく地上から芽を出すと、わずか6週間で30メートルにまで伸びるそうです。
人の成長も竹の成長に似ています。
短期間で急成長しているように見えても、本当はその人のそれまでの地道な努力が急成長を可能にしているのです。あせる必要はありませんよ。
真の成長を遂げるためには、自分が慣れ親しんできたものを捨てて、常に未知のものを追い求める真摯な気持ちさえあればいいのです。
そして、成長したら雪の重さにも耐えられるしなやかさをもってくださいね。

二人の有名人

2006年05月24日 02時20分25秒 | その他
構造改革がまさに動こうとするとき、その発案者であった経済産業省の後藤さんという人と知り合った。
そして、半年以上立ってから、彼からいきなり電話がかかってきた。
「オレンジの名刺の人、いますか?」
きっと私のことか、と思った。
「はい、私です。」
「名前、何でしたっけ?」本当に失礼である。
「竹村です。どちら様?」
「経済産業省の後藤です。覚えてます?」悔しいけれど、私は覚えていました。
「はい。ご用件はなんですか?」
「松山の商店街が見てみたいので、行きたいんですがいいですか?」
「いつ頃で、何人来られますか?」
「来週の○に4人で参ります。」
それから、具体的な計画などなく、ほとんど場当たり的に来られた。
こちらも、失礼だが、あまり準備する気もなく、適当に済ませるつもりだった。
しかし、彼らの真の目的はスタートしたばかりの構造改革の普及活動であったのだ。その中に、鈴木英敬氏もいた。
商店街はどうなったのか。でも、彼らの話は機知に飛んでいて、おもしろかった。
たまたま若い職員を呼んでいて、彼らにとっても刺激的な機会となった。
そして、商店街の視察。とてもにぎやかな商店街から、だんだん廃れている商店街へと案内した。まさに、商店街の進化過程をたどるように。
さすがの彼らも恐れ入ってくれた。
「参りました。普通は、国の役人が来るといいとこしか見せたがらないんですが、本当に驚かされました。」
「そうですか?私たち現場は、常にこういった中で仕事をしています。なぜ、ここまで放置してしまったのか。なぜ、誤った制度ならば、早めに改正できなかったのだろうか。そんなジレンマの中で、私たちは戦っています。その現実を見て欲しかったのです。」
それから、この二人とは仲良くなった。
そして、後藤さんは昨年退官され、今度、衆議院選挙に挑戦される。
一方、鈴木さんは地方の人づくりのために一心不乱に汗をかかれている。
そして、来月24日、彼が客員教授を勤める立命館大学のパネリストとして呼ばれることとなった。特に、鈴木さんとは切れない中になっている。

市民にはっきりと物申す部下

2006年05月20日 00時47分31秒 | その他
本市には、市民の声が市長まで届く「わくわくメール」という制度がある。
実際は、現場が回答文書を作成し、それをトップまでが確認後、市民に返される。
時には、駄目だしをされると、書き直しが求められる。
この作業は、職員にとってかなりつらい。
予定していない仕事が急に入ってくる。期限を切られているから、優先順位は高い。
また、市民一人ひとりと向き合って回答を書かなければならないから、行政文書に慣れている我々にとっては最初はずいぶん戸惑ったものである。
そして、5年前、私は前の部署に来たばかりで何もわからないまま、この回答を書く担当をおおせつかった。他の同僚たちが嫌がったおかげで、一年間、一人でこの作業を担当した。結果、私は仕事を広範に早く覚えることができた。
最初、先輩たち(部下も含めて職歴が上の人を私はこう呼ぶ。)が過去に書いた文書を参考にしていたが、随分と丁寧に書かれていた。フムフム、なるほど、このように書けばいいのか。
でも、あるときクレーマーらしき人から執拗にメールが送られてくるようになった。さすがに閉口してきた。
そしてある時、職員をとことん扱き下ろし、職員の努力など無視した上で、自己のみを正当化したメールが届いた。
これには、さすがに腹が立った。思いっきり、反論を文書にし、回答した。
でも、不思議とその文書は手付かずで、そのまま返された。
すると、何と、そのメールを書いた当人が訪ねてきた。
開口一番「やっと、市長さん、本人が返事をくれた。君らは、市長の文書を少しは見習ったらどうだ。」これには、目が点である。
そして、4月から異動でまったく異なる部署に来て、部下が書く回答を見ていた。
そんな中、山本のシンちゃんが書いてきた文書に感動した。
市民の声に真摯に耳を傾けながら、なぜできないかをしっかりと主張し、相手の価値観を否定することなく、市民全体の中で価値観を摺り寄せて欲しい旨のことが短い文書の中に凝縮されていた。
私とはえらい違いである。参りました。
でも、こんな若い職員が出てき始めた松山、なかなか捨てたものでないですよ。


リチャード・ギアの素敵な言葉

2006年05月18日 22時54分30秒 | その他
みなさん、朝、目覚めにくいことがありますか。
精神的に参っているとき、とっても朝の目覚めが悪いことを経験したことがありませんか。
そんな人に、こんな素敵な話を紹介しましょう。
私が好きな俳優のひとり、リチャード・ギア。
彼は、多くの恋愛映画に出演していますが、その代表作に「愛と青春の旅だち」、そして、ジュリア・ロバーツと競演した現代版・シンデレラ物語「プリティー・ウーマン」があります。
最近では、日本映画のリメイク版「Shall we Dance?」を覚えている方も多いことでしょう。
この映画は、毎日同じ電車で家と会社を往復し、単調な日々に埋もれそうになっている中年男が主人公です。
そして、ある日、社交ダンス倶楽部の窓に映った素敵な女性を電車の車窓から見つけ、そのドアを叩くのです。
社交ダンスを始めた彼が日に日に変わってくる。
その女性にあこがれて始めたダンスだったはずなのに、彼はダンスに魅了されていく。そして、家族愛や日々刺激のない毎日にこそ幸せがあるということを改めて感じていくストーリー仕立てになっています。
その映画のプロモーションで来日した時、彼は次のように語りました。
「人生がマンネリ気味になると、時間の大切さに気づかなくなる。でも本当は人生って、いつでも朝が待ち遠しい、そうあるべきだと思っているんだ。」
朝が待ち遠しい....。
そうなんです、人生が楽しいように、朝を楽しみに待つあなたこそが、本当に素敵な日々を送れるのです。
そういえば、そんなことを感じた朝にはジャズのスタンダードナンバー「朝日のようにさわやかに(Softy as in a morning sunrise)」なんか聴いてみてはどうでしょう。

M先輩の筋をとおすとは

2006年05月16日 20時57分58秒 | その他
私は昭和54年4月に市役所に奉職しました。
その時に配属されたのが、選挙管理委員会事務局というところです。
その時の先輩方は、個性派ぞろいの集団でした。
ストレートに言うと、わがまま集団でした。選挙事務というのは、一種、お祭に似ています。というのも、一つの目的のために、心を一つにまとめていきながら目的を達成する、そんな仕事だからです。
それなのに、わがまま集団ですから、バラバラでまとまるのかと危惧しました。
でも絶妙にまとまっていくのです。自分の手が空けば指示されなくても誰か困っている人の仕事をアシストします。
私は、この習慣が身についたおかげで、何とか他の人よりはセクト主義にならなかったような気がします。
でも、一人だけ自分の手が空いていても他の人の仕事を手伝わない人がいました。
M先輩です。
M先輩は、啓発(PR)と開票事務の担当でした。
なぜそんなにわがままなのかと、当時の私は思ったものです。
そして、何年か後、その先輩の仕事を引き継いで気が付いたのです。
開票事務で失敗があると、それまで積み上げたものがすべて無に帰すのです。
M先輩は、そのことをよくわかっていたのです。
凄かったのは、集中力とそれにあわせたコンディションづくりです。
そして、もつと凄かったのは、引き継いだ直後から私に対して何も口出しをしなかったことです。傍で仕事を見ていたとはいえ、まだ不十分な私に「そこが悪い」といったことを一言も言わなかったのです。
失敗すればわかるし、覚える。でも、それが大きな失敗なら、すぐに助けてやる。
言葉では言われなかったのですが、ひしひしと伝わってきました。
この体験のおかげで今の私があります。
そして、M先輩は、ある仕事で幹部に逆らい閑職に追いやられました。
でも、それはあくまでも住民のことを考え、住民の安全を考えたゆえの考え方からきたものです。
多くを語ることの嫌いなM先輩。
でもわかっていますよ、あなたの筋の通し方。
M先輩、今も、あなたのそんな寡黙な背中を見ながら、自分のものにしている後輩が今もいることを覚えておいてくださいね。

部下に育てられる上司

2006年05月15日 22時32分10秒 | その他
今日から、公民館回りの仕事が月曜日まで続きます。
そうした中、浮穴公民館に訪れた時の出来事です。
同公民館は、館長、館長補佐(補佐が常時いる場合は珍しいのですが、それだけ熱心ということでもあります)、そして書記補佐、公民館主事だけがいるという状況の中で、午後は主事がポツンと一人になることが多いようです。
当課では、はじめて同課に来て、すぐに公民館主事として配属されるケースがあります。その一人として、この公民館に配属されたのが田中君です。
これは、若い職員にとってはつらいことです。
人は一人にされたときにさまざまなことを考え始めます。
往々にして、ネガティブな考え方に陥りやすいものです。
例え、それが地域住民との最前線であったとしてもです。
そして、ホワイトボードの今日の日付のところに赤字で大きく「地域学習振興課長訪問」と、他よりも大きな字で書いていたのです。
「要注意で書いたの?」
「い・いえ、うれしくって、今日を楽しみにしてたんです。」
ハッとしました。
そんな時、仕事とは言え、課長が来てくれる。
私は、上司が来てくれることを楽しみにしていたことがあるだろうか。
部下の聞こえない声を真摯に受け止めていたのだろうか。
深く反省しました。
時間をうまく見つけ、できるだけ現場に出て行こうと思います。
こんな私でも楽しみにしてくれる職員をこれからも増やせるよう努力しようと思った瞬間から、この仕事がますます面白くなりました。

失敗を笑えるか

2006年05月11日 22時09分26秒 | その他
 「人の失敗を笑うような人にはなってはいけません。」と言ったことを先生なんかに言われたことありませんか。
 それは、なぜなんでしょう。
 多分、人の失敗を単に笑っているような人は、何の教訓にもなっていないわけだから、自分も同様の失敗をいつかしますよ、という戒めの言葉なのでしょうか。
それとも、常に、学ぶ人は、失敗した人からでも反面教師として学びとらなければならないわけですから、笑っていては何も吸収できませんよという意味なのでしょうか。
 では、失敗した人の気持ち、その上の上司の振る舞いについてはどうなのでしょう。教訓はよく、その人に限定した中で成長の糧にすべく説いています。その周りの人や本人のその時の気持ちをどこまで推し量っているのでしょうか。
 実は、私の部下にも最近、失敗をした人がいます。首をかしげるような失敗です。でも、それにはわけがあるはずです。おそらく、その理由を尋ねたらマシンガンのように次から次と言い訳がましい理由を説明するでしょう。
 しかし、彼は「すみませんでした。」と一言。ん~、男らしい。その失敗は、私が今の課に来る前のことなのですが、私が責任を取らなければなりません。そのことは、彼もわかっているのです。それも含めての「すみませんでした。」なのだとよくわかりました。
 この失敗を私は、刺身のつまにしようと思います。そして、笑ってやろうと思います。そして、そして、彼自身が自分の失敗を笑い飛ばせれるようになるまで、いじめようと思います。
肝心なのは、誰でも失敗するということを改めて認識していただきたい。そして、同じ失敗を繰り返さないためには、いつでもその失敗が脳裏によみがえるために、自分の失敗をいつでも引き出しから引っ張り出してきて、笑い飛ばしてもらいたい。失敗は笑い飛ばすものなのです。

許されることで、人は頑張る。

2006年05月10日 22時59分20秒 | その他
人は鞭(ムチ)でたたかないと動かない動物か?
死んだ父は怒ると凄みのある声で「馬や牛じゃないんやから、叩かれなわからんことはなかろうがあ。」と。
それだけで身をすくめてしまうのであつた。だから、父親から一度も叩かれた覚えがない。でも、父は怖かった。
一方、さまざまな人と話していて、どういうわけか相手の嘘を見抜いてしまう。
もう少し自分が抜けていたら、その嘘に気づかずにおれるのにと思うこともある。
また、その嘘がわかったとき、若い頃なら、その嘘が許せなかった。
でも、歳を重ねると、許せるようになった。
誰かが、「嘘」は口に虚しいと書くけど、「偽り」は人の為と書くからねと。
生きていくために、人は「偽り」を口にすることがある。
仮に「嘘」でも、「偽り」なんだろうと思えるようになった。
だから、人を許す寛容さができ始めた。
子供に「勉強しろ、勉強しろ」といっても反発するだけで、一向に勉強なんかしない。
仕事も同様である。若者に「働け、働け」と鞭で叩いても、それだけで疲れ働かない。
鞭ほど痛いことはない。
仮に、それで一瞬は走るかもしれないが、短期間はそれでごまかされても、長期間はもたない。
つまり、人は鞭(ムチ)でたたかないと動かない動物ではない。
では、どうするか。まず、許すことだろう。
人は、許されたとわかったとき、その人のためにがんばろうと思う。
人を動かすことができる人とは、寛容に長い目で若者を見ることができる人なのかもしれませんね。

落ち込んでいる人を評価しよう

2006年05月09日 00時08分56秒 | その他
昨日、ある公民館の館長が来庁され、公民館主事のことについて手厳しいことを言われて帰られた。
館長のお話を聞いていると、なるほどと思い、何度も相槌を繰り返した。
そして、最後に言われた要求は、この公民館主事を替えて欲しいというものであった。組織のルールとしては、難しい旨をやんわりとご説明させていただいたのであるが、怒りは一向に収まらない。
そこで、とりあえず本人と話をしてみますということで、お引取りいただいた。
公民館主事と地域との相性がうまくかみ合うとこれほどいいことはないのだが、あわないと悲惨なのです。
この主事も一定努力はしていただいていると信じ面談をしました。
やはり、本人は本人なりに努力をしていました。
しかし、一度嫌われると、聞く耳すら持たないと途方にくれていたのです。
本人なりに、気にしているようで暗い顔つきでした。
そこで、自らの経験談を話して聞かせた。
「私もね、ある幹部の方から、たいそう嫌われましてね。上司と説明に行ったときに何もしゃべらなかっら、横柄だと言われました。次に、丁寧に説明すると慇懃無礼(いんぎんぶれい)と言われましたよ。嫌われるとこんなもんですね、ワハハハ。」
すると主事から一筋の涙がこぼれました。その主事は、私よりも年上なのです。
でも、その前で涙を流されたことについて、どれほど苦しまれ、どれほどつらい思いをされていたのか察することが出来ました。
館長が悪いわけではありません。館長は、一生懸命で、使命感に燃えているからこそ、ペースの違う主事のことを腹立たしく思ったのではないかと。
でも、主事にも主事のペースがあります。難しいところです。
でも、主事は動いてもうまくいかないから落ち込んだのです。
館長は動いていないと言われましたが、主事なりには動いているのです。
動かない人は落ち込まないのです。
動いて初めて壁にぶつかって落ち込んでいるのです。
だから、私は評価したいと思います。その心意気を評価したいと思います。
突き当たったその壁を、私もいっしょになって押し上げたいと思った一日でした。

坂本校区の運動会に行ってきました

2006年05月07日 11時06分53秒 | その他
松山市の南に位置する久谷地区は荏原・坂本に分かれるのですが、その中の坂本校区の運動会に行ってきました。
運動会といっても小中学校の運動会とは異なり、公民館の本館単位で行われるもので、その中が分館に分かれています。
松山市でもかなり郊外になるため、住民も減少化傾向にあり、今年の小学校の新入生が20人もおらず、さびしいと地元議員さんが言われていました。
天候は、あいにく雨でしたが、ここだけは雨でもやるんですと言われ、恐る恐る行ってみたのですが、なるほどでした。
体育館に場所は変更になっていましたが、関係者も慣れたもので、住民の方も何の違和感もなく参加されておられました。
確かに住民は減っているかもしれませんが、村井館長を中心とする関係者の日頃からの活動のおかげなのでしょう、地域の人たちの笑顔が印象的でした。
そして、担当の公民館主事の丹生谷君、カメラマンの役ご苦労様でした。
準備や後片付けも大変でしょうが、住民の皆様の笑顔があなたに対するお返しですよ。

人が付いてくるとは?

2006年05月04日 17時40分21秒 | その他
昨日、イベントに行き、その帰り道送ってくれた部下の古川君からこんな質問をされた。
「課長、凄い人たちが付いていきたいと思わせるにはどうすればいいんでしょうか?」と。
「んー。あの人と一緒に働きたいか。んー、難しくは説明できんが、面白い人とか、感情がわかりやすい人かもしれんなあ。それから、自分のことより部下のことの方を優先する人かなあ。」
帰ってから、改めて考えてみた。
まず、お金だけで人が動くのか。
では、ホテルのボーイさんはチップをくれるからお客様にやさしく接してくれるのか。
ホテルマンとしてのプライドと使命感、そして何よりもお客様にくつろいで欲しいといういたわりの心の方が強く、それが行動に出ているからではないか。
では、ノルマを与えれば人は動くのか。
仮にノルマを達成できない事態が続いたとしたら、かえってモチベーションはより下降するのではないか。つまり、ノルマはどこまでいっても強制でしかない。
つまり、人を動かすとは、お金や数字ではなく、人間の魅力に尽きるのではないかということである。
ちゃんとした目的があれば、数字やお金など掲げなくても、人は働いてくれるのではないか。
そして、人間的魅力があれば人は付いてくるのではないか。
では、魅力ある人とはどんな人かというと、例えば相手の方が自分より賢いと素直に思えたり、それを口に出来る人ではないか。
つまり、相手に常に敬意を払う人こそが人間的魅力のある人ではないかと思うのであります。

立岩ツツジ祭

2006年05月03日 13時12分47秒 | その他
5月3日、旧北条市の立岩のツツジ祭に行ってきました。
同所は、北条カントリーへ向かう途中にあり、旧市内から10分足らずで山深い光景に包まれ、静寂なところです。
自然も多く、立岩川が流れ、心洗われる気持ちにしてくれるところであります。
山の中腹一体にツツジを植え、当初は地域の人たちだけで楽しまれていたようでありますが、その内、これを地域活性化のツールに思いつかれたようで、5年前からツツジ祭と銘打って開催されるようになったとのこと。
お祭といっても、本当に手づくりで地元の方のボランティアの協力を得ながら実施しているのでありますが、この手づくりの温かさが何ともいえない。
天候に恵まれ、春風が心地よく感じる日でしたが、何よりも参加している人の一人ひとりの笑顔がとっても印象に残りました。
市民の求めているものが、私たち行政の求めている小難しいものではなく、もっと大らかでわかりやすいものではないのかと痛感した一日でもありました。
それから、この準備のためにご苦労をされた、公民館長をはじめ関係者の皆様、それから担当の忽那公民館主事、本当にご苦労様でした。