走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

みかん一筋

2013年12月14日 20時39分39秒 | すばらしい出会い

 一昨日、愛媛県の伊方町の三崎にある農業生産法人㈱NADAの大岩康久社長と知り合いました。

とても愉快な方で、初対面から吸い込まれるようで、どの話も素敵でした。

感服したのが日本の商習慣を大切にされておられるところでした。

過去に、東京の有名な果物屋(パーラもやってたなあ)さんとお付き合いされていたときに、直取引を望まれたのでお断りされたそうです。

その果物屋さんとお付き合いされていると聞いただけでも、どれだけ品質の高い商品を卸されていたかがわかりますが、そのブランドを蹴ってでも自分のポリシーを貫かれた生き方が何よりも大岩さんらしく、自分のようにうれしくなりました。

スウェーデンでは無駄をいっぱい作ることで雇用の場を創り、拡大しました。

そして、わが国では無駄を省くこと、効率性を追求することで、たくさんの雇用の機会を喪失してしまいました。

きっと、大岩さんには一人勝ちでは(ビジネスは)長くは続かないという信念があるのだと思いました。

ビジネスパートナーとして組むなら、きっとこういう人がいいとも思いました。

また、大岩さんのところのみかんが美味しい理由の一つに土があるそうです。

その大切な土を見においでと言ってくださったので、ぜひ伺おうと思っています。

 

 

 


シルクロードの蜂蜜

2013年07月16日 22時45分42秒 | すばらしい出会い


 先日、映画「降りてゆく生き方」をこのブログで紹介しましたが、その時に下記のような蜂蜜があることを聴き、友人と一緒に注文しました。
 その蜂蜜が届いたのです。
 価格としては高価ですが、薬として見たときにはまあまあかなと思いました。
 というのも、朝夕二回、スプーン一杯づつ飲んでくださいとありました。
 三か月続けると体調が変わるというのです。
 半信半疑、続けることにしました。

 まず、恐る恐るスプーンに口を近づけていくと、何か懐かしい香りが鼻を衝いてきました。
 舌の上にスプーンを置き、上あごをかぶせるようにし、ゆっくりとスプーンを引き出しました。

 すると、口いっぱいに花畑が広がった錯覚に陥り、続いて濃厚な、得も言われぬ甘みと香りが鼻まで突き刺さりました。
 まさに、蜂蜜を超え、漢方薬の域に達するものです。

 内心、「これ、いいかも」と思いながらしばらく続けることにしました。
 ページを引用したのは、

  http://www.nippon-p.org/kenko714.html  です。

  数に限りがあり、なかなか入手できないとのこと。
  まさに、入手できたのは奇跡かも...

 

郷土愛

2012年10月26日 23時24分26秒 | すばらしい出会い

 友人の紹介で、県内の町おこしグループの人たちと知り合った。
 私の友人が、「町おこしにうってつけのおもろい役人がおる」と話の流れで出たようで、わざわざ松山まで出向いてきてくれた。

 内容は、地域の人たちだけで物事を発想すると新鮮味にかけるというものであった。

 あまりの熱心さに、圧倒され、感動し、何も知らないのにもかかわらず好き放題話をさせていただいた。
 気がつくと5時間も話していた。
 それでも尽きなかったのだが、お店が閉店になったので終わらざるを得なかったのである。
 私の話を熱心に聞く謙虚な姿勢を見ていると、この人たちは本当に地域を愛しているんだろうなと感じた。

 その思いに、つい絆(ほだ)される。

 「よかったら、ボランティアでアドバイザーしましょうか?
  でも、好き勝手なこと言っちゃいますよ。それでもイイですか?」

 そういうと彼らは心から喜んでくれた。

 内心、自分のようなものでも役に立てるならと思ってしまう。
 
 最近、自分が今まで積み上げてきたノウハウが実践に向くのかどうか考えることが多くなった。
 ただ、松山というフィールドだけで通用するものなのか、他の地域というフィールドでも通用するのか、考えるのである。

 今回のようなお話は自分にとって絶好のチャンスである。
 自分の理論が応用できるのかどうか。
 しかも他地域というフィールドで検証できる。

 また、主役の人たちは「背水の陣」にも似た危機感を持ち、臨んでいる。
 この人たちの役に立ちたいと素直に思ってしまう。
 彼らなりに最善を尽くしてきた。
 でも、何か越えられないハードルを感じている。

 それに少しだけエッセンスを加えてあげれば、スムーズに動き出すような気がする。
 なんだかワクワクしてきた。

 

友からの心遣い

2012年08月13日 06時11分51秒 | すばらしい出会い

 今年は、母の新盆。
 さすがに新盆なので盆休みをもらいました。

 なにかと気忙しい。

 そんな中、中学校からの友人であるT君から「お線香」が届いた。
 重厚な器に入った上品な香りのするお線香だった。

 さっそく使わせてもらうことにした。

 T君からはその前に手紙をもらっていた。
 以前にも書いたことがあるのだが、父が死んだとき、近くにいたにもかかわらず手紙をもらった。
 直接、口にすればいいのだが、口にできないために手紙に綴ってくれた。
 当時を振り返れば、私もかなり意気消沈していたためだろう。
 その手紙で随分と救われた。
 そして、彼が当時好きだった映画のタイトル「いつも心に太陽を」という言葉をプレゼントしてくれた。
 私は、この言葉をよりどころにがんばれたと思う。

 そして、今回の手紙の中で彼は私たち親子を次のように評する。

 貴兄とは友達のような母子であり、また強い絆で結ばれていて、うらやましかった思い出があります。
 互いに支えあってきた母子お二人の人生は、「たった二人」でやはり大変だったのでしょうね。
 傍目にはそれを感じさせず、常に明るいお二人でした。
 お母様も気丈でしたが、貴兄も気丈でした。
 その気丈な貴兄であっても、お母様の御逝去はやはりショックなのですね。

 小生の場合は、東京に就職して母とは永年離れて暮らしていて、また他界する前の数年間は入退院を繰り返していたので、ある程度覚悟は出来ていました。
 父から、訃報を聞き、急いで帰郷し、実家に帰り、通夜、葬儀に参列したのですが、意外に涙が出ませんでした。
 しかし、葬儀が全部終わり、東京の自宅に戻って、二階の部屋で一人になった瞬間、なぜだか急に涙があふれてきて、声を出して泣いてしまいました。
 不思議なものですね。
 それほど母親べったりの子どもではなかったのですが・・・。

 貴兄の場合は、母であり、友であり、支えあってきた「仲間」でもあるお母様であっただけに、失った悲しみは大きいと思います。
 悲しんでいいと思います。
 気の済むまで悲しんであげればよいと思います。
 貴兄も大人ですので、「時」が必ず解決してくれると思います。

 この手紙で随分と救われました。
 女々しい自分がどこかにいて、吹っ切れない自分がいました。
 でも、悲しい時には素直に悲しめばいいということを改めて感じました。
 すると、今までのひかかっていたものが抜けて、「スー」と軽くなったような気がします。

 お盆に帰ってきた母を心安らかに迎え、送り出すことができそうです。


 

不思議なヤツ

2012年05月07日 23時56分06秒 | すばらしい出会い
 ずっと年下だが、私にはたくさんの友人がいる。
 例えば、Y君。

 母の葬儀のときに花を贈ってくれた。
 通夜も葬儀の日時も場所も教えていなかったのに。

 通夜もひと段落し、そのY君にお礼の電話をかけた。

 すると、電話の向こうで泣いているのである。

 「あ!私。お花届いたよ。ありがとう。」

 鼻水をすすりながら、
 「なんでこんな時に電話してくるんですか。」

 「いや、なんでてうれしかったから...」

 「お礼の電話なんかいいですから、お母さんに付いといてあげてください。」
 怒られた。そして、電話を切られた。

 Y君は、私の母親と一度も会ったことがない。
 でも、彼とは世間話をよくした。
 
 にしても、自分の親が死んだわけではない。
 でも、自分のことのように泣くのである。

 だからといって、通夜や葬儀に顔を見せるわけではない。
 不思議なヤツである。

 きっと、悲嘆にくれた私を見たくなかったのであろう...
 でも、葬儀の間、畑に出て天を仰ぎ見ながら涙するヤツである。
 まさに、子どもである。

 憎めないヤツである。
 腐れ縁というやつか...

 自分は恵まれているとつくづく思う。
 
 

男の意地が生んだ“世界一薄いシルク”

2012年03月11日 21時06分44秒 | すばらしい出会い

 今日は、東日本大震災からちょうど一年。
 テレビ番組もほとんどが追悼特集であった。
 どの番組を見ていても切なく、悲しく、涙が自然と頬を伝う。
 今更ながら、その苦しみを思うと...
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 そんな中、「夢の扉+」では被災地にありながらも世界を目指す若き織物工場の経営者を紹介していた。

 『伝統産業の川俣シルクにこだわる。
 どこまでも意地を張り通していきたい』
 天然素材のシルクにこだわり、その生地を世界に売り込もうと、夢を追い続ける男がいる。
 福島県の織物工場3代目・齋藤栄太30歳。
 齋藤がこだわるのは、「究極の薄さ」だ。
 人間の髪の毛の5分の1ほどしかない極めて細い絹糸で織りあげた生地は、まるでセミの羽のように薄い。
 トップデザイナー、桂由美氏のコレクションでもそのシルクで作ったドレスがステージを飾る。

 齋藤が生まれ育った福島県川俣町は、古くから薄地のシルク織物を得意とする産地。
 しかし、化学繊維の開発などにおされ、シルクの織物産業はいつしか斜陽産業となる・・。
 「かつて“東洋一のシルク”と言われた川俣シルクをもう一度認めてもらいたい」。
 小さい頃から工場を遊び場にしてきた齋藤は、“はた織り機の音を絶対に無くしたくない”との強い思いを胸に、世界に打って出た。
 その相手は、ヨーロッパのビッグブランド。
 ところが、去年3月、東北地方を巨大地震が襲い、齋藤の工場も被災してしまう・・。

 『“何か作って発信していかなければ”とモノづくりの意欲を湧きたてた』
  震災後、40年来の従業員らが一丸となり危機を乗り越えた。
 そして、地元の撚糸工場、京都の染め工場などの協力を得て、「川俣シルク」は産地の運命をかけてヨーロッパに再挑戦する。
 果たして齋藤の“意地の結晶”はヨーロッパに認められるのか・・・。

 この若き挑戦者は、絶えず自分を支えてくれた人々への感謝を忘れない。
 そして、彼の勝利は自ら勝ち得たのではなく、その人たちによって成しえたということを知っている。
 恐らく彼はもっともっと果敢に挑戦し続けることができるであろう。
 それは何よりも彼の周りの人たちを大切にし、感謝し続ける限り。


Facebook つながり?

2012年02月28日 23時37分11秒 | すばらしい出会い
 皆さんは、「㈱コナカ」という会社をご存知であろうか?
 私はつい最近まで知らなかった。

 「スーツ・セレクト」という紳士服中心の販売店ならご存知であろうか。

 実は、明日から四国で初めて、この「スーツ・セレクト」が松山市の銀天街にオープンする。
若者を意識した、スタイリッシュなセンスのいいその店舗のデザイナーは誰なのだろうかと思っていたら、今最も注目されている佐藤可士和さんプロデュースであった。

 たまたま同社社長の湖中謙介さんと知己を得た。
 大変失礼ながらとってもユニークな社長さんである。

 なぜなら、なぜ四国の最初の出店に松山を選んでくれた理由を尋ねたところ、「この地を協力に進めてくれたFacebook仲間がいたからです」という回答が返ってきた。

 「Facebook(フェイスブック)?」
 あの「Facebook?」

 失礼だが、ソーシャルネットワークをやっておられるとは思わなかった。(本当に失礼だが)
 よくよく聴くと、フェイスブックつながりの友人を手繰っていって、リアルな人間関係へとつながり、出店が決まったというのである。
 もっと驚くことは、同社は短時間で出店を実現しておられるのだが、すべてフェイスブックつながりで決めているというのである。

 私は企業誘致も担当したことがあるのだが、内心「やられた!」である。

 企業にとっては、何を信じるかである。
 耳障りのいい私たちの営業トークを聴いても真実は見えてこないのかもしれない。
 むしろ、そこに住み、働き、その地を愛する人たちがどれだけいるか、そんなことを見ておられるのではないかと勝手に思ってしまった。

 どんなに高度なマーケッティング・コンサルタントをお願いしても成功するとは限らない。
どうせ失敗するなら、自分で見極めようと思っておられるのかもしれない。
外観は、とても穏やかであるが、ユーモアのセンスもよく、一方で心のうちは熱き血潮でいっぱいなのかもしれない。

 初対面だが、とても素敵な会社だと思った。

 ただ、商品はスタイリッシュで若者対象のように見受けられ、「私のような体型は対象外ですよね」と意地悪な質問をしたところ、「すみません、一万円ほど追加いただければ身体にフィットしたスーツをお仕立てできますよ」と返ってきた...

 場所 松山市湊町4丁目8-5(銀天街)

 2月29日オープン!!

  営業時間は、 10:00~20:00
 

木村興農社

2012年02月24日 02時30分22秒 | すばらしい出会い

 昨夜、知人の紹介で(「奇跡のりんご」の)木村秋則さんが興された木村興農社(http://www.akinorikimura.net/about)の熊田さんにお会いしました。

 初対面ではなかった(名刺交換程度)のですが、じっくりお話をさせていただいたのは今回が初めてでした。
 自然栽培の伝道師として、木村さんの片腕の役割をしている方です。

 さまざまなお話をさせていただきました。
 共感するところが多く、大盛り上がりでした。
 同質の価値観をもつ人と出会えるとうれしくなります。

 とても短い時間でしたが、充実した時間を過ごすことができました。
 そして、次にお会いすることを硬く約束をして別れました。

 近いうちにまた会えるといいなあ...

チームワーク

2012年02月08日 23時45分27秒 | すばらしい出会い
 私の職場は、私を入れて6人しかいない。
 内訳は、支所長の私に、窓口担当が4人、そのほかに用務員さんが1人。

 主な業務は、窓口業務。
 窓口担当が2人休むとたちまちお客様に迷惑をおかけする事態に陥る。
 そんな時には、近くの三津浜支所にヘルプ(応援職員のこと)依頼をする。

 昨年度まではわからないが、三津浜支所のM支所長は大変な無理をしてヘルプを出してくれる。
 いつも突発的なお願いなのに、かなり無理だなと思いつつ厚顔無恥にお願いをしてみる。
 助けてもらえる。
 よくよく考えれば、未だ一度も断られていない。
 このことは凄いことである。
 決して余裕があるわけではない。
 なぜなら、直接お礼を言った時に、窓口にひっきりなしにお客様が来られ、どう見ても余裕があるとは思えない。
 でも、助けてくれる。
 きっとM支所長は過去にも小さな支所で仕事をされた経験があり、その時の苦労をよくご存知だからだろう。

 本市では地域ごとに4つのブロックに支所をくくっており、私たちのいる支所は西ブロックである。
 そのリーダー的立場がM支所長だ。
 平素から助けてもらっているので、M支所長には一目も二目も置いている。
 「持ちつ持たれつ」というよりも「持たれつ持たれつ」とお返しするものがない。
 申し訳なさでいっぱいである。
 同じブロックの他の支所長もユニークで個性派集団である。
 でも、一緒にいて楽しい。
 飲み会などをするとおお盛り上がり(?!)

 一方、内の職場に眼を向けると同時に二人は休めない状況である。
 しかし、病気や研修などで不測の事態が起こる。
 場合によっては、研修を急遽振り替えてもらうなどの無理な対応をお願いする。

 小さいながらも、チームワークで頑張ってきた。
 私が来て、あと一ヶ月と20日で一年がこようとしている。
 アットホームな雰囲気で、できればこのメンバーでずっと仕事をしたいと思っていた。

 しかし、女性職員のSさんが出産を控え、来週から産休・育休と長期休暇に入る。
 また女性の臨時職員のMさんは今月いっぱいで任期切れとなる。
 つまり、このメンバーで仕事ができるのは、あと2日。

 もう永遠にこのメンバーで仕事をすることはない。
 そう思うと切なくも寂しくなる。
 どのメンバーもよく頑張ってくれている。
 少し大きな声を出すお客様がきても女性職員を含めて怯まない。
 冷静かつ丁寧に応対してくれる。
 なにか問題や課題が発生してもすぐに共有し、解決策を見出そうとしてくれる。
 その時の主役は、たいていK君。
 そしていぶし銀のように火を消してくれるのがT君。
 用務員さんという立場だが、地域の人に私以上に信頼されているSさん。

 彼や彼女たちは、私の自慢の部下である。
 この職場で仕事ができることを誇りに思う。
 あと二日、このメンバーで最善を尽くす。
 


潮時かもしれない...

2012年01月29日 18時00分53秒 | すばらしい出会い
 あるNPOのご紹介で、横浜市で木のおもちゃを販売しておられる森のシンフォニーの若林ご夫妻にお会いした。
 今回、このお店を閉じられることになりNPOが引き継ぐこととなったため、その打ち合わせをかねてわざわざ松山までお越しいただいたということである。

 私が呼ばれた理由は、NPOの理事の一人がさまざまなスタートアップをされる時に助言をして欲しいという思惑からかなと勝手に思っている。
私自身もずうずうしいので、興味津々、同席させていただく。

 お会いした若林ご夫妻はとても若々しく、イキイキとしておられた。
 そのことが逆に違和感を覚えた。

 大変失礼なお話だが、まだまだお店をやれる雰囲気なのである。

 初対面で失礼とは思ったが、「今まででご商売をされていて一番大変だった時期はいつですか?」と切り出した。
 すると、「今が大変です。」とご主人が即答された。

 直感的には、経営が苦しくて、今が大変なのだろうかと思ってしまった。

 すると、ご主人は続けて、
 「今のお母さんたちがあまりにも変わられた。私たちが売っている商品の価値を認めてくれなくなったということでしょうか。
  苦しくなったんです。そろそろ潮時かなと。」

 奥さんが補うように、
 「振り返った時に、経営的に苦しかったのはもっとたくさんありましたし、比べようもないくらい大変な時期がありました。
  でも、その頃を振り返ると、あまり大変とは思わないのです。むしろ懐かしく、楽しくもあります。」

 私は、
 「それは、苦しくともやりがいがあったということですよね。でも、今は(経営的には)それほど厳しくはないけれども
  そのやりがいみたいなものが見出せなくなったということでしょうか?」と質問した。

 ご主人は、
 「そうなんです。いくら頑張っても理解されなくなった。子どもたちのためにやっているのだけれども、その母親たちには
  理解されなくなった。」とさびしく応えられた。

 私は労うように、
 「日本という国は、新人類という世代からファミコンに出会い、そして携帯電話を使いこなす世代になってきましたよね。
  そして、ファミコンが世に出てから子どもたちの遊びがアウトドアからインドアに変わっていきました。
  なにより、そのファミコンによって今までのおもちゃが子どもたちの独創性を育てていたのに反し、真逆になっている。
  おもちゃが本来もっている子どもたちのさまざまな才能を育むという価値を見出せなくなっているし、そのことを
  親が理解できなくなったということでしょうか」と投げかけると

 ご主人は、
 「そうなんです。ゲームソフトがダメだと言える親がいなくなったということです。なぜなら、親がゲームソフトに夢中に
  なっていますからね。」とさびしく応えられた。

 内心、このような社会環境のなかで事業を継承するNPOは大丈夫なのだろうかと不安を覚えた。
 そこで、今度は、NPOの方に質問をした。

 「このような状況の中で、この事業をやりきれるのでしょうか?」

 「おもちゃがすべてではないのですが、例えば発達障がいの子にはとてもいいツールのひとつなんです。発達障がいは、
  放置しておくと大変なことになりますが、早めにその症状を発見し、その手立てを講じれば改善されるものなのです。
  その時に薬のような役目として良質のおもちゃが必要なんです。」

 なるほどである。
 そういう切り口なら可能性はあるかもしれない。
 自分がどのようなお手伝いができるかわからないが、なんとか形にしてあげたいと思った。




 

地域に飛び出す公務員

2012年01月28日 23時55分29秒 | すばらしい出会い
 懐かしい方からメールをいただく。
 三重県の山路栄一さんからであった。

 「地域に飛び出す公務員を応援する首長連合サミット&地域に飛び出す公務員セミナーin 愛媛」に出席するため松山に来るので会いませんかというものであった。
 (私のようなものでも)覚えていてくれたのかと、感激した。

 山地さんにお会いしたのは、立命館大学でパネラーとして呼ばれたときに、三重県知事になられた鈴木英敬さんの紹介からである。
 山路さんの情報発信力はすごいものがあり、真似ができないすごさである。

 山地さんは相変わらず精力的に活動されている。
 今回のイベントも彼のプロデュースである。

 そして今日、イベント、交流会の後、山地さんの身体が空いた時点で待ち合わせをした。
 なじみの居酒屋にお連れし、さまざまなお話をさせていただいた。
 相変わらず熱い方である。
 いろいろな話を聞かせていただきながら勉強になった。

 勉強もされておられる。
 自分の未熟さに赤面する。

 こういう出会いは、自分に刺激を与え、大いに触発される。

 名残惜しかったが、ますますのご活躍を祈りながら別れた。

ライセンス・ビジネス

2011年12月08日 23時35分52秒 | すばらしい出会い

 友人のHさんの紹介で、ライセンス・ビジネスをやっておられるIさんと食事をした。
 過去に面識は会ったのだが、名刺交換をする程度でこうやってじっくりとお話を伺うのは初めてだった。

 Iさんは、私よりも若い。
 活躍されているフィールドは全国、いや全世界かもしれない。
 但し、残念ながら松山にはそのフィールドがない。

 でも、そんなことは関係ない。

 ちがう世界の人と、こうやって知り合いになり、さまざまな裏側を含めた話を聞かせていただくだけで勉強になる。
 「へぇ~!」と、つい出てしまう。
 次に、「おもしろい」と思ってしまう。

 私らしい単純明快さ(何も考えていないといわれればそれまでなのだが...)

 あまり聴きなれない「ライセンス・ビジネス」
 そういう世界があるんだと思いながら、その手法の広がりをかってに想像する。
 ワクワク感がたまらない。

 自分の次のステージに向かって、今、吸収できることはすべて吸収しておこうと思う。
 そのためには、Hさんの受け売りではないが、自分の頭の中にあるチエやノウハウを吐き出したくってたまらない。
 そして、自分の小さな頭の中を一気に整理し、空っぽに近い状態までにしたいと思っている。

 そうでないと、新しいことを詰め込むスペースがないような気がする。

 仕事のことでも何でもエエから、誰か受け止めてくれ~!!(但し使えんかもしれませが...)
 

二人の地域活性化伝道師

2011年10月30日 23時23分55秒 | すばらしい出会い

 今日はお城下大学に出かけてきました。
 講師の木下斉(きのした・ひとし)さんとは久方ぶりの再会でした。

 講演を聴いていて、ますますバージョンアップされておられるなと感心するとともに、自分の未熟さに自己嫌悪とまではいかなくても成長のなさを恥じた一日でした。
彼の話はたくさんの現場から得たものであり、ほとばしる情熱と変革者としての自信のようなものが感じ取れました。

 また、話の内容も理に適っていて、現場に現実がプラスされ、より強みを発揮されていました。

 あとで名刺交換をさせていただいたのですが、内閣官房地域活性化伝道師という肩書きが刷り込まれていました。

 内閣官房地域活性化伝道師?

 ん?

 昨日、お会いした斉藤俊幸(さいとう・としゆき)さんの名刺にも同じようなことが書いてあったような...

 取り出してみると、総務省地域力創造アドバイザー、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、地域活性化伝道師(内閣官房)と刷られてありました。

 斉藤さんは、さまざまな地域のまちづくりに参画しておられ、今は高知県本山町に住みついて(永住ではありません)、都市と田舎との交流事業などを中心に取り組んでおられるとのこと。
最近のヒットは、石釜でピザを焼くイベントが受けているということでした。

 Kさん夫婦のご紹介でしたが、初対面からお互いすっかり打ち解けて「遊びにつながる企画をやりましょう」といってわかれました。

 きしくも、地域活性化伝道師(内閣官房)の方に二日続けてお会いするとは何か因縁めいたものを感じました。
 
 なにか出来そうな予感です。

新しい農業の担い手

2011年10月12日 22時48分59秒 | すばらしい出会い


 最近出来た若い友人にM兄弟がいる。

 彼らは愛媛県西予市出身で松山の会社に勤めていた。
 
 そして、松山に出てきて感じたことは自分たちが生まれ育った土地の米の旨さだという。
 それが時に恋しく、時に懐かしくなっていったというのである。

 味覚というのは不思議なもので、幼い時の感覚が(脳のどこかに)ずっとインプットされるようである。
 
 そして、兄弟はずっと話し合い、ふるさとの味の素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらおうと考えたのである。
 出た答えは、「農業法人」を立ち上げるということだったという。

 改めて、自分たちのふるさとの味を食してみると、米だけでなく野菜や果物も上手いことがわかった。
 その理由として、地域の人たちが心を一つにして土づくりからやっていることを知る。
 さらに、四国カルストから湧き出る水が川となり、滝となり、再び大きな流れとなって、その肥沃な土を育んでいることがわかった。
 そして、幼い時に感じた気候の厳しさが、農作物にも試練を与え、たくましく育つことで旨味を増すこともわかったという。

 だからこそ、彼らは立ち上がることを決めた。

 そして、先週の週末からダイキ美沢店2階の産直市コーナーで米と野菜、栗を売り始めた。
 慣れない仕事だが一日中立ったまま競争の激しい米を売り続けた。
 自分たちのふるさとの米がどれほど美味しいか、おにぎりにして食べてもらった。
 
 私も覗いてみたが、確かに上手い!

 作り手の顔がわかり、作り手の苦労を知る彼らだからこそ、一生懸命に売る。

 ふるさとが大好きで、ふるさとを愛する心が、彼らを荒れ狂う大海に押し出した。
 でも、彼らのような若者がいるからこそ、この国は明るい。

 彼らの活動については、今後も追跡取材をさせていただくこととした...
 

移住者と地元の人

2011年08月27日 22時47分02秒 | すばらしい出会い
 昼前のNHKの新日本紀行を振り返る番組「新日本紀行ふたたび」は、40年前にとり上げた鹿児島県・宝島の話だった。
 内容は、鹿児島県トカラ列島の「宝島」が舞台。
人口110の小さな島だ。
かつて新日本紀行では、素朴な暮らしの様子と離島ブームでやってきた若者たちを取材していた。
それから40年。
今、村を支え始めているのは、都会から移住してきた家族たちだ。
農業や漁業を島の人たちから教わりながら絆を深めている。
豊かな自然に恵まれて暮らす宝島の人々を見つめる...と言ったものだ。

 そして、離島ブームでやってきた若者たちを地元の人たちはやさしく受け入れていた。
「農業」のまったくのシロウトの彼らに対して地元の人が、「シロウトだから、きちんと教えるのは当たり前。教えてもらったらそれを学んで、実行していく。それが農業よ」と温かく包み込む。

 それから、夕方、「人生の楽園」という番組で岡山県の蒜山(ひるぜん)高原で脱サラしてペンションを初めたが、地元に良質の蕎麦ができることから、10割蕎麦にこだわり「蕎麦屋」になった人の話があった。
この人の周りにも彼らを温かく見守る地元の人たちが映し出される。

 映像にはないが、実は、移住者が地元の人たちに溶け込めないためにその地を離れる人の方が、ひょっとしたら多いのかもしれない。
それは、日本固有の村意識みたいなものが、「よそ者を受け入れない」風土にしてしまっているのかもしれない。

 だがよくよく見れば、上手くいっている場合は、移住者の方から地元に歩み寄っている場合が多いような気がする。
きっかけは、まず自分の弱さやできないことを相手に素直に伝えること。
そして、なによりも「教わる」という姿勢と、謙虚さを兼ねそろえることだと思う。

 相手が警戒心を解くきっかけは、「この人、イイ人かも...」と思わせることではないかと思う。

 そのイイ人の基準は、何よりも自分の話を熱心に聞いて、それを真似しようとしている姿である。

 それを見ると、人はもっと教えたくなるはずである。

 この積み上げが良質な人間関係を構築するのではないかと

 だから、人間関係の作り方を難しく考えるのではなく、
 「すみません、わからないので教えていただけませんか?」の一言から始めればいいのである。